椎名法子さん

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 クールな雰囲気で"小悪魔ちゃん"の愛称で親しまれ、女優、歌手として活躍した椎名法子さん(43)。スポーツ用品「アルペン」のCMで脚光を浴び、当時、人気絶頂だったSPEEDとドラマ『L×I×V×E』(TBS系)で共演。現在は実業家の夫と家庭を築き、2人の子どものママとして奮闘中だ。

【インタビュー写真】〈10年ぶりにメディア出演〉現在の椎名法子さん(43)、堀越高校生時代の写真やウェディングフォトなど

 当時、華やかな世界に生きる一方で、椎名さんならではの苦労もあったという。見知らぬ相手から届いた恐怖の手紙、笑顔ができなかった新人時代、堀越高校で同級生だった大物クラスメイトなどについて話を聞いた。【前後編の後編。夫婦の出会いと夫の大病について語った前編を読む】

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──今回のNEWSポストセブンの取材が10年ぶりのメディア出演とのことで、心境の変化などあったのでしょうか。

「じつは子どもに手がかからなくなってきたので、そろそろまた何かできたら、とずっと籍を置いていた事務所に相談していました。声優さんとか声のお仕事ができたらいいな、と思ったりしていたんです。ところがその矢先の一昨年、所属していた事務所が破産してしまって……。ニュースで知って『どうしよう』とビックリしました」

──今後、本格的に芸能活動の再開も考えているのでしょうか。

「私でよければ……、お役に立てたらと思います」

──お子さまたちは"お母さんが昔アイドルをしていた"というのはご存じなのでしょうか。

「知っていますよ。息子は友だちに自慢しているみたいですけど、娘は友だちとかに内緒にしていました。あるとき携帯で調べた子がいたらしく、娘から『バレちゃった。どうしよう』って。いろいろあって、私がママ友とか子どもの関係者には秘密にしていたんです」

──"いろいろ"とは、どんなことがあったんでしょうか。

「以前、『爆報!THE フライデー』に出た後、『椎名さんの子どもとウチの子が同じ幼稚園に通っているので、何か犯罪が起きるのではないかと怖いです。責任とれますか。退園してください』と、書かれた手紙が自宅に届いたことがあって、怖くなったんです。私は『爆報!THE フライデー』に出たとき、"抗がん剤治療を受けても子どもを授かることができました"と、知っていただきたいという思いもあったんですけど、『そんなことをいちいち公表しないでください』とも書かれていました」

──手紙の内容と自宅を特定されていたことで、子を持つ親として不安になった。

「それからはなるべく目立たないようにしてきました。娘の幼稚園のママ友は『ファンでした』と言って仲良くしてくれた方もいましたけど、小学校に上がった後のママ友は、私が芸能活動をしていたことをまったく知らないと思います」

堀越高校で出会った"スター同級生"たち

──輝かしくもあり、ときには世間から厳しい目にもさらされる芸能界ですが、椎名さんはどのようなきっかけで芸能界を目指したのでしょうか。

「小学校3年のとき、安達祐実さん主演のドラマ『家なき子』(日本テレビ系)を見て女優さんってステキだな、と憧れていました。それで6年生の頃、地元のこども劇団に入り、土日にダンスや発声、芝居などのレッスンを受けていました。劇団から声がかかりオーディションを受けCMに出ている子もいましたけど、私は全然声がかかりませんでした。そのまま中学3年になって、このままじゃいけない、と自分で応募して初めて挑戦したのが雑誌『JUNON』の『スウィート&スウィートガールコンテスト』だったんです」

──初めての応募でいきなり1万人のなかから選ばれたとは、すごいです。

「周りはキレイな子ばかりで、私は何の取り柄もない、オーバーオール着ていかにも"田舎娘"という感じだったので、まさか自分が選ばれるとは思っていませんでした。最終会場が原宿だったので、付き添いで一緒に来てくれた母と次の日にディズニーランドへ行く予定を立てていたぐらい。だから、選ばれたときは『え、私でいいんですか!?』と、頭が真っ白。母も泣いて喜んでくれて……そこからはトントン拍子でレコード会社、所属事務所など、すべてが決まっていきました」

──椎名さんは大阪の地元の中学を卒業後、単身で上京し堀越高校に進まれました。寂しさや不安はなかったですか。

「全然なかったです。当時、父がすごく厳しくて反抗ばかりしていたので、『早く家を出たい』と思っていたんです。それに、堀越高校の1学年上には憧れの安達祐実さんがいて、同級生には深田恭子ちゃん、加藤あいちゃん、藤原竜也くん、塚本高史くん……と、活躍中の芸能人がたくさんいましたから(笑)」

