豪雨で壊滅的被害の集落に再生の兆し 荒瀬川氾濫から2年 酒田市大沢地区で農地復旧工事が本格化
おととし7月の豪雨災害からまもなく2年が経ちます。酒田市の荒瀬川の氾濫で大きな被害を受け手付かずのままだった大沢地区の農地で、この春ようやく大量の土砂や流木の撤去へ重機が動き出しました。「岩魚が泳ぐ清流の郷」の復興への歩みです。
おととしの7月25日、庄内地方から最上地方にかけて襲った豪雨災害。
山形地方気象台会見「酒田市と遊佐町に大雨特別警報を発表しました」
1時間に80ミリ以上の猛烈な雨を降らせる雨雲が次々に流れ込みました。
酒田市には大雨特別警報が1日で2度も発表され、市内全域に最高レベルの緊急安全確保や、避難指示が出される未曾有の大災害となりました。
酒田市の大沢地区(大蕨、上青沢、下青沢、北青沢の総称)では降り始めからの雨量が400ミリを超え、平年の7月1か月分をはるかに超える雨でした。地区では荒瀬川の氾濫と土砂崩れが多数発生。国道344号は寸断されて集落は孤立状態になりライフラインもすべて遮断されました。翌朝からかろうじて復旧できた細い林道を経由して自衛隊による救助や緊急物資の輸送が行われ、YBCの取材班も物資輸送に同行しました。
現場リポート「北青沢地区です。上流から押し寄せた土砂が厚く積もり、カーブミラーは私の背丈ほどの高さしかありません。あちらの民家は1階の半分ほどの高さまで土砂で埋まっています」
北青沢の小屋渕川上流部から押し寄せた土石流は、集落を埋め尽くしました。さらに、避難中に荒瀬川に流された86歳の女性が、6日後に遺体で発見されるなどあまりの被害の大きさに、住民たちはやり場のない憤りや不安を抱えました。
青沢自治会副会長(当時)相蘇隆治さん「何で市の職員は来て一刻も早く私たちを助けてくれないのか。それが本当に残念です。」
荒生道博さん「腹立たしい。何やっているのよと。もう25日から26、27、28、29と4日かかっている」
住民たちの憤りは次第に徒労感へと変わって行きます。自宅が土石流に襲われ、2階への垂直避難で無事だった相蘇隆治さん。
青沢自治会副会長(当時)相蘇隆治さん「仮設の道路大型トラック通れませんからね。重機も通れませんからね。来年春まで全然あきらめています」
自宅や作業場は無事だったものの田んぼは半分以上のおよそ2.3ヘクタールが壊滅した荒生道博さん。
荒生道博さん「これだけの木を運んで来るなんてどれだけの水量があったか。さて何年かかるでしょうと」
豪雨から3週間。集落の道路の土砂撤去が始まりました。
自宅敷地は土砂で埋まり、床上浸水の被害を受けた遠田憲子さん。
遠田憲子さん「この現実を見た時につらかったですね。でもいつまでもくよくよしていられないので。新たな気持ちで再スタートしたいなと・・・思っています。うん・・・ごめんなさい」
小屋渕集落の土砂は取り除かれたものの、建物の傷み具合は予想以上で多くの住民はさらなる土砂災害の危険を抱えたままでの住宅再建は、あきらめざるを得ませんでした。
青沢自治会副会長(当時)相蘇隆治さん「あともう解体なので家の方からやってもらって中の土砂出してもらえればいい。中には住めないので」
その年の暮れ。遠田憲子さんの母、恵美子さんが心境を語ってくれました。」
遠田恵美子さん「思い出すの音が残っていて。土砂がだーっと流れて来たから石がゴロンゴロンゴロンだドラム缶、木が流れて来る。恐ろしい気分になって胸がドキドキするからちょっと切なくなって過呼吸までは行かないけど。考えると寝られない時もあるしね」
住民たちの心に残した大きな傷。
北青沢・農業荒生道博さん「人が居なくなったというのが寂しくて。22軒あった家がいまかろうじて6軒。それは寂しいですよ」
荒生さんは「岩魚が泳ぐ清流の郷」と呼ばれたこの地を守るため、地区の自治会長を引き受けました。さらに農地などの復旧のため、大沢地区復興推進委員会を自ら立ち上げました。国が費用の9割以上を負担する「公共災」による事業計画で先頭に立って行政と話し合い、住民の声を伝えます。
参加者は「すぐにでもかかれるところで全然作れない人もいる。たったの1キロも取れない人がいる。なんでそういう所を早くしてもらえないのか」
市内の農業被害も広範囲にわたり、限られた工事業者での復旧工事の入札は難航します。
酒田市の担当は「今発注したら取れますかと言ったら誰も取れる人がいない。県外から呼べばいいという話もいただきますが県外から来た人の場合は高くするということは出来ない。復旧にかかるお金は決まっているので」
さらに地区のすべてが復旧するわけではありません。荒瀬川沿いを中心におよそ25ヘクタールもの田んぼが土砂置き場などになる計画で荒生さんの心も萎えかけます。
大沢地区復興推進委員会荒生道博会長「復興推進委員会もういいんじゃないかと思ってきた。復興していくような希望がだんだん薄らいできた」
しかし、広大な土砂置き場が放置され、藪になれば大沢がイノシシやクマの楽園になってしまう・・・。強い危機感を抱いた荒生さんは、土砂置き場の畑地化へ再び立ち上がります。
大沢地区復興推進委員会荒生道博さん「先進事例になるだろうと話をしている。ただ農地をつぶして河川は立派になっても耕作者がいなくなっているのはクマとイノシシだけ。それを考えれば初めから生産者が新たな産業として成り立つように整備だけしてくれればいいじゃないですかと」
酒田市農林水産課長谷川雅彦課長「われわれ復旧という事で進めていますけれど地域の方々はその次の復興を目指してがんばっていると。何とかわれわれも一緒に考えられればと思っています」
災害から2度目の春。手付かずだった荒生さんの田んぼにもようやく重機が入り、巨大な流木も片付きました。1年半以上の時を経て堆積した土砂の下から水路や田んぼの畔が少しずつ姿を現します。
荒生道博さん「けっこう進んでるでしょう取りかかればすごい早いもんですよ。すごくうれしくてやっぱり違うでしょ。前と」
荒生さんの表情も希望に満ちています。清流の郷の復興はまだ始まったばかりです。

