「死んでる?」「意識は?」時速84キロの車にはねられ地面に叩きつけられた被害者も…【死傷者12人】暴走した飯塚幸三の車が捉えた「衝撃の瞬間」《池袋暴走事故》〉から続く

「こんな悲劇は、絶対に繰り返してはいけない」――2019年4月19日、池袋の街で12人が死傷した「池袋高齢者暴走事故」。愛する妻子を失った松永拓也さんと、猛烈な誹謗中傷を浴び続けた加害者家族の双方に深く寄り添い、7年間取材を続けてきた記者は、なぜ今この事件を一冊の本にまとめたのか。

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 加害者・飯塚幸三氏の獄中死を経てなお、遺族と加害者家族が「事故の現実を記録してほしい」と出版に同意した背景には、ある強い願いがあった。

 TBSテレビの守田哲氏の新刊『池袋高齢者暴走事故 遺族と加害者家族の2060日』(文藝春秋)より、同書の出版経緯をお届けする。(全3回の3回目/最初から読む)


加害者である飯塚幸三氏は2024年10月に老衰のために刑務所内で死亡した(写真:時事通信社)

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「事故で妻子を失った男」と「加害者の長男」

 私は池袋暴走事故の遺族や被害者をはじめ、一〇〇人ほどの関係者に話を聴いてきた。その中で、私が最も数多く接触を重ねた人物が二人いる。ひとりは事故で妻子を失った松永拓也。

 もうひとりは加害者である飯塚幸三の長男だ。松永とは一〇〇回以上、長男とは数十回にわたり面会した。

 池袋暴走事故は、松永の妻である真菜さんと娘の莉子ちゃんが亡くなり、一〇人が重軽傷を負った。飯塚幸三は禁錮五年の実刑判決を受けて収監されたが、刑期を全うすることなく獄中死した。本書は、私が七年間の取材で得た、どのメディアも報じていない独自の記録を綴ったものである。

遺族の心の傷は癒えていない

 池袋暴走事故は関係者にとって依然センシティブな事件だが、加害者である飯塚幸三がこの世を去り、あらたな証言が出てくる可能性はほぼなくなった。松永、飯塚両家に本書の出版を相談したところ、「事故の現実を書くのであれば」と同意してくれた。七年という歳月は長く感じられるが、事故の重大さに比べるとまだ日が浅い。遺族の心の傷は癒えていない。また、加害者側には誹謗中傷がいまもなお続いている。

 執筆を一〇年、二〇年と待った方が望ましいとも悩んだ。しかし、高齢ドライバー問題は、若いうちは家族として、老いてからは当事者になる。池袋暴走事故は「時代の鏡」といえる事案であり、その知られざる真相を早く伝える必要があると考えた。

 私はこれまでの取材内容の一部を「報道特集」などで放送したが、取材の全てを伝えきれていなかった。池袋暴走事故をめぐる報道全般を見ても、全体像を伝えるものは多くない。こうした状況も執筆の動機となった。

 本書の記述は当事者や関係者の「証言」と「物証」に依拠した。松永拓也はあらゆる質問について証言し、妻の育児日記も見せてくれた。プライベートをほぼさらけ出してくれたといっても過言ではない。

 飯塚の長男も同じ姿勢で臨んでくれた。彼は自身が作成したメモや、父親の日記などを提供してくれた。

事故の現実を記録して欲しい

 次に「物証」に関して。事故の描写の記述には根拠がある。当初、東京地方検察庁で訴訟記録を閲覧しようとたが、閲覧まで時間がかかる可能性や、量が膨大で全部が開示される可能性は高くないと考えた。また、謄写の手間や黒塗りのリスクなども懸念した。そんななか、幸運にも事故の捜査資料を入手できた。また、数年を要して、事故の核心ともいえる飯塚の車のドライブレコーダーの映像も見ることができた。

 ドラレコ映像には特定の被害者が映っていたため、その描写には倫理的な問題が発生する。

 私は、すでに亡くなっている松永真菜さんと莉子ちゃんの代理として、夫であり父である拓也に相談した。拓也は心情的な理由で映像を全て見たことはない。しかし、それでもなお、事故の現実を記録して欲しいという理由で、私の申し入れを承諾した。

 第一被害者の石川憲一も同じく了承した。そして、飯塚の長男とも議論を重ね、彼も悩んだ末に決断した。この背景には、松永拓也という稀有な遺族の影響があった。

 その経緯は本書の後半で詳述する。本書では重要な事実に関わるものは出典を明記するが、それ以外は省略する。紙幅の関係上、有識者の見解などは最小限に留め、事実の評価は読者に委ねたい。

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 本の中身は【下記リンク】「なぜ速度が落ちないのか」死傷者12人、妻と娘を失った男性も…《池袋暴走事故》加害者・飯塚幸三が見た「大惨事の予兆」 で読むことができる。

(守田 哲)