林健治氏

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 物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は6月22日に亡くなった、和歌山毒物カレー事件の林眞須美死刑囚の夫・林健治氏を取り上げる。

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【写真を見る】晩年は足が不自由になり、長男やヘルパーの助けを借りて生活していた林健治氏

 1998年7月、和歌山市内の夏祭り会場で事件は起きた。ヒ素が混入されたカレーを食べた4人が死亡、63人が中毒になったのだ。

 この事件で殺人罪などに問われ2009年に最高裁で死刑判決が確定した林眞須美死刑囚の夫が健治氏だ。

 現在64歳の林死刑囚はカレー事件への関与を一貫して否定し、裁判のやり直しを求め、24年に3回目となる再審請求を申し立てている。健治氏は妻の無実を訴え、活動を続けていた。

林健治氏

 年齢が16歳離れた二人が結婚したのは83年。健治氏には3度目の結婚で、1男3女が誕生した。

「身内として母を信じることは許して」

 会社勤めをしながら名を伏せて父の活動を支えてきた長男が言う。

「父は脳出血で倒れ、70歳を超えて体力が落ちても取材を断らない。私は少しずつ活動を引き継ぎました。父と違い母の無実を声高に主張しようとは思っていません。父や私を不快に感じる方々が大勢いると分かっています。身内として母を信じることは許していただきたいとの思いです。一方、両親が保険金詐欺を繰り返し億単位のお金を得た事実を忘れ去ってはいけません」

 健治氏は45年、香川県生まれ。眞須美死刑囚とは彼女が看護学校在学中に友人の紹介で出会い結婚。

「私が生まれた(87年)頃、家の主な収入源は、すでに保険の給付金だったわけですが、私は父の仕事が麻雀と思っていました。父が動物園だと連れて行ってくれた先に馬しかいなかったこともある。競馬場ですね。小遣いを渡すのを照れくさがって、私が飲んでいるラムネを指さし、それを1万円で売ってくれないかなどと言う。カラオケが好きで、中でも石原裕次郎をよく歌いました」(長男)

「法を犯している自覚がなく……」

 夫婦はケガを悪化させたり体調を崩したと訴えたりして保険金の詐取を始める。健治氏は白アリ駆除の経験からヒ素の危険性を熟知、病気を装うために何度も意図的に口にしたと後に公言している。

 カレー事件発生から約2カ月後、健治氏は保険金を不正に得た詐欺容疑で妻と共に逮捕された。妻は後にカレー事件に関して、殺人および殺人未遂容疑で再逮捕されたが、健治氏は詐欺容疑のみが問われた。00年、懲役6年の実刑が確定、05年に出所する。

「父は和歌山市内で一人暮らしを始めた。話好きでサービス精神が旺盛。記者が訪ねてくると、自分の体を張って金を得たと言って保険金詐欺を誇らしげに話すことがありました。かつての父は法を犯している自覚がなく、体を壊してでも豊かな生活を得ようと考えがまひしていたと分かった。出所後、父と一緒にスーパーに行った時、値札を見て“高い”と呟いて棚に戻した姿が忘れられません。金銭感覚が服役で完全に変わっていました」(長男)

「母の顔が急に赤くなり、じんましんのようなものが……」

 カレー事件被害者の会副会長の杉谷安生氏は言う。

「大阪の民放テレビで健治氏と対談した時、くだけた雰囲気で話しかけてきましたが、妻は無実だと自分の考えははっきり述べていた」

 足が不自由になり、長男の助けのほか、食事はヘルパーの手も借り、週に2回以上はデイサービスに通っていた。24年にはカレー事件を検証するドキュメンタリー映画「マミー」(二村真弘監督)に協力している。

 昨年、肺がんで手術。今年、転移が分かり6月15日から抗がん剤の治療を受けていた。6月22日、81歳で他界。

〈4人の子供に、取り返しのつかない過ちを犯してしまいました。いくら悔いてもどうすることも出来ず、又、眞須美の帰りを迎えいれる事が出来ず死を迎えました。「無念でなりません」〉などと記し、多くの方に迷惑をかけたことをわびる内容の遺書を残していた。

「母に面会して、父の死を伝えました。“健治あかんかったわ”と告げると、母の顔が急に赤くなり、じんましんのようなものがサーッと現れました」(長男)

週刊新潮」2026年7月9日号 掲載