東海大の梶谷主将(左)は予選会でサポートに回ったチームメートが出場する競技会でアナウンス係を務め、両角監督は強化プランを練り直した

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 第101回箱根駅伝予選会(19日、東京・立川市など)で14位で落選し、12年連続52回目の出場を逃した東海大が20日、全日本大学駅伝(11月3日)と第102回箱根駅伝(26年1月2、3日)に向けて再始動した。

 各校12人以内がハーフマラソン(21・0975キロ)を一斉スタートし、上位10人の合計タイムで10枠の本戦(来年1月2、3日)の出場権を争った予選会で、東海大はゴール手前10メートルでチーム10番手だったロホマンシュモン(3年)が途中棄権するアクシデントなどがあり、14位でまさかの落選。意識を失ったロホマンは救急車で近隣の病院に搬送され、重度の熱中症と診断された。病院で意識を取り戻し、幸い大事には至らなかったが、念のために入院。20日に両角速監督(58)に付き添われて、退院した。チーム拠点の平塚市に戻ったロホマンはチームメートと1日ぶりに再会した。

 ロホマンを出迎えた主将の梶谷優斗(4年)は「最後まで頑張ってくれた。(敗退は)お前のせいではない」と、限界まで戦ったチームメートをねぎらった。

 前回の本戦で、東海大は9区終了時点で10位だった。しかし、最終10区でアンカーのロホマンが区間20位と苦戦し、11位に転落。10位でシード権を確保した大東大と1分10秒差で予選会に回ることになった。両角監督は「前回の箱根駅伝でも、今回の予選会でも、ロホマンがきつい役回りとなってしまっているが、主将の梶谷が言う通りにロホマンが悪いわけではない。私を含めて、チーム全体に力が欠けていた」と話し、現状を受け止めた。

 この日は東海大競技会が開催され、前日の予選会ではサポートに回った選手が出場。予選会を走った選手は、梶谷主将がアナウンス係を担当するなど競技会の運営に尽力した。

 両角監督は選手指導や競技会運営を指揮しながら「箱根駅伝がなくなってしまってので、11月3日の全日本大学駅伝以降の強化プランを一から作り直しています」とパソコンを操作し、忙しい一日を過ごした。

 前回の箱根駅伝9区11位で主力の一人でありながら予選会メンバーから外れた竹割真(3年)は東海大競技会で5000メートルを14分50秒前後で2本、3000メートルを8分40秒前後で1本を5分間隔で走った。「8月に故障してしまい、予選会には間に合いませんでしたが、予選会を走れなかった分、チームのために全日本大学駅伝では7区(17・6キロ)か8区(19・7キロ)を走り、シード権(8位以内)を獲得したいです」と前向きに話した。同期のロホマンに対しては「責任を感じてしまっているので『大丈夫だよ』と声をかけました」と静かに語った。

 東海大は、2019年の箱根駅伝で悲願の初優勝。その後、2位、5位と上位で戦ったが、直近の3大会は11位、15位、11位で3年連続でシード権を逃し、今回は本戦出場を逃した。苦難が続くが、立ち止まるわけにはいかない。

 前回1区5位と好走した兵藤ジュダ、エースの花岡寿哉、竹割、鈴木天智、そして、ロホマンらが来季の最上級生となる。竹割は「来年は箱根駅伝予選会をトップ通過して、本戦で戦えるチームをつくります」と言葉に力を込めて話した。2026年1月。第102回箱根駅伝に向けて、東海大は長い道を走り始めた。

 ◇東海大 1961年創部。箱根駅伝は73年に初出場。2019年に初優勝。出雲駅伝は優勝4回(05〜07、17年)、全日本大学駅伝は優勝2回(03、19年)。練習拠点は神奈川・平塚市。タスキの色は紺と白。主な陸上部OBは08年北京五輪男子400メートルリレー銀メダリストの末続慎吾、塚原直貴氏、12年ロンドン五輪トラック長距離代表の佐藤悠基(SGホールディングス)ら。