国内の航空機メーカーが結集して開発した戦後初の双発ジェット機C-1もすでに初飛行から半世紀以上が経過し、間もなく完全退役を迎えます。すでに運用機数は派生型のEC-1含めて5機にまで減っているようです。

五十路を迎えた日の丸輸送機C-1

 日本航空機製造が開発し、川崎重工が製造した国産のジェット輸送機C-1が間もなく最期を迎える予定です。
 
 同機は1970(昭和45)11月12日、川崎重工岐阜工場で初飛行に成功、翌1971(昭和46)年2月14日に航空自衛隊に引き渡され、初飛行から5年後の1975(昭和50)年4月1日より実運用を開始しています。


航空自衛隊第2輸送航空団第402飛行隊のC-1輸送機。写真の031号機は生産最終号機で、11月3日(日)に開催される入間航空祭でラストフライトを行う予定だ(柘植優介撮影)。

 C-1は当時の政治情勢などから、航続距離こそあえて短く設定されたものの、それ以外の性能については初めて開発したジェット輸送機ながら要求をクリアしており、現場でも評判の良い機体のようです。

 同機は、ジェットエンジンと20度の後退角を持つ高翼構造の主翼を備えたことなどから優れた高速性を持つほか、独自開発の高揚力装置の装備などで高いSTOL(短距離離着陸)性能も有します。また全長29.0m、全幅30.6mの機体サイズのわりに、直径3.8mという太い胴体を持つことで、様々な物資の積載に柔軟に対応できる能力を獲得しています。

 さらにC-1は輸送機としてはきわめて高い機動性を有しており、一説によると左右60度まで機体を傾けた(バンク)状態で旋回することが可能といいます。これを活かし、航空祭などでは戦闘機や練習機などに負けないレベルの展示飛行を行うこともあります。

迷彩塗装のC-1は入間のみ

 C-1輸送機は1981(昭和56)年10月までに、試作機含めて計31機が生産され、愛知県の小牧基地を皮切りに、埼玉県の入間基地、鳥取県の美保基地と3か所の航空自衛隊基地へ配備されました。

 その後、小牧基地のC-1は短期間でアメリカ製のC-130H輸送機に更新され、さらに2000年代にC-1の後継機として新型の国産機C-2が開発されたことで、2010年代後半に美保基地もC-2へ置き換えられました。そのため、2024年10月現在C-1を運用するのは入間基地のみ、数も3機にまで減っています。


航空自衛隊岐阜基地のC-1FTB飛行試験機。C-1の試作初号機を転用した機体で、外観が銀色なのが特徴(柘植優介撮影)。

 岐阜基地でも飛行試験機(フライングテストベッド:FTB)として、C-1の試作初号機が飛んでいます。しかし、あくまでも各種装備品の試験用であるため、外観は銀色塗装で機首には細長い計測プローブが付くなど量産機とは異なっています。

 また、唯一の派生型としてEC-1電子戦機も1機ありますが、同機も入間基地を拠点に運用されているため、前出のC-1飛行試験機以外はすべて入間基地にあると言えるでしょう。
 
 なお、2024年11月3日(日)には入間基地の一般公開イベント「入間航空祭」が予定されていますが、その中でC-1の生産最終号機である31号機のラストフライトが計画されています。
 
 EC-1も同航空祭では最初で最後となる飛行展示を行う予定であるほか、普段は岐阜基地でしか見られないC-1の試作初号機も、航空祭に合わせて入間基地へ「遠征」してくる模様です。そのため、今年の入間航空祭は「さよならC-1」といった感の強い航空祭になりそうです。

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