(撮影:岡本隆史)

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2026年上半期(1月〜6月)に公開した記事の中から、特に反響の大きかった人気記事をお届けします。(公開日:2026年1月26日)*********演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が訊く。第49回はダンサーの田中泯さん。映画『たそがれ清兵衛』をきっかけに俳優としての活動も増え、映画『国宝』では女形の役のため、日本舞踊を習ったそうで――。(撮影:岡本隆史)

【写真】ローマのアッピア街道にて

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<前編よりつづく>

しゃべるのが苦手すぎて

そしていよいよ映画『たそがれ清兵衛』。泯さんは謀反の疑いをかけられて立てこもるなか、藩命を受けた清兵衛に上意討ちされる余吾善右衛門役。この名演が第2の転機と思われる。

――まぁ、そう言えますね。57歳になった時、あ、この年で土方先生は亡くなってるんだ、と思った。彼は爆発するように生きていた人だったから、エネルギーを使い果たしたみたいに駆け抜けて死んでいったと僕は思ってます。が、一方で僕は、踊ることだけに夢中で生きてきたけれど、自分の時間において歪(ひず)みみたいな時期でした。

一体どうしたらいいんだ、と思ってるところに、『たそがれ清兵衛』の話が来たんですよ。ヴォードヴィリアンのマルセ太郎さんと僕はすごく親しくて、山田洋次監督もマルセさんと交流があったようで、彼が亡くなった際に、僕はその追悼の会で踊ったんですけど、その時、監督も会場にいらしてました。

その後、僕が暮らしている山梨の家まで、スタッフと一緒に口説きに来てくださった。それからしばらくして、主演の真田広之さんは一人で山に来てくれて、一晩飲み明かしました。(笑)

土方巽さんは『闇の中の魑魅魍魎』という、幕末の天才絵師・絵金の映画にご出演なさってますね。

――それと篠田正浩監督の『卑弥呼』や、小川紳介監督の『1000年刻みの日時計 牧野村物語』などにも出て、映画の中で踊ってるんですよ。土方さんと共演した三國連太郎さんが、「あの方は、すごい人だと思った……」とテレビで言ってらしたのを僕は偶然見ていました。

その三國さんが、『たそがれ清兵衛』で僕が賞をいただいた授賞式で、僕のそばに来て「よかったよー」って褒めてくださった。なんだか、僕は一気に俳優さんたちの世界に引き込まれた気がしましたね。

話は前後しますが、だから土方さんが「やってみたらいいんじゃないか?」って言ってるように思えて出演した気がします。

大体、僕が踊りを選んだ一番の理由は、しゃべるのがすごく苦手で。学校で先生に指されて教科書を読まされるのも苦痛だった。自分の感覚に夢中になって、一人で自然の中で遊んでいるような子どもだったんで、言葉をしゃべる仕事には一生関わらない、と思ってたんですけどね。

そういう泯さんのこれまで生きてこられた顔と姿の静かな佇まいが、台詞よりも鮮烈にあの人物を物語っていました。骨壺の骨をポリポリ食べる場面は、鬼気迫るものがありましたね。

――実は、あれは早逝した僕の弟の本物の骨なんです。僕よりはるかに感覚の秀れた弟でした。彼のセンスには勝てないとずっと思っていましたから。彼は料理人の道に進んで40代で亡くなった。この弟が「寅さん」の大ファンだったこともあって、山田監督に相談して、弟の骨を入れさせてもらったんです。

僕も命懸けで挑んでいたから、監督とカメラマンの六さん(長沼六男さん)以外は知りませんでした。真田さんの清兵衛といよいよ立ち合う前、骨を食べるシーンがあるわけですが、あ、いや、これ、書かないで……。いや、供養だからいいかな……。

伝統の踊りを初めて学んで

そして最近出演された映画『国宝』は、第3の転機になりえたのだろうか。

――ええ、あくまでこのテーマの中で伝えられるトピックスとしての僕のキャリアでしかありませんが……こんな転機が最近になって訪れるとは思いませんでしたね。

映画で『鷺娘』を踊るに当たって、振付の谷口裕和先生に日本舞踊を3ヵ月くらい一から習いました。踊りといっても基本から違うし、身体の筋肉の使い方、特に女形は肩を柔らかくしないといけないなど、いろんな条件があります。

僕は生まれて初めて、伝統の形がある踊りを踊ったわけなんです。それで撮影が終わった今でもずっと、谷口先生に日本舞踊を教わっています。

『国宝』に出る前から、身体表現という意味で、古いものですが、かつての名作と言われている歌舞伎の映像は見てました。いつになっても色褪せない美しい表現はジャンルを超えて存在しますよね。

思えば日本舞踊の名人・武原はんさんの地唄舞なんかも、あの見せ方はスーパーな前衛だと思っています。1時間かけて1メートルくらいしか動かない。僕の裸体の頃の路上の踊りと、とても近いと思ったり。僕の中で『国宝』は大変に得るものがありました。


筆者の関容子さん(右)と

これだけ俳優として大成なさっても、山梨では農業も続けていらして。土との関係を絶たないところがすごいですね。

――自分も生き物の一人、と思うことが重要なんです。生き物に対して僕が捧げる目線、声を掛けること。われわれも死ねば「物」になる。するとバクテリアなんかが応援してくれて、分子化していく。そうすると僕たちは物として生き続けていける。

少なくとも人間の魂というのは、その人と共に過ごしたことのある人たちによって、地球上のある空間を絶対的に占めていけるわけですよね。これ素敵だな、なんて思うことが土との関係で生まれてきますから。

日本舞踊がこれから泯さんの踊りにどう昇華されて、どんな変化を生むかというのがとても楽しみ。〈名づけられる踊り〉が生まれるかもしれませんね。

――ええ、僕も変わっていくと思いますよ。それが伝統の証しだと思います。伝統は保存すれば抜け殻になってしまいますからね。変わっていかなくては。

泯さんの今後の進化からも目が離せません。