【野田 洋人】「一人にしないで」「死にたくない」朝日新聞記者と泥沼不倫の果てに…日経エリート女性記者が「ストーカー容疑」で逮捕された「本当の理由」
事態が静止する中で…
「お願いだから一緒に背負ってくれないかな」「一人にしないで」「死にたくない」
今年8月26日、日本経済新聞社の女性記者A子(33歳)がストーカー規制法違反容疑で逮捕された。事前に警告をされていたにもかかわらず、同17日〜25日にスマートフォンの決済アプリ「PayPay」のチャット機能を使い、交際していた男性に計64回メッセージを送信したことが逮捕の決め手となった。
エリート女性記者の逮捕劇は全国紙だけでなく、地方紙でも一斉に報じられた。相手男性がライバル社の朝日新聞社記者であったこと、妻子のある不倫関係にあったことなどから根拠のない噂が飛び交い、事実関係のはっきりしないまま、事件は格好の噂のネタとなった。二人の元同僚の記者が語る。
「A子は巻き髪が似合う美人で、短めのスカートにハイヒール姿で取材することが多かった。一方、男性のB記者はA子より6歳年上で朝日新聞に在籍する現役記者です。ワイルドな髭面でストライプが入ったスーツを着こなすイケメン。目立たないことを好む人が多い政治記者の中で、異彩を放つ二人だっただけに、事件後は流言蜚語が飛び交いました」
女性記者は逮捕後、本所署で事情聴取を受け、東京湾岸署にて13日間の勾留の後に釈放、その後に不起訴処分を受けた。その理由については未だ開示されていない。
事件から日数が経過して、彼女に関する報道も目にすることはなくなった。しかし、世間の波風が収まっても、不起訴処分となっても逮捕された事実は変わらない。真相に関しては誰も語らず、噂の域を出ないことから曖昧な推測が一人歩きした状態で事態は静止してしまったのだ。
DVで救急搬送、中絶を強要されて…
ここに鬱屈したA子の胸の内を代わりに吐露してくれた知人がいる。A子による警察や検察への説明資料作成を手伝い、逮捕されるまでの詳細な経緯を知る、数少ない人物だ。知人からは男性との関係を物語る「証拠」も複数提供を受けた。その口から語られたのは、衝撃の事件の内幕だった。
「そもそもA子は交際相手であるBから日常的に暴力を受けていました。ときには救急車で運ばれることもあった。それでもA子はBから離れることができず、ついには彼の子どもを身ごもることになります。しかし、Bの強引な要望で堕ろすことになり、A子は精神的に追い詰められていったのです」
逮捕容疑となった64回のメッセージ。なぜA子はそれらを送らなければならなかったのか…。語ることの出来ない当事者に代わって、事実を知ってもらうことでA子に対する誹謗中傷を少しでも抑えたい、その一念で取材に応じてくれた。知人の証言をもとに、不倫関係にあった男性記者との出会いから逮捕されるまでの出来事を辿ってみよう。
ことの始まりは2020年4月のこと。A子は日経新聞社へは昨年、転職してきたばかりで、当時は毎日新聞社の記者だった。
「A子は2015年に毎日新聞社に入社。振り出しは京都市局で、次に愛媛県の松山市局に配属され、入社6年目の’20年4月に晴れて東京の政治部まで上がってきたのです。そこで安倍晋三元総理の番記者を務めた際、朝日新聞者の総理番だったのが、年上のB記者でした」(以下、断りのない場合「 」内はすべて知人の発言)
他社同士とはいえ、朝も夜も行動をともにし、日々の情報交換などで、接する機会が多かったという。とはいえ総理番時代は仕事での付き合いがもっぱらで、実際にプライベートで会うようになったのは、2021年4月に総理担当を外れた後からだった。
「頻繁にBから食事の誘いがあったのです。当時、A子は世田谷区に住んでいて自宅の近くで食事をする機会が多くなったとのことでした。同じ政治部の先輩記者として無下には断れない状況だったようです。
次第にBから毎日のようにLINEが来るようになりました。私も確認しましたが、朝起きてから寝るまでの間、食事の内容や仕事の中身、愚痴などを含めてものすごい頻度でメッセージが来ていました。休日には子供とどこそこに行ってきたという内容もありましたが、ときには恋愛感情をストレートに感じさせる内容のものもありました」
同棲からまもなく暴力が始まった
二人は頻繁に会うようになり、やがてBはA子の部屋に入り浸るようになった。2021年9月頃から二人は交際をスタートさせる。「妻とは離婚する」というBの言葉がきっかけだった。Bの求めに応じ、部屋の合鍵も渡していたという。週末は自宅に帰ることの多かったBだが、次第に週末も年末年始もA子の部屋に入り浸るようになり、ほぼ同棲状態となった。それからまもなくBからの暴力が始まった。
「もともとキレやすい性格で、些細なことでも怒鳴り散らし、A子も何度も被害を受けていました。天下の朝日新聞社のエリート記者ですから相当なストレスもあったと思います。ですが、女性に対して暴力を、それも救急車を呼ぶような怪我をさせることはあってはならないことだと思います。それも1回や2回ではないのです。
玄関の壁には男性の蹴った大きな穴が開いていましたし、激しく押し倒されて扉の角に額を打ちつけ出血が止まらず、救急車で運ばれて、10針も縫う怪我をしたこともありました。胸や腕、足などには蹴られたり引っ掻かれたり強く掴まれてついた痣がいくつも残っていました。
馬乗りになって何度も平手打ちをされたこともあったそうです。今でもいくつかの傷跡が残っています。救急車で運ばれる際には男性からは『自分から壁にぶつかったと言え』と、口止めもされていたようです」
同棲をしていた頃は、激しい口論も絶えなかったという。罵声や暴力行為による物音から近所の住民に警察に通報されたことも何度かあった。
どこで誰と何をしているのか
Bは暴力を振るう一方で、A子への執着も激しかったようで、A子の動向を常に気にし、どこにいるのか、何をしているのか、誰といるのかなどしつこく聞いていたという。
「ある時には別の男性と食事をしているところへ乗り込んできて、A子を連れ帰ったこともありました。スマートフォンを奪い、A子に成りすまして『もう会いません』と男性に連絡し、LINEをブロックしてしまったこともあります。A子がBと距離を取り始めると、号泣したりもしたそうです。
さらにBはA子の部屋に向かう際には、日常的にタクシーを利用していました。深夜にA子の世田谷区のマンションから、墨田区にある自宅に帰る際にもタクシーを利用することが多かったようです。永田町近辺でタクシー乗り捨てて、そこから別のタクシーに乗り換えて自宅に戻るということを繰り返していたそうです。
大きな新聞社のエリート記者ですから経費申請も青天井だったのかもしれませんが、もし嘘の申告をしていたら問題に問われるのではないかと考えています」
妻子ある身とは到底思えない朝日新聞B記者の言動の数々。しかし、この後、A子の妊娠が発覚すると、Bの行動はさらにエスカレートしていく――。
後編記事『「産んだら一生恨んでやる」…朝日新聞男性記者が不倫相手を自殺未遂に追い込んだ「衝撃の言葉」の数々』へ続く。