電波少年的地球防衛軍ピンクとして活躍した木谷真規さん。その後の波乱万丈の人生とは?

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TV番組「進ぬ!電波少年」の超能力で世界を救う企画「電波少年的地球防衛軍」で活躍したピンクちゃんを覚えているでしょうか?彼女はその後、様々な経験を経て、今は「エクセリング」という芸能プロダクション・番組制作・キャスト&スタッフ派遣を行なう会社の社長として活躍されています。『「ツイてる!」の法則』(あさ出版)という本も出版されたほど運がいいという彼女に、ピンクちゃんのその後の人生と、チャンスをブログでつかむ方法についてインタビューしました。

※このインタビューは、ブログの書き方をアドバイスする特集記事「ブログで変える、あしたからのまいにち」の一コーナーとしてお届けしています。

――そもそもなぜピンクちゃんになられたのでしょう?

木谷真規(以下、木谷):19歳の就職活動の時、大手自動車メーカーの最終面接を受けるか、電波少年のオーディションを受けるかで悩み、電波少年を選んだのがはじまりですね。偶然、同じ日の同じ時間に行なわれたので、どちらかを選ばなくてはいけなかったんです。

誰に相談しても、大手自動車大手メーカーに行けと言われたのですが、よく考えると「クルマがそんなに好きなのかな?自分がこの会社に好きなのは安定だけかもしれない」と思ったのと、オーディションに行かなかったら、後で「あのとき受けてれいればどうなったんだろう?」と後悔すると思ったので、オーディションを選びました。

でもオーディションに行ったら後悔しましたね。募集の条件が、「超能力を使えること」「ピンクが似合うこと」の2つだったんですが、会場には、いかにも超能力者っぽい方が沢山いたり、林家パー子さんがいたり、受かる確率は0%だと思いました。

もうだめだ、と思ってオーディションからトボトボと家に帰って「次はどこの会社受けよう?」と思っていたら、電波少年の方から連絡があり、翌日、二次オーディションに呼ばれたんです。面接かと思ったら、いきなりアイマスクを渡されて、すでにカメラがまわっていました。あのとき普通に就職していれば、今頃普通の主婦をやっていたかもしれません。でも電波少年の企画で色々な国に行ったり無人島で生活したり、普通ではできないことが体験できたので、ピンクちゃんを選んで良かったなと思いますね。

――ピンクちゃんが終わってからは何をされていたのでしょうか?

木谷:その後、電波少年に出演していたチューヤンとロシナンテ(ロバ)が所属する芸能事務所にいたんですが、あまり仕事に恵まれなかったので、待たずに自分で動こうと、様々な事を自ら提案していましたね。

葛飾区の町おこしで「葛飾の人のための、葛飾の人による、葛飾の舞台」やろうと思って、23歳のときに文化庁に助成金を申請したり、葛飾区の区長に直接訴えたりしていました。

そしてその企画が通り、図書館で調べて脚本を書いたり、サンプラザ中野さんをはじめ、様々な人に出演の交渉をしましたね。そしてその活動が新聞などに取り上げられ、その時からプロデュースの仕事の相談が多くなってきました。

そんな時、芸能事務所の看板タレントであるチューヤンが本国へ帰ることになり、事務所のオーナーが事務所を畳もうかと考え、私と面談して「おまえなら何ができる?」と聞かれたんです。それで私は、今までのプロデュースの経験を生かして、様々な事業計画を提案したんです。そしたらオーナーが「じゃ、潰してもいいから、やりたい会社をやってみたらどうだ?」と言ってくれて、それからが今の社長業のはじまりですね。

その時は24歳で、「リストラされるか?社長になるか?」という選択に震えましたね。でもやってみないとわからないし、家族も背中を押してくれたので、社長になることを決意をしました。今ではあの時社長を選んでよかったと思えていますね。今がハッピーだから。

――そのようにチャンスをつかむのはコツがあるのでしょうか?

木谷:チャンスのアンテナを張らないと、何も起こらないですよね。例えば、タレントの出演相談で日本人を募集していても、外国人を提案してみる。それによって、その時はだめでも、タレントの顔を覚えてもらって別の機会に出演できるかもしれません。とにかく目に止まるようにしないと、声をかけてくれる方も、声のかけようがないですよね。

どの話がどう広がるかは、自分にはわからないから、まずやってみて、結果として広がったケースが多いですね。自分でも79年生まれの交流会をやっていますが、そこから2組結婚したり、様々な人の出会いの機会をもうけるのは楽しいですよ。

私の信条は「やる前に判断しない、人生やったモン勝ち。やってみないとわからない」で、もし提案を断れてへこんでも、スーパー銭湯で星を見ても治りますよ。みんな断られて生きていますからね。

――チャンスをつかむのにブログを活用されていますか?

木谷:ブログから仕事につながったケースはとても多いですね。ブログで人間性を信用してもらって仕事につながる場合もありますし、未来でやりたい事を書いておけば、それを見た人が声をかけてくれることも多くなると思います。

例えば、弊社のタレントのサヘル・ローズは、4歳の時にイラン・イラク戦争によって実の家族を全員失っていて、その生涯を本にするのが私とサヘルの夢だとブログに書いていたんです。すると、NHKでサヘルを特集した番組をきっかけに、文芸春秋の方がネットでサヘルのブログを見つけて連絡が入り、後に私のブログも見て下さってパーソナリティを信用してもらい、『戦場から女優へ』という本を出して頂くことになったんです。更なる夢は、本を映画化することです!

このようなブログ経由の仕事の相談は、月に2〜3件は来ますね。会社名で検索していると、みなさん最終的には私のブログに行き着いて、仕事の相談をするか決めているようです。なので、ブログはその人の人柄がでていて、これからやりたい事が書いてあると、声もかけやすくなるのでしょうね。

――その他にブログを書く方針はありますか?

木谷:カンタンなことでも記事にして更新頻度を増やすか、もしくは、1回に書く量を増やして結果的に更新頻度は控えめになるか、という方向性があると思いますが、更新頻度を増やした方が見られる回数は増えますね。写メールで撮った画像も必ず投稿するようにしています。今Twittterが流行っていますが、あんなに短い量のテキストでも人気になるくらいだから、ブログの文章も短くても読む人は読んでくれますよね。(ブログの書き方についての特集を読む)

木谷真規さんプロフィール
1979年12月25日生まれ東京都出身
(株)エクセリング代表取締役GIホールディングス取締役
社団法人日本喜劇人協会 最年少役員(監事) Australia Japan Society の日本代表奨学生として交換留学。
19歳で、芸名「斉藤ゆり」として芸能界デビュー。
電波少年的地球防衛軍ピンクとして超能力生活を経て同番組のコーナー企画「15少女漂流記」で無人島生活を行う。
23歳で、文化庁の地域振興事業の町おこしを葛飾区で行い、企画、脚本、プロデュースを手掛け座長公演を行う。
24歳で、当時所属していた芸能プロダクションの代表取締役に就任。
現在は、芸能プロダクション以外に、テレビ番組の制作、イベント企画運営、キャスティングなどを行っている。
主な著書『「ツイてる!」の法則
木谷真規さんブログ

※これからブログを始める方は、是非nanapi×livedoor Blogの特集「ブログで変える、あしたからのまいにち」をご覧ください!長続きするブログの書き方など、様々なコツを紹介しています。