豊富かつ質の高いムービングによって、パスコースを生み、ボールを繋ぎながら相手を崩す。ポジションチェンジを繰り返し、ボールをキープしながらリズムを作っていく……。築いてきたはずの“日本のサッカー”ができない。確かに先のウズベキスタン戦も“自分たちのサッカー”はできなかった。しかし、今日の試合は”自滅”した印象が強い。できない理由は自らにあった。だからこそ、どうにかしようと足掻き悪循環に陥った。ホームの大歓声の後押しが“焦り”を生み、さらなるミスを誘発する。自分たちのサッカーができていない現実が選手を追い詰める。
「ホームにはホームの難しさがある。大観衆のリアクションに焦ってしまった。でも攻め急ぐような形になるのはもっとも良くないこと」
 以前、遠藤が話していた。中村(俊)からも同じような発言を聞いたことがある。
「(ワールドカップ出場を決めて)ホームに帰ってきていい試合をしたいと思った」と岡田監督。選手の思いももちろん同じだった。だからこそ余計に慌てたのかもしれない。
 しかし、言い訳にはできないが、出場権獲得というミッションを達成した安堵感は、緊張感によって忘れていた疲労を痛感させただろう。最終予選は続くとは言え、気持ちが途切れてもしかたがないのかもしれない。ピッチ上の選手たちは思うように動かない身体、パスのわずかなズレを帳消しにするパワーを絞り出せずに苦しんでいるように見えた。何をやってもうまくいかない……。そんなときにどうゲームをしのぐのか? 攻め急ぐことなく、自陣でボールをまわしながら、省エネで時計を進める方法もあったはずだ。一生懸命プレーするだけでは改善しないことがある。そういう状況を打開する経験がなかった。拙さを露呈してしまった。
 チャンスを与えられた選手とて、周囲の選手が空回りしている今日の試合で評価をくだすのは可哀そうな気がする。

 2試合を残して、出場権を決めた。そのアドバンテージの1試合を無駄にしてしまったような気がする。同じ苦戦をするのなら、もっと新しい選手をテストしたほうがまだ良かったのではないか? もちろん、苦しい試合を経験することは、進化のきっかけになることも事実だが、今日の相手でそれを経験しているようでは、ワールドカップでの闘いに期待は持てない。
「進歩はしていると思うけれど、これでワールドカップとか、強い国とどのレベルのサッカーがやれるかという手ごたえはないから、まだ何とも言えない」
 6月9日の練習後の中村(俊)の言葉が重く響く。
 岡田ジャパンの脆さを痛感できたことが良かったと、思える未来が来ることを願いたい。


text by 寺野典子