小学生でタバコとケンカ三昧の“ズバ抜けたワル”→暴走族入り→18歳で少年院…“慶應卒の元ヤクザ”(51)が明かす、不良になった経緯
〈「母が借金2000万円を返済」「僕は借金取りとご飯を食べてた」44歳で慶應大合格の元ヤクザ(51)が語る、子ども時代の“衝撃的な生活”〉から続く
32歳で暴力団を離脱したあと、42歳で一念発起して受験勉強を始め、44歳で慶應義塾大学に合格した斎藤由則さん(51)。1年の休学を経て、2025年3月に大学を卒業。現在は弁護士を目指して司法試験の勉強をしながら、犯罪者の更生支援や被災地でのボランティアなど、社会貢献活動にも取り組んでいる。
【衝撃画像】 「全身に入れ墨があって小指なし」慶應大卒の元ヤクザ・斎藤由則さんの“小指のない右手”や、暴走族時代の“特攻服姿”を写真で見る(画像多数)
2025年12月には、衆議院法務委員会に参考人として出席し、国会議員たちの前で再犯防止に必要な視点を語って話題となった。
そんな斎藤さんに、タバコを吸ってパーマになった小学生時代、暴走族になった経緯、少年院に入った理由などについて話を聞いた。(全6回の2回目/3回目につづく)

斎藤由則さん ©志水隆/文藝春秋
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「ヤバそうだから行ってみたい」ゲームセンターに通い、悪い人と付き合うように…
--小学5年生で、父親が実の親ではないことを知ったのが非行に走る原因になったと。
斎藤由則さん(以下、斎藤) それも大きかったですけど、別に悪いことをしてやろうなんて考えていたわけじゃないんですよ。
その頃、どんどん悪い人と付き合うようになっちゃったんです。たとえば、それまでは駄菓子屋のゲーム機で遊んでいたのに、ゲームセンターに通うようになっちゃって。
あの頃のゲームセンターなんて、不良しかいなかったじゃないですか。中高生がタバコをバカスカ吸いながらハイパーオリンピックとかやってるんですもん。
行けば絶対にカツアゲされるような感じだったけど、そんな場所に行くようになったのは好奇心に尽きますね。なんだかヤバそうだから行ってみたいっていうね。そんな好奇心にやさぐれがプラスされていったんでしょう。
小田原だと西武系のデパートの屋上にゲームセンターがあって。そこに行けば誰かしら悪いヤツに会えました。もう1つ、店内が真っ暗闇のゲーセンがあって。そこには不良しかいなかった。
で、行くとケンカをしたりするわけですよ。フルボッコにしたり、フルボッコにされたこともあったし。恐喝されてる奴がいたら、そいつを助けて恐喝してた奴から逆に金をぶん取ったりしてね。
「小学校の頃からケンカには自信がありました」
--小5でそれ。
斎藤 小学5年生からですね。
--すでに腕に覚えはあったんですか。
斎藤 小学校の頃からケンカには自信がありましたね。ケンカどうこうよりも、とにかく負けず嫌いだったんで。勝ち負けよりも、ひとまず相手をボコボコにすればいいかなみたいな。
「お前やんちゃでかわいいな」不良とつるんで小学生でタバコを吸い始め…
--ゲーセンに集う不良たちとつるむように。
斎藤 小学5年生だったけど、かわいがられたんですよ。向こうは中学2年生とか3年生とかでしたけど、「お前やんちゃでかわいいな」なんて言われて。そっからもうバイクに乗っけてもらって回ったりとか。
--不良と過ごすことで解放感みたいなものが?
斎藤 何もなかったです。ただ単に強くなりたい、負けたくないってだけ。
それと反抗期、思春期ってのもありましたし。もう家にいたくなかったんで。当時は、自分の父じゃない人と暮らしたくないって気持ちが強かったんですよ。
--バイクに乗るくらいだから、もうタバコもバカスカと。
斎藤 吸ってましたね。初めて吸ったのは小学6年生の時。でもまったくおいしくないわ、むせるわで、すぐにやめちゃうんですけど、中学1年生から本格的に吸ってましたね。父のキャビン・マイルドをかっぱらってました。
それがなくなったら、タバコのカツアゲですよ。外に立って、誰彼かまわずに「タバコよこせ」と言って。
--万引きは。
斎藤 しょっちゅうしましたよ。テレビもやったし、高級腕時計もやったし。ありとあらゆるものをやったんじゃないですか。そんなんだから何回も補導されては児童相談所に連れて行かれてました。
『ビー・バップ・ハイスクール』『湘南爆走族』に憧れてパーマをかけた
--そうなると小学校には通わないように?
