名だたる武将たちも持っていた!天才たちを育てる愛知県民の「県民性」とは【眠れなくなるほど面白い 図解 愛知の話】
我慢強さは県民性? 柴田勝家、前田利家、秀吉や家康も我慢の人
我慢強い人物が名を残した
愛知県の県民性は、「個性的」「堅実」といったことに加え、「我慢強い」という点も挙げられます。ここでは戦国時代の代表的な武将から、その我慢強さを見ていきましょう。
戦国時代の武将・柴田勝家は、織田家の家臣として信長の父である信秀に仕えていました。織田家の家督継承の際は、信長の弟である信勝の側について信長排除を試みました。そのため、信長とは対立していましたが、のちに信長の家臣となり、苦労の末に認められました。
前田利家も信長の家臣でした。家臣間でのいさかいにより、一度は信長に追放されます。しかし、我慢を重ねて功績を上げ大名にまで上り詰めたのです。ほかにも、農民出身ながら、献身的に信長に仕えた豊臣秀吉、長い人質生活を耐え抜き、天下統一を果たした徳川家康も、愛知出身の我慢の人といえるでしょう。
この我慢強さは、三河武士に代表される辛抱強い気質や、競争が激しい地域で育まれた性格、さらに一般の人たちにおいては、ものづくりを支えた職人気質などから生まれたものと考えられます。
近年においてもその我慢強さは受け継がれており、トヨタ自動車を創業した豊田喜一郎や、ノーベル賞を受賞した益川敏英、小林誠の両氏など世界的にも有名な人物を輩出し続けています。
4人の武将は我慢の人だった
柴田勝家
もともとは、信長の弟・信勝を擁立し、信長と対立していたが、のちに信長につき、ひたすら仕えた。
前田利家
一度は信長に勘当されるも、我慢と努力で這い上がり、信長もその執念を認めて復帰させた。
豊臣秀吉
もともとは農民の身分であったが、信長に仕えるようになり、数々の無理難題にも応えて、天下人となった。
徳川家康
幼少期から、長い人質生活を送るも、持ち前の我慢強さで勝機を待ち、ついに天下統一を果たした。
近年において、我慢強い努力で結果を出した人も
【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 愛知の話』監修:宮本佳範
【監修者紹介】
宮本 佳範(みやもと・よしのり)
愛知県生まれ。名古屋市立大学大学院人間文化研究科博士後期課程修了。博士(人間文化)。愛知東邦大学経営学部教授。一人旅が好きで、回り道をしつつ観光の研究者になる。専門は観光社会学。持続可能な観光マネジメントの在り方に関心を持ち、観光地で起きている様々な問題について研究。また、“観光は地域のPRメディア”という視点にたち、学生と地元愛知・東海の歴史や文化、自然、産業の魅力を深堀りするツアーの企画にも取り組んでいる。

