「神風は知っていても回天は知らない」人間魚雷の記憶を伝える“回天JK”椎木双葉さん(18)の奮闘…97歳の元乗組員から託されたバトン

太平洋戦争末期、人間魚雷「回天」の訓練基地が置かれていた山口県周南市の大津島では、毎年11月に戦没者の追悼式が行われている。
高校3年の椎木双葉さんは、昨年の追悼式で「史実を語り、平和の大切さを広く伝え、地域に貢献したい」とスピーチを行った。
その姿を嬉しそうに見つめていた清積勲四郎さん(97)は、かつて回天を出撃させた潜水艦の乗組員だ。清積さんの思いと期待を背負い、双葉さんが回天の歴史を世界へ発信しようと奮闘する姿を追いかけた。
■人間魚雷「回天」、史実を伝える18歳

山口県周南市、瀬戸内海に浮かぶ大津島。太平洋戦争末期、回天の訓練基地が置かれていた。
島では毎年11月に回天搭乗員たちの追悼式が行われている。周南市在住の高校生、双葉さんも参加した。
「私とほとんど年の変わらない兵士が一人で潜水艦に乗り敵艦に体当たりし亡くなっていった。私はその回天の歴史を風化させないように自分自身で外国人向けにホームページを作成し、世界中に届けています」(双葉さんのスピーチ)
全長14.75メートル、直径1メートルの回天。通常の魚雷の2倍の爆薬を搭載していた。搭乗員が一人で乗り込み、潜水艦からの出撃命令を待つ。潜水艦から切り離されると、敵艦めがけて体当たりする。回天搭乗員や潜水艦乗組員など、作戦に関わった隊員956人が戦死した。
■生き残り旧日本兵との出会いと「アイスクリーム」の約束

「清積さんとの対話を通して伝えることの重要性を強く認識しました」(双葉さんのスピーチ)
清積さんは回天を載せた潜水艦の乗組員だった。1992年の追悼式にはかつて回天作戦に関わった多くの旧日本兵の姿があった。しかし、10年ほど前からは清積さんただ一人となった。
「林さんは8月12日、終戦3日前に出撃。水上機母艦を発見して艦長が出撃を命令して当たった。でも当たったからといって回天が1万トン級の大きな船にぶつかったからといって相手が沈むことは全くないと思います」(清積さん)
清積さんの潜水艦からは5人の回天搭乗員が出撃していった。最年少の乗組員だった清積さんは様々な雑用をこなしていた。
双葉さんは回天の研究を通じて清積さんと出会った。そんな双葉さんの日常はごく普通の高校生だ。
自宅でケーキを作っていた双葉さん。「食べるのが好きなので、作るのも好きみたいな。レパートリーはケーキも作りますし、マドレーヌ、パウンドケーキ、全部ケーキだ(笑)」。
家族での夕食の時間。姉・一那さん(21)は「高3の時にうちにクラスメイトの友達を呼んで、うちの父が回天の大津島に連れていってくれて回天記念館までみんなで足を運んで、回天の歴史を。その時に初めて行きました」と振り返る。
父・隆文さん(56)は「ほとんど全員、回天に連れていっている。知ってもらいたいというか、周南市で何が見られるかという話をしたら、やっぱり全国に知られていない回天を知ってもらいたいというのは昔から常に思っていた」と話す。双葉さんも父親の影響で回天に関心を持つようになった。
大津島にある回天記念館は、搭乗員の遺書や遺品などおよそ1000点を収蔵している。来館者数は年間およそ1万人、外国人観光客数は月に数人程度だった。
双葉さんは、英語教育に力を入れている広島市の高校に通っている。その広島で目にしたものがあった。原爆ドームや平和記念公園に訪れていた外国人観光客の姿だ。
「自分は新幹線通学で外国人観光客の方がたくさん広島にいるのを目の当たりにしていたので、山口にも降りてもらう可能性があるんじゃないかと思って、始めました」
「思い立ったらすぐ行動」の双葉さん。2024年1月、原爆ドーム周辺で外国人観光客にアンケートを行った。その結果を元に、原爆ドームに来る外国人観光客を回天の島にも来てもらうためのプランを作成。全国の高校生が観光による地域活性化のアイデアを競う「高校生まちづくりコンテスト」にプランをエントリーした。
コンテストで双葉さんは「『回天という言葉を聞いたことがありますか』と聞くと、ほとんどの方が『知らない』と答えられました。そんな方に私は回天について、簡単なプレゼンを行いました。その後に『回天に行きたいか』と聞くと、ほとんどの方が『行ってみたい』とおっしゃっていました。最終目標として、外国人が回天にも訪れて平和の認識を高めてほしいと同時に、周南市を観光を通して活性化させることです」とプレゼンした。
見事、2位に当たる学長賞を受賞。受賞報告を兼ねて周南市長を訪問し、回天記念館のインバウンド対策を要望した。
双葉さんが初めて清積さんと会ったのは2024年3月、清積さんが大津島で毎年開いている慰霊祭の時だった。清積さんは双葉さんにとって是非とも話を聞いてみたい人だった。
「この方だけ、出撃する時に『天皇陛下万歳』と言ったのは。他の方は全部『お世話になりました』と言った」「硫黄島かどこかに行った時、回天搭乗員が出撃前に『アイスクリームおいしかった』と言った」(清積さん)
「だから慰霊祭に毎年アイスクリームを」(元乗組員の遺族の女性)
「いつもお供えしていた」(清積さん)
「みんな若いけんな」「今の時代では考えられないな。こんなことは学校でも教えないからな」(清積さん)
「全然教えられないですね、今でも」(双葉さん)
「こういう遺書を書けと言われても、おたくら書けまいがな」(清積さん)
「自分だったら現実を絶対受け止められない」(双葉さん)
「すごいと思うよ、昔の方は。こんなことをするような時代が来たら大変よな」(清積さん)
「今(世界では)戦争とかしているので、本当にこんな世の中にはなってほしくない」(双葉さん)
■「別れの盃」と受け継がれる記憶

