※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2026年9月号からの転載です。

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三浦しをんさん


 カリスマ、とはなんだろう。人の心をいやおうなしに惹きつける、光り輝く存在。けれど、ときに暴力性をはらむそれは、果たして本当に光なのだろうか。カリスマをテーマに描かれた連作短編集『夜の恩寵』を読むと、誰かを信じ、心を委ねることのあやうさを突きつけられて、足元がぐらつくような感覚を味わう。

「昔から、天草四郎のことがすごく気になっていたんですよ。不思議な力を発揮して、人々を導いたと言われているけれど、彼の披露した奇跡は長崎で外国人から教わった手品だったらしいと聞く。それでも現実に、彼の導きによって乱がおきて何万もの人が命を落としたのは事実なわけで、それはいったいどういうことなんだろうと漠然と興味を抱いていたんです。天草四郎ほどの大物でなくても、学校などの小さなコミュニティで突出した技能をもち、『あの人はすごい』ともてはやされる人が存在していますよね。信仰や宗教というのは、そうした小さな光をまとい、小さな力をふるう人を中心に生まれるような気がして、その原初のうごめきを描いてみたいと思ったんです」

 第1話「神馬に乗る女」の主人公、輝久にとっての小さな光は、十歳のころに出会った父の再婚相手・喜久美だ。実の母が亡くなった原因であり、輝久がずっと遠ざけていた自転車を神馬のように乗りまわし、後ろに輝久を乗せて、まばゆい世界へといざなってくれた彼女は、今、ヌチガミさまと呼ばれる“何か”をおろして地元の人々を癒し、神のように崇められる存在となっていた。

「神さまが憑くようになって、ご近所さんの関節痛などを急に治しはじめた人がいる、という話を友人から聞いたことがあったんですよ。治してもらった人たちはみんな、不要になった杖を置いていき、それが全部、長押に沿ってぶらぶらとさげられている。滑稽でもありおそろしくもあるその情景を、今作では使わせていただきました。喜久美の場合は、くわえて、彼女が育てている万年青をみんなが育てるようになるんですよね。万年青の強い繁茂力や形状には薄気味悪さを感じていたし、そもそも植物というのは、どれだけ愛情を注いで育てても意思の疎通がとれない存在でもある。惹かれるけれど、とらえきれない。その感触も重ねられたらいいなと思いました」

■夢と現実の境目がとけてしまうことの怖さ

 喜久美が人の心をつかむのは、痛みを癒すからというよりも、相手が望んでいることを言い、してくれるからだ。幼い輝久に、まっすぐ手をのばして、実母を喪失した世界から抜け出させてくれたように。

「誰かを、何かを、盲目的に信じるということが私にはできなくて。中高時代、カトリック系の学校に通っていたけれど、キリストがパンや魚を増やしたエピソードに触れても私はマジかよって笑うばかりなのに、シスターたちは本気で信じているように見えた。その信仰心は生きるうえでの強い軸であると同時に、思考放棄のあやうさをともなうようにも見えたんですよね。あくまで自分を支えるものの一つに過ぎないと最初はわかっていたはずなのに、うっすらでも信じ続けるうち、その光にとりこまれてしまう。自分、というものを失ってしまうのではないかという、境界線のあやふやさを今作では夢に置き換えて描いてみました」

 蝶になって舞う夢を見た荘子は、目が覚めたあとの自分こそが蝶の見ている夢なのではないかと疑う。その故事を冠した第2話「胡蝶」の主人公・未千は、夫とのあいだになしえない子を夢で孕み、夢のなかで出産し育てるようになる。もともと、予知夢を見る一族に生まれ、その力をもつ彼女にとって、夢は信じる対象であったことも大きく左右する。

「実は私自身、妊娠した夢を見たことがあるんですよ。仕事をどう調整つけようかと焦ったり、つわりがあったり、その感覚がかなりリアルだったから、目が覚めてから混乱してしまいました。昔から夢の続きを見ることもよくあって、今は『またあのシリーズが上演されている』と冷静に受け止めることができるけど、もしそのまま現実との境目がわからなくなってしまったらどうなるんだろうという不安もうっすら抱えていたんですよね。夢というのは、現実と非現実の狭間にあって、心の揺らぎを具現化してくれる場所でもある。その揺らぎが現実に侵食してきてしまったら、人はきっと安定して生きることはできない。そのおそれを未千を通じて描きはじめ、そうはいってもいずれ我に返るだろう、夢から抜け出せるだろうと思っていたのに、彼女は全然、戻ってこない。引き戻そうとしても、みずから夢にとらわれにいってしまう。その過程を描くあいだはずっと息が詰まる思いでしたし、私自身、体調を崩すことが多かったです」

