寺の墓地から見つかったのは“4歳少年の遺体”…「マスコミにはいい思いをしなかった」近隣住民の女性が語った【戦後最悪の誘拐殺人】(昭和38年の事件)
「すごい人だったねぇ。遺体が発見された時には、墓地が閉鎖されていて、私の家の2階から取材陣が写真を撮ったり、ビデオを回したりしたんだよ」
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昭和38年、日本中を震撼させた「吉展ちゃん誘拐殺人事件」--円通寺の近隣住民が明かした、土足で家に踏み込むマスコミの狂騒とは? ノンフィクション作家の八木澤高明氏の文庫新刊『殺め家』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目)

写真はイメージ ©getty
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吉展ちゃん誘拐殺人事件
雑居ビルや古びた住宅が建ち並ぶ町の一角にその公園はあった。親に見守られ遊ぶ子どもたち、どこの公園でも見かけるありふれた日常の姿である。ただこの公園は、子どもたちと同じくらい、浮浪者の姿が目についた。
かつて日雇い労働者の街として知られた山谷からもそう遠くない土地柄だろうか、それにしてもその光景は私には奇異に思えた。砂場やブランコで遊ぶ子どもたちのすぐ横のベンチでは、初老の浮浪者がベンチに腰掛け、首をだらんと下げ眠っていた。
本田靖春の名著『誘拐』の中に入谷南公園の様子を描写する件があるが、公園の様子は吉展ちゃんが連れ去られた当時をそのまま写し出しているようにすら思えた。
吉展ちゃんにとって浮浪者は見慣れた存在だったからこそ、小原保(当時30歳)という自分の命を奪うことになる男の誘いに何の疑いもなくついて行ってしまったのではないか。
公園西側の入り口にあるトイレに向かった吉展ちゃんは、借金を重ね生活に行き詰まっていた小原に現金を得るための誘拐目的で南千住方面へと連れ去られ、その日のうちに円通寺という寺の墓場で殺害された。
公園のすぐ横には、吉展ちゃんの両親が未だ暮らしているのだろうか、吉展ちゃんの姓が書かれた表札が掛けられているビルがあった。
もし両親がこのビルに暮らしているとしたら、事件から半世紀以上、毎日のように公園から響いてくる子どもたちの声を耳にし続け、きっと吉展ちゃんのことを思い浮かべ続けているに違いない。何とも残酷な日常であろうか。
「マスコミにはいい思いをしなかったねぇ」
入谷南公園から車で5分ほどの場所にある円通寺へと向かった。遺体の発見された墓地の裏にある民家では、ひとりの女性が事件当時のことを話してくれた。
「すごい人だったねぇ。遺体が発見された時には、墓地が閉鎖されていて、私の家の2階から取材陣が写真を撮ったり、ビデオを回したりしたんだよ。土足で家の中に入ってきたり、電話を使われたりして、マスコミにはいい思いをしなかったねぇ。NHKだけだね、あとからハンカチを送ってきたのは。それ以外はそれっきりだよ」
寺の墓地へと足を運ぶと、墓石の群れの中に小さな地蔵が置かれていた。寺の僧侶の説明によれば、墓石の下にある遺骨の安置場所に遺体が埋められていたのだという。
〈「いい兄貴分だったよ。あの事件さえなければ普通に暮らしていたんだろうな」《吉展ちゃん誘拐殺人事件》事件現場を訪ねてわかった“犯人男性の意外なその後”(昭和38年の事件)〉へ続く
(八木澤 高明,高木 瑞穂/Webオリジナル(外部転載))
