「正しい判定」だけど「受け入れられない」…ベネズエラの整列拒否に見るVAR時代のジレンマ “両方PK”というやり方もあり?

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天国から地獄に突き落とされたベネズエラの選手たちが抗議するのも、心情的には理解できる(C)Getty Images

 何だか最近、対戦相手が整列してくれない。

 アジア大会ではU-21日本代表に1-0で負けた北朝鮮が、判定に納得せず整列を拒否し、足早に立ち去った。A代表の国際親善試合でも、敗れたベネズエラが審判への猛抗議の末、怒り心頭で整列や握手を拒否した。

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 整列拒否なんて珍しいケースなのに、重なるときは重なるものだ。

 どちらも主審の判定を受け入れずに起こした行動だが、背景はそれぞれ違った。アジア大会のほうは準々決勝までVARが適用されない。北朝鮮が整列を拒否したのは、シンプルに判定の正誤に関する不満だろう。あるいはそれがなくても、整列を拒否したかもしれないが。

 シリアのハッタブ・ハンナ主審は、キックオフ直後から北朝鮮の荒い振る舞いに対し、「ピピピピピピ!!」とかなり長い笛で注意を与えていた。おそらく過去の北朝鮮との試合で、整列時のハイタッチ(モデル・グーパンチ)や危険タックルなど、両チームの関係性を理解した上で、神経質に笛を吹いてくれたのだろう。自業自得とはいえ、そうした主審の姿勢が、北朝鮮のイライラを増幅させたのは想像に難くない。

 一方、ベネズエラのほうは、判定の正誤そのものというより、VARを活用した判定プロセスが、ベネズエラを糠喜びの天国から地獄へ突き落とし、結果として彼らの感情を傷付けることになった。こうしたVARの判定プロセスに弄ばれた彼らの感情が、正しい判定を受け入れがたくしている。

 当該シーンは、後半アディショナルタイムだった。

 敵陣ペナルティーエリア内でシュートに持ち込もうとした久保建英が、軸足を相手に踏まれ、大きく転倒。しかし、リアルタイムでは主審はファウルを取らず、ベネズエラがロングカウンターを繰り出して日本陣内へ迫ると、15秒後、鈴木淳之介がスライディングでファウルを犯してしまう。こちらは即座に主審の笛が鳴った。

 まず、鈴木のほうは100%PKだろう。誰が見ても、同じ答えになるはず。逆に久保のほうは、一度主審が肉眼でノーファウルとしたように、結構微妙なシーンだ。足を踏まれた事実が見えていたとしても、久保本人も語っているように、映像で見た上で主審によっては取らないケースがままある。国内リーグと国際試合ではファウルの基準が違い、国際試合のほうが厳しく取られる傾向があるとはいえ、言ってしまえば、久保のほうは50%PKだ。

 その50%PKの判定をするために15秒も遡り、その結果、時系列によって100%PKが無かったことにされてしまう。2-1で勝てると信じた矢先、1-2で負ける。まるで一つの場面で2失点したような衝撃だ。それを食らったベネズエラが、納得できない気持ちになるのはよくわかる。

 しかし、現行ルール上、この判定は誤審ではない。一連のプレーとしてVARが遡って判定することは可能であり、久保のシーンも接触自体はあったのでファウルはあり得る。ルールに則った正しい判定だった。

 ただ、今回の件で改めて思うのは、正しい判定と、納得できる(受け入れられる)判定は違う、ということ。

 それを分けるのは、判定に至るプロセスだ。正しい判定を探しすぎた結果、たとえ正しくても、そのプロセスが受け入れがたい心証を生む、ということがVARでは起こりがち。

 仮に久保が転倒した直後にPKの笛が吹かれていたら、どうなったか。結果は同じく2-1で日本の勝利だが、判定に対する抗議はあったとしても、今回のように整列拒否までの事態にはならなかったのでは。やはり天国から落とされたショックは大きかった。

 個人的には、目の前で見たプレーが、無かったことにされてしまう運用は感覚的に気になる。もちろん、時系列で言えば、久保の時点でファウルがあったとしたら、その後のプレーが成立しないことは理解している。だが、審判は流したのだ。流したから、選手はプレーをした。多大な体力を使ってロングカウンターを成功させ、PK奪取までたどり着いた。

 それって、無かったことでいいのだろうか。感覚的には「あったプレー」としか思えない。だって、審判は流したんだから。それを受けてプレーしたんだから。久保のPKも、ベネズエラのPKも、両方取っちゃえばいいんじゃないの、とは思う。

 つまり、時間を巻き戻さない。並行世界として成立させる。もちろん、今の「どこまで巻き戻せるか」と同じく「どこまで並行を成立させるか」という線引きは必要だけれども。

 正しい判定だけでなく、納得できる(受け入れられる)判定をめざすなら、こういう発想があってもいいかな、とは思った。

[文:清水英斗]