■こうあるべきと思い込む心の隙間に夢は入り込む

 一方で、本作では夢見の一族に生まれながら、夢に一切とらわれることなく、現実をふみしめながら生きる六実という少年の成長も第4話「金の糸」で描かれる。

「何かを信じすぎるのは怖いけど、何も信じないで生きることはできない。人はどうしたって希望を抱いてしまうものなんですよね。第3話『夢見る家族』で完全に夢に飲み込まれてしまった人たちを描き、ずいぶんと息苦しい展開が続いてしまったけれど、日常に差し込む光の美しさや、信じることのよい側面も書いておきたい、と思いました。六実もすこやかないい子だけど、彼が高校時代に出会ってバンドを組むゴンゾーもめちゃくちゃいい奴なんですよね。お互いのことを信じながらも依存しない彼らの音楽が、演奏する場だけでなく、この小説そのものも清めてくれたような気がしました」

 そこには、三浦さんの「音」と「声」への想いもこめられている。

「私、書きながら登場人物の姿を思い浮かべることはないんですけど、声が聞こえてくることはあって。寝入りしなに、誰かの呼び声みたいなものが聞こえて、はっとすることもあるんです。そういうものを人智を超えた力として利用するのが喜久美のような人で、だからこそ名前に『きく』という音を入れたんですけど、私はそこに特別な意味は感じていない。ただ不思議だなと思うし、人の声には不思議な魅力があり、音楽には空気をふるわせながら明るく人の心に届かせる何かがあるとも思う。そうした想いも作品に投影できたのはよかったなと思っています」

 六実がすこやかなのは、まさに、何かに特別な意味を持たせすぎないからだ。実は彼もまた夢見の一族に関係しているのだが、複雑な生い立ちにも、深くとらわれたりしない。小さな光に支配されたコミュニティの外で、自分の足で生きていくことを選ぶ彼の姿は、読み手である私たちにも救いをもたらしてくれる。

「口では、子どもがいなくても夫婦二人で仲良く暮らせばいい、と言っていた未千も夫も、家族はこうあるべきという理想にとらわれていたと思うんですよ。その心の隙間に、夢はすべりこんできた。自分で納得して選ぶのではなく、なんとなくよしとされている型にはまろうとして、うまくはまれないでいる不安に、信仰というのはつけこむんじゃないかと思うんですよね。小説も同じで、きっと、強い言葉で誰かを誘導するようなテーマを掲げれば多くの人の心をつかめるんだろうけど、それはやっちゃいけない、自身のことも信じすぎてはいけないと、私も常々、自分に言い聞かせています。きっとこれからも、どこか型にはまれない人たちに惹かれてしまうし、信じることの力よりもおそろしさのほうを描いていくのだろうと思います」

取材・文:立花もも 写真:山口宏之

みうら・しをん●1976年、東京都生まれ。著書に『まほろ駅前多田便利軒』(直木賞)、『舟を編む』(本屋大賞)、『あの家に暮らす四人の女』(織田作之助賞)、『ののはな通信』(島清恋愛文学賞、河合隼雄物語賞)、『愛なき世界』(日本植物学会賞特別賞)など多数。自身も夢を見るのが好きで、夢日記をつけていた時期もある。



『夜の恩寵』

(三浦しをん/集英社) 2145円(税込)

ある日突然、父から「助けてくれ」と電話を受けた輝久は、母が時折「ヌチガミさま」と呼ばれる何かをおろし、近隣で崇められる存在になっていると知る(「神馬に乗る女」)。高熱にうなされて以来、予知夢を見るようになった未千は、夢のなかで子どもを産むが、その子どももまた夢見の力を継いでいた(「胡蝶」)。全5編の物語で、人智を超えた力に翻弄される人たちを待ち受けるものとは――。