スペインで12年間、プレーした中井。マドリーでの時間は特別だったようだ。(C)Mutsu FOTOGRAFIA

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 ピピの愛称で知られ、2014年夏に10歳でレアル・マドリーの下部組織に加入した中井卓大。スペインの超名門で過ごした時間は、サッカー人生を形作るうえでかけがえのない財産になっているようだ。

 全3回にわたる今回のインタビューでは、第1回で新天地・FC今治での挑戦に至った背景を聞いた。第2回では、マドリーでの日々を振り返ってもらった。

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 2022年の7月、18歳でレアル・マドリーBチームのカスティージャ(3部相当)へ昇格した中井は、その後にCFラージョ・マハダオンダ、SDアモレビエタ、ラージョ・カンタブリアへのレンタル移籍を経験。25年6月にマドリーを退団し、同年8月からはレガネスBでプレーしていた。マドリー出身という肩書きもあり、幼少期から注目を集めてきたなかで、周囲の視線をどのように受け止めているのだろうか。

「周りの人たちの見られ方は、僕の中で全然、意識していません。僕は小さい頃から性格が変わらなくて、ポジティブで明るいサッカー少年です。他の人たちが応援してくれていても、何かネガティブなことを言われていても、本当に気にしないです。常に『ありがとうございます』という気持ちを持っています。何かを言われている分、注目されているという意味なので、そこはありがたい話です」
 
 10歳で飛び込んだマドリーの育成組織。その狭き門を突破した経験は、中井の人生を大きく変えるきっかけとなった。

「レアルに入れたのは9割運で、本当に奇跡だったと思います。残りの1割は助けてくれたみんなのおかげと、僕がやってきたことが実ったのかなとも思います。99%、受からないと言われている入団テストに1週間、参加させていただきました。その期間中にうまくプレーできて合格できました。そこから人生は180度、変わりましたし、まさかスペインに12年間も住むとは思っていませんでした」

 16歳でマドリーのトップチームの練習に初参加した。

「16歳の時、2021年10月12日に初めてトップチームに上がりました。その日だけは鮮明に覚えています。代表ウィークの時で、ベンゼマ、ヴィニシウス、マルセロ、イスコなどがクラブに残っていました。当時はコロナ禍だったので、前日にPCR検査をして陰性だったら行けるという状況で、『陰性であってくれ』と祈っていました。

 次の日に行ったら、普段あまり緊張しないタイプですけど、さすがに足が震えましたね。でも、昔から接点があったマルセロが『ピピ、大丈夫だよ。同じサッカーだから』と言ってくれて、すっきりしました」
 
 世界最高峰の選手たちとともに汗を流した経験は、苦しい時期の支えにもなった。

「本当にトップチームの練習のおかげで、カスティージャで試合に出られなかった時期も、サッカーを楽しく、自信を持ちながらできていたと思います。練習に参加した時は、目の前にベルナベウで見ていた選手たちがいて、スピードや強度も高かった。周りもうまいからこそ僕も良いプレーができましたし、うまく活かしてくれる感覚がありました。

 トニ・クロースとかも一緒にプレーしていて、すごくやりやすかったです。欲しい場所とタイミングにパスが来るので、ミスしようがないというか。『良い選手たちとプレーすると、僕自身も成長していくし、うまくなる』という実感がありました。

 あとは、今まで一緒にサッカーをしてきた選手たちの中で、一番純粋にサッカーを楽しんでいる選手たちの集まりが、レアル・マドリーでした。もちろん仕事でもありますけど、本当に友だちに誘われて、公園に行ってサッカーをすると、きって楽しいじゃないですか。その感覚で彼らは練習場に来ていた印象があります。技術的に優れているのは当然ですけど、『サッカーを楽しむ』という姿勢には毎回、驚かされました」