泉ピン子さん(写真:『ピン!として逝くのもいいじゃない ピン子78歳、最後に残したい言葉』より)

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18歳で歌謡漫談家としてデビューし、ドラマ、舞台、映画、講演など、多方面で活躍されている泉ピン子さん。ご自身の人生を振り返り「色々と言われてきたけど、私はずっとただがむしゃらに、目の前のことに一生懸命向き合って、正直に生きてきた」と語ります。そこで今回は、泉ピン子さんの著書『ピン!として逝くのもいいじゃない ピン子78歳、最後に残したい言葉』より一部を抜粋して、波乱万丈な人生をお届けします。

【書影】災い転じて福となす…あたし流、生き方の極意。泉ピン子『ピン!として逝くのもいいじゃない ピン子78歳、最後に残したい言葉』

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気乗りしないことは避けたほうがいい

若い頃の私は、「呼ばれたら絶対に断らない女」だったけど、それでも断っていたのは、政治に関わること。

選挙に出てくれって言われたことは、何度もあるわよ。料亭みたいなところに呼び出されて、「参院選の目玉が欲しいんです」って頭を下げられた。1977年か、80年の選挙だったんじゃないかな。

出る気なんて最初からまったくなかった。でも参院ってのが何となくしゃくでね。「衆院議員だったら考える」って断った。

そしたら、次は本当に「衆院選に出てください」と来たのよ。

それで私、「あのね先生。私なんて目の前に200万円ぐらい出されたら、すぐに手を黒く染めるわよ。危険だからやめておきましょうね」って言ったら青ざめてたわ(笑)。

でも結局、6回ぐらい誘われたわよ。全部断ったけどね。

東京五輪組織委員会の顧問

ただ、2020年の東京五輪組織委員会の顧問をやってほしいとある政治家から言われたときには、仕方がないから引き受けた。そして、これが大間違いだった。

顧問になると、東京で五輪とパラリンピックを開催する前の4年間、毎月1回の聖火リレー検討委員会ってのに出席させられるの。当然、熱海から通うんだけど、「五輪はボランティア精神で」だなんて理由をつけられて、新幹線代が出ない。つまり、在来線で来いってことよ。

「そんな交通費、要りません」って断って、自腹で新幹線に乗って通ったわ。

そうは言っても毎回、写真撮影があるから同じ服じゃいけないし、髪形も整えなきゃなんない。本当に腹立たしかった。

議論の内容は聖火ランナーに誰を起用し、どの区間を走らせるかとか。大量の守秘義務契約の書類にサインをさせられる一方、私の写真や映像は無料で使われるんだから……。

50歳からは、命の無駄遣いをやめる

いろんなことを経験してきた人生だけど、若い頃には何となく、自分は50歳ぐらいで死ぬと思ってたの。60歳になったときにも、「お父さんが死んだ年齢だ」って、とても不思議な気持ちになった。

今の時点で父より18年も長生きしてることに驚いてるのよ。来年には80歳……ほんと信じらんない。でも、最近思うのは、きっと長生きするんじゃないかなってこと。


(写真提供:Photo AC)

ある時期から私、「もう、しんどい人とは付き合わない」と決めて、人間関係を整理し出したの。歳を取って、色んなことが割り切れるようになったのは、よかったことの一つ。

50歳でお酒も煙草もやめて、今じゃ気の合わない人とは食事にも絶対に行かない。気がのらない仕事は断るし、しんどい人とは距離を置く。1年以上連絡取ってない人のLINEや番号は携帯から消すこともある。

人間関係は断然「質」

人間関係ってね、若いときは「数」を求めるのよ。でも老いてくると分かる。人間関係は数より、断然「質」だってことがね。

こう言うとワガママみたいだけど、年齢を重ねると分かるのよ。「疲れる人と一緒にいる時間」は、命の無駄遣いと一緒なの。

元気なときは耐えられたことが、老いの身体にはこたえるから、本当に無理はしない。

色々と決めてから、なぜかとっても気楽。心が軽くなった感じがするのよ。

すごくおすすめだから、みんなそうすればいい。これからも気楽にしていると私、長生きすると思うのよね。まあ、この年齢になっても世間から悪く言われるだなんて思ってもみなかったけどね。

とにかく老いてくると、若いころ必死でしがみついていた「世間体」や「他人の目」から解放されんのよね。

転んだら「あら、また私ったら」って笑えばいい。だまされたら「授業料ね」と思えばいい。しんどい人は避けて、自分のリズムを守ればいい。バッシングされたら「はいはいはい」って思えばいい。

バッシングは、普通の人はそうそうされないと思うけどね。

※本稿は、『ピン!として逝くのもいいじゃない ピン子78歳、最後に残したい言葉』(徳間書店)の一部を再編集したものです。