──1999年に『青空だけが空じゃない』で歌手デビューされました。

「女優志望だったのに歌も歌わせていただいて、しかも秋元康さんがプロデューサーについてくださり、『え、あの秋元康さん!?』ってビックリ。お会いしたとき、つい『いつも見てます!』って言ってしまいました。今思えば失礼ですよね。

その後、つんく♂さんもプロデュースしてくださいました。私が出演したロッテの『ラ・フランス』ガムのCMを見て、気にかけてくださったみたいで。レコーディングに立ち会って、声の出し方からリズムの乗り方など歌唱指導してくださって、歌いやすかったですね。私の曲はカラオケに7曲ほど入っているんですけど、今も歌います。作っていただいた自分の曲は全部好きで、娘も真似して歌っています(笑)」

笑えなかった"小悪魔ちゃん"時代

──レギュラー出演していた文化放送のラジオ番組で「ちゃぱらFIGHT!~椎名法子の小悪魔修行」というコーナーをもつなど、当時、"小悪魔ちゃん"とよく言われていました。なぜ小悪魔だったんですか?

「なんででしょうね。人見知りだからかな。昔はよく『怒ってる?』『怖い』と言われていました。怒ってるわけじゃないけど……笑えなかったんですよね」

──笑えなかった?

「当時はガリガリに痩せていたので、よくマネジャーにもからかわれていたんです。それでケンカして、その気分をひきずって怖い顔をしていたのかも。『もっと笑わなきゃ』『笑って』と言われれば言われるほど、笑えなくなっていました。

『伝説の教師』というドラマに出演したときは、最後、笑うシーンで終わらなきゃいけないのに笑えなくて、何度もNGを出してしまいました。監督に呼び出されて『どうしたの?』と聞かれて……カメラの向こうで生徒役の女の子たちが手を振ってくれたりして、何とか撮り終えました」

──『伝説の教師』は松本人志さんと中居正広さんがダブル主演した話題作でした。

「印象深いのは、松本さんが本番でセリフをアドリブで変えちゃうことでしたね。大きくセリフを変えられちゃうと、私は覚えてきたセリフでは対応できなくて、困ったことが多々ありました。大阪弁だからつられそうになっちゃうし。

 でも、女優のお仕事も楽しい思い出ばかりです(笑)」

──デビュー作はSPEEDの今井絵理子さんと新垣仁絵さんがダブル主演の『L×I×V×E』(TBS系)。椎名さんはクールな役でした。

「一匹狼的で、妊娠する役でしたね。当時、SPEEDの曲がすごく流行っていて、毎日、学校でみんなで歌っていたくらい大好きでした。ドラマ『L×I×V×E』で共演できてすごく嬉しかったです! お2人は手紙を書いてくれたり、一緒に遊園地へ行ったり、すごく仲良くしてくれました」

──女優として活躍する椎名さんの姿を見て、ご両親も喜んでくれたでしょうね。

「すっごく喜んでくれました。厳しかった父も、レコード店で私のCDをたくさん買ってみんなに配ったり、自慢して私のポスターをあちこちに貼ってもらったりしていました(笑)。父は主人の少し後にがんになり、判明してわずか3か月で亡くなりました。後日、父の遺品を整理していたら、私の雑誌の切り抜きやCDがたくさん出てきて、ずっと応援してくれてたんだな、としみじみ思いました。

じつは私の両親はあまり仲が良くなかったんです。それが私のドラマを『一緒に見たよ』と喜んでくれていたので、『私の活動をきっかけに仲良くなってくれたらいいな』という気持ちがありました」

──娘さんは、かつて椎名さんが芸能界に飛び込んだ時と同じ年齢となりました。芸能界に興味とかはないですか。

「将来、何をやりたいか、まだわからないようで……。親バカになっちゃうんですけど、美人だし歌もダンスもできる。私は芸能界で楽しい経験ばかりだったから、もし娘もやりたいと言ったら全力で応援します」

30年前、芸能界で大きなチャンスをつかんだシンデレラガールは、明るい夫、自慢の娘、ラブラブの息子と幸せな家庭を築いていた──。

【後編了。前編から読む】

取材・文/中野裕子(ジャーナリスト) 撮影/山口比佐夫