【訃報】「生きることが楽しい」西田敏行さん(76)死去 多彩な才能で人々を楽しませる一方、襲い来る病との闘いの日々
10月17日午後0時半頃、多くの映画やドラマで活躍した俳優の西田敏行さんが、東京都内の自宅で亡くなったことが分かりました。76歳でした。
警視庁によると、西田さんの関係者の男性から「ベッドで冷たくなっている」と110番通報があり、その後、死亡が確認されました。病死とみられています。
「目標があるからこそ生きることが楽しい!」
西田敏行さん(2012年舞台挨拶にて):
“生きる”目標は、生きるということの本当の意味での喜びを教えてくれる。目標があるからこそ、生きることが楽しい!そういうふうに考えましょうよ。どうですか!(会場拍手)
「生きることが楽しい」。まさにそんな生き方を貫いた、俳優・西田敏行さん。
西田敏行さんは、1947年福島県郡山市生まれ。明治大学に進学後中退し、1970年に劇団青年座に入団します。
その後、数々のドラマに出演、俳優として頭角を現すと、1978年30歳のときに「ベスト・ドレッサー賞」を受賞。そして「違った面も見せたい」と新たな扉を開いたのは、歌手デビューでした。
主演ドラマの主題歌で1981年に大ヒットした「もしもピアノが弾けたなら」は、累計51万7千枚を売り上げ、紅白歌合戦にも出場。
人懐っこい笑顔と底抜けに明るいキャラクター。その個性的な演技で長く親しまれた西田さん。しかしその陰では、病との戦いがありました。
倒れた際、生死の境をさまよったことも…
2003年3月、当時55歳だった西田さんは、急性心筋梗塞で倒れ緊急入院。
それでも約1カ月後には、カメラの前に元気な姿を見せました。
西田敏行さん(当時55歳):
ご心配かけました。病院食だけでここ1