愛媛県松前町に住む清積さんは、30年ほど前に妻を亡くしてからは一人で生活している。
「あの当時は何をおいてもとにかく『お国のために』という頭があった。だから青春時代というのはなかった僕は全然」(清積さん、以下同)
清積さんは15歳で山口県にあった海軍潜水学校に入校。その跡地を訪ねた。
「思い出すな、ここで9カ月勉強したけんな。アメリカが悪い、米英撃滅かな。とにかく日本国民のためにお前らは盾となって頑張って行く覚悟をせいと」
潜水学校はのちに回天訓練基地に変わった。基地の跡地には小さな資料館がある。当時の記憶がよみがえる。
「一番頭に残っているのは、潜水艦が出て日本の国土から見えなくなる時に、艦長が『お酒を持ってこい』と言って、何に使うのかと思ったら、もう実際にお前ら(回天搭乗員)が出る時には見送りもできん、何もできんから、これが日本の最後の見納めだと(外を見せた)ことと、別れの盃をここでしておくと言って、(自分が)酒を持っていった。これが一番最初の仕事」
「(Q.今は回天を知らない人が増えた?)回天を知らない人がだいぶおる、はっきり言って。回天というのはね、椎木さんかな、あの方がおる間はなくならんと思う。あの子は本当よう頑張ってくれている。おそらく大津島もここも回天の記念館と言っても、何の記念館かなと思って訪ねてくる人も少なかろう」
双葉さんが作成した「原爆ドーム」と「回天の島」との周遊プラン。2025年3月、双葉さんはツアーの体験会を実施した。双葉さんが通う高校の教師や留学生など6人の外国人が参加してくれた。
広島から周南市までは新幹線で移動し、原爆ドームを出てからおよそ2時間で大津島に到着した。参加した外国人は皆、初めての大津島訪問だった。
「回天訓練基地です。(回天の)操縦は少しはできましたが、ほぼ何も見えないので非常に困難でした。回天搭乗員が最後に見るのは闇でした。ある回天搭乗員が出撃を前に『アイスクリームを食べたかった』と言ったそうです。隊員たちが家族に書いた手紙です。英語で読んでみます。“皆様ありがとう 思えば楽しい20年の人生 皆様のご厚意を体し 笑って突っ込みます” 回天搭乗員の遺書です」(案内をする双葉さん)
参加したアメリカ人教師は「多くのアメリカ人は神風は知っていますが、回天はほとんど知られていないと思う」と話し、フィリピン人教師は「非常に驚き、とても悲しいと感じました。任務に選ばれてそれを実行すると、生還できないことが明らかだからです」と述べた。インドネシア人留学生は「回天の犠牲者の手紙を読むことは非常に心を動かされ、平和の価値の重要性を再認識させてくれます」、別のアメリカ人教師は「若い人たちに戦争の惨状を理解してもらうのは難しいですが、こうした博物館は戦争がどのように起こるのかを理解する助けになります」と感想を述べた。
双葉さんは「自分のウェブサイトをより海外での検索数を増やし、そこで回天に行ってみたい、回天を訪れてみようかなという、原爆ドームに行くついでに訪れたいという人を、最初は1カ月に10人増えれば、今ゼロなところを10に増やすというのは重要なことだと思っているので、どんどんその数を、外国人の方に訪れてもらって、この街の大津島にある回天の歴史を多くの方に知ってもらい、風化させない、歴史を作っていきたいと思っています」と意気込んだ。
■「忘れるつもりはない」託されたバトン

