実は世界初のカップ麺ではなかった…「カップヌードル」が発売直後、既存店に拒絶されたのに爆発的ヒットに至ったウラ話
【前編記事】『55周年を迎えた「カップヌードル」誕生はマカダミアナッツのおかげ?実は開発時「壊滅的な苦戦」を強いられていた』よりつづく。
相場の3倍以上「1食100円」最初は売れず
「カップヌードル」を最初に取り扱ったのは、後に国内トップクラスの売上を誇り、トレンドのランドマークとなる東京都新宿区の伊勢丹百貨店。かつてない画期的な食品の登場は、すぐに若い世代からの注目を集めた。しかし、まずネックとなったのが値段だ。
1971年(昭和46年)といえば、袋麺の標準価格が1食あたり30円だった時代。対して「カップヌードル」は袋麺の3倍以上である100円で売り出され、なおかつ店頭での並べ方などに既存の小売店が難色を示したこともあり、一般的な店頭には並ばなかった。
それを受けた日清食品は急遽、その販売を軌道に乗せるための特殊部隊「カップヌードル営業課」を発足。一般的な小売店ではなく、消防署や警察署、自衛隊、夜間診療のある病院など、一時的に既存の流通網を諦め、夜間労働者というターゲットのペルソナを徹底的に絞り込んだ“ブルーオーシャン戦略”へと舵を切り、特殊ルートへの徹底的な売り込みを開始した。
現代のように24時間営業のコンビニエンスストアや飲食チェーンが当たり前ではなかった頃、忙しくて時間がなくても、なおかつ夜遅くでも、熱湯3分で温かいものが食べられる「カップヌードル」は、夜間労働者にとって夢のような商品だったに違いない。
--ちなみに1969年(昭和44年)3月17日、大阪府豊中市に開店したマミイ豊中店(協同組合マイショップチェーンのミニスーパー第1号店)が日本におけるコンビニエンスストアの源流という説もあるが、本格的なフランチャイズシステムによる日本のコンビニエンスストア1号店「セブン-イレブン豊洲店」がオープンしたのは1974年(昭和49年)5月15日の話である。
全日本人が目撃した「カップヌードル」の湯気
さらに、1971年11月には「カップヌードル」のために開発した“お湯の出る自動販売機”を日本経済新聞東京本社内(東京都千代田区大手町)に設置するなど、大胆かつ的確な営業活動を地道に続けた。そして、1972年(昭和47年)2月19日に起きた「あさま山荘事件」が同商品の運命を大きく変えることになる。
日本の極左テロ組織・新左翼組織「連合赤軍」の残党メンバー5人が山荘管理人の妻(当時31歳)を人質に立てこもり、山荘を包囲した警視庁機動隊及び長野県警察機動隊が救出作戦を行うも難航。事件発生から10日目の2月28日に部隊が強行突入するまでの間、テレビの生中継を通し、多くの国民が固唾を吞んで人質の無事を祈った。
その緊迫した状況が続く中、山荘を包囲する機動隊に「カップヌードル」が配られた。
あさま山荘事件の生中継は、民放・日本放送協会(NHK)合わせて最大89.7%の視聴率を記録している。事件の生中継という予期せぬ媒体露出により、結果として過酷な現場における極限状態での耐久性・利便性という最強のプロダクト証明が全茶の間に届けられることとなった。
そして、事件当時の現場は平均気温が摂氏マイナス15度前後。機動隊員のために手配した弁当はすぐさま凍り、地元住民が炊き出したカレーも最前線の警視庁隊員に配られる頃には蝋細工のように凍っていた--というエピソードもある。そのような状況下において長期間の勤務に耐える隊員たちに支給された、温かい「カップヌードル」が隊員の士気の維持向上に貢献したことは想像に難くない。--いや、我々の想像を遥かに超えるものだっただろう。
「世界初」のために明星食品を完全子会社化?
かくして「カップヌードル」の爆発的なヒットに繋がり、現在は即席カップめんカテゴリーの絶対的な王者として君臨するブランドに成長したが、ここで衝撃的な事実を伝えよう。実は、世界初のカップ麺は「カップヌードル」ではない。
その発売から10年以上前、1961年(昭和36年)に明星食品がカップ入りの即席麺「明星叉焼麺(チャーシューメン)」のテスト販売を実施している。それは紙のカップを丼鉢代わりにし、特製叉焼とメンマ、さらに粉末スープを別添したものだった。つまり、厳密にいうと“世界初のカップ麺”を開発したのは明星食品。この幻の「明星叉焼麺」がカップ麺の先駆けであり、後の“スープ別添付方式”の源流となった。
--が、紙製カップの製造をアイスクリームメーカーに委託していたため、テスト販売の段階で容器の耐油性に問題が判明。正式な商品化には至らず、特許も実用新案権も取れなかった。
ここから先は裏話になるが、日清食品が「カップヌードル」を“世界初のカップ麺”と大々的にアピールするために、何が何でも明星食品を自社のグループ傘下に収めたかった--という逸話がある。実際、それをハッキリと訴求し始めたのは、2007年(平成19年)3月末以降の話。
日清食品が明星食品を完全子会社化(TOB成立)させて以降“世界初”のブランディング戦略が一層強固になったという歴史は、極めて興味深い。プロダクトの完成度だけでなく、IP(知的財産)とブランドストーリーの完全な掌握こそが市場における絶対王者の地位を確立する最後のピースだったといっても過言ではないだろう。
「他社に破られる前に自らをぶっつぶせ」
ただ、商業的な成功を収めた“世界初のカップ麺”は、間違いなく日清食品の「カップヌードル」だ。発売55周年を目前に解き放たれた「冷しカップヌードル」が体現しているように、絶対王者の座に甘んじることなく、いつの時代も常識を破り、覆しながら進化を続けている。
実の父である日清食品の創業者・安藤百福氏を激怒させた、2代目社長・安藤宏基氏[現 日清食品ホールディングスの代表取締役社長・CEO(グループ最高経営責任者)]の著書『カップヌードルをぶっつぶせ!』しかり、その実子である現社長(日清食品ホールディングス代表取締役副社長・COO)安藤徳隆氏の著書『日清食品をぶっつぶせ』しかり、カップヌードルは日清食品の魂そのものを投影したブランドに思えてならない。
他社に破られる前に、自らの手で自らの看板商品を破壊し、新たな価値を創造する--。
「自壊と再生」を繰り返すこの自己革新のメンタリティこそ、半世紀以上が経過したブランドを古びさせない最大の原動力なのかもしれない。たかがカップ麺ともいわれる世界だが、ここには私生活やビジネスの場においても学ぶべきものが詰まっている。
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