斎藤 いや、行ってました。小学校、好きだったんで。みんなと会えるので。でも最終的に小学6年生ぐらいから、みんながどんどん遠ざかっちゃって。
いや、僕から遠ざかっちゃったところがあるかもしれないです。話が合わないんですよ。ほかの子たちはコロコロコミックを読んでいるけど、僕はエロ本読んでるみたいなね。
まあ自分では不良だとは思ってませんでしたね。『ビー・バップ・ハイスクール』『湘南爆走族』とか流行ってたので、そういうのに憧れてパーマをかけちゃったりしてましたけど。
--小6でそれ。
斎藤 パーマを入れたのは小6。その前もパーマをかけたんですけど、アイパー。アイパーかリーゼントでピシッと決めてました。オキシドールで脱色もして。
着るものも破天荒、トッポい格好してましたね。いわゆるヤンキーテイストで、父のダブルのスーツを勝手に着てました。
--そうなったらもう、ヤンキーの道に進むしかない。
斎藤 不良に好奇心を持っちゃいましたね。中学生になると学ランになるじゃないですか。そうすると『ビー・バップ』のヒロシとトオルよろしく、やっぱり短ラン、中ランとかになるわけです。
僕は背が低かったんで、短ランが好きだったんですよ。だからすぐに短ラン、ボンタンを買って。カラーもめちゃくちゃ細いやつで。といっても2万円、3万円するから、勝手に親の金を使って。裏ボタンとか欲しくなっても自分で買えないときは、もうカツアゲですよね。
「高校に行ってない方々と遊ぶように」中学卒業後、暴走族になった経緯
--入学早々、先輩から呼び出しを食らいそうですよね。
斎藤 入学式の後にすぐ来ましたよ。「お前、ちょっと来いよ」「お前、なんだそのズボンはよ」なんて言われたけど、やられはしなかったですね。他の小学校から上がってきたワルたちとも仲良しになりましたし。
だけど、クラスでは孤立しちゃいましたね。中学になったら、受験もあるし、そのための勉強もしなきゃいけないのに、僕はやりたい放題で受験勉強ってものにまったく手をつけなかったんで。どんどんどんどん皆と離れていってしまって。
それに「こいつと付き合ったらマズい」っていうのもあったでしょうね。もうズバ抜けちゃってたんで、悪さが。職員室に呼ばれては、「学校に来るなら真面目な格好で来てほしい」って言われてましたから。
僕、中学2年生で保護観察処分がついてしまったんですよ。無免許で運転して2回捕まって。で、暴走族の先輩たち、高校に行ってない方々と遊ぶようになって、暴走族に憧れて暴走族になりました。
--小田原でも有名な暴走族だったんですか。
斎藤 僕がいた暴走族は、熱海が総本部なんですけど。で、暴走族からそのままヤクザになる人たちが多かったんですよ。
「もうこれ以上やるなよ」家に来た警察とご飯を食べることも
--中高一貫校みたいな。
斎藤 もう、暴走族やったら次はヤクザねって人たちばかりで。「トッピ、一緒にやらないか」ってノリで誘われました。
当時はほんと、楽しかったですね。走るというより、その人たちと一緒に遊んでることが楽しかった。結局、類は友を呼ぶんですよね。話が合う人たちと一緒にいると面白いじゃないですか。それと同じですよ。
バイクは最初の頃は盗んでたけど、後に先輩から安く譲ってもらいました。ヤマハのRZに乗ったり、ホンダのCBXやフォア(CB400)にも乗りましたけど、CB250T、CB400Tに一番乗りましたね。
--警察に追いかけられても怖くないもんですか。
斎藤 最初のうちは、警察が「ウー」なんて追いかけてきたら焦りますよ。でも「どうやって逃げようか」って考えながら走っているうちに遊びになっちゃうんですよ。で、警察と一緒に走っちゃうんです。しまいには、僕んちに警察が遊びに来てましたから。
斎藤 「もうこれ以上やるなよ」って言いに来るんですけど、なぜかそのまま一緒にご飯を食べたりしてましたね。僕も交番に行って「金貸してくれ」なんて言ったことがありました。貸してくれなかったけど、ご飯を食べさせてくれた憶えがありますね。
「少年院に行かせて真面目にさせてください」18歳で“少年院暮らし”になった理由
--バイクで走ってるだけではなかったわけですよね。
斎藤 敵対チームがいますから。昔はグーで殴ってたのが、暴走族になると金属バットを振り回すようになって。カツアゲもそれまでは1万円、2万円だったのが、上の人間に渡さなきゃいけないので、10万円、20万円になってくる。そうなると、どうやって集めるのかを考えるわけです。
カンパを募っても、みんな逃げちゃう。で、パチンコ屋に行って大当たりした玉を取って流したりしてたら、先輩から「おもしろい金儲けがあるよ」って聞かされて。それが車上荒らしで。小田原は観光地で、そういう狙い目のスポットがあったんです。
当時はクレジットカードもあったけど、現金主義じゃないですか。それに加えて日本特有の緩さがあるから、みんな車に現金を置いとくんですよ。
ボスに渡すと、その残りで健康ランドに泊まったり、キャバクラに行ったり。で、後輩も引き連れて「トッピさん、トッピさん」なんて言われて頭を下げられると嬉しくなって、また悪さをするんです。要はプライドを下げられなくなってくるんですよね。
--やめられなくなってしまった。
斎藤 で、車上荒らしで鑑別所に行くんです。18歳のときですね。横浜家庭裁判所の小田原支部で審判が開かれて、裁判官が母に「お母さんは、今後、息子さんを観察して生活していきますか?」と聞いたんですよ。
こっちは「はい」と答えて家に帰れるもんだと思ってたら、母は「少年院に行かせて真面目にさせてください」と答えて。「中等少年院一般短期に処する」となって、約半年の少年院暮らしです。
「この母親、俺のこと子どもだと思ってねえんだろうな」と思いましたね。
撮影=志水隆/文藝春秋
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(平田 裕介)