体験ツアーの後、双葉さんはホームページをリニューアル。原爆ドームから大津島へのアクセスなどを追加した。
JR徳山駅に設置された回天記念館への案内板。これは双葉さんの提言を受け、周南市が設置したものだ。
回天記念館ではこんな取り組みも。「英語のパンフレットです(2025年4月作成)。回天記念館の説明や回天とはどんなものかが説明してあります。あとは館内の展示の説明ですね。(外国人の来館は)週で3~4組来る感じ」(岩崎達也さん)外国人にも少しずつ知られるようになってきた。
双葉さんは「知名度がまだ足りていないので、海外のEC(通販)サイトなどを通じてルートを作るのと、それに対応できるような環境の強化が必要だと思っていて」と語る。
こうした双葉さんの活動に関心を寄せた人がいる。元読売旅行社長の貞広貴志さんだ。現在は周南市で観光コンサルティング業を開業し、自治体へのインバウンド支援などを行っている。
貞広さんは「今回の双葉さんのプランが、広島から連れてくるだけでなく、原爆記念資料館と、ほぼ海外では知られていない回天を結びつけたところが大きくて、そういうストーリー性、一つに連なった物語があると高付加価値の文化的歴史的な関心の高い人を引きつけることになると思います」と分析する。貞広さんは地元の旅行会社などと協力し、広島からのインバウンド向け回天記念館見学ツアーを計画中だ。
2025年11月、高校3年生の双葉さんは受験勉強で忙しい日々を送っている。回天のことはちょっと一休み、大学合格を目指して全力投球だ。
そんな忙しい中、「年に2回しか会えないので、結構楽しみではありました。清積さんも自分の活動をいろいろな人を通して、頑張っているねとかいろいろ感想なども聞いているので、清積さんに会えることはすごい楽しみです」(双葉さん)
待合室で清積さんと再会した双葉さん。
「清積さん、椎木双葉です」(双葉さん)
「椎木さん、いつもありがとうございます。あんたに会いたいから無理してきたんよ。いつもありがとうございます」(清積さん)
「清積さんのお陰なので」(双葉さん)
「回天のことを、このごろ誰も言ってくれんのよ」(清積さん)
「そんなこともないですよ。最近は少し外国人も増えているらしいです。これからもっと増やしていくので」(双葉さん)
「これからも頑張ってください。どうもありがとうございます」(清積さん)
「いや、全然全然…」(双葉さん)
「お礼を言いにきたんよ、うれしい」(清積さん)
「こちらこそうれしいです」(双葉さん)
双葉さんはお見送り。この後、再び受験勉強に戻る。
今年も回天を知る戦争体験者の出席は、清積さん一人だった。「とにかく教育で仕込まれてみんなが洗脳されてしまったんだから、あんたたちは絶対にこういう間違った教育を受けずに、平和な日本で過ごせるようにしてもらいと思っている」(清積さん)
「(Q.椎木さんに回天の何を伝えていってほしい?)当時の空気、あれがいかんかったからこういうことになった」
双葉さんは「将来のことはまだ見えていないんですけど、自分が一つ言えることは、国際的にどの分野でも活躍できるような人でありたいと思っています」と語り、「どの分野に行っても回天のことは忘れないでくださいね」と言われ、「忘れるつもりはないです。大丈夫です」と力強く答えた。
※年齢等は2025年12月4日放送時点
(山口朝日放送制作 テレメンタリー『回天JK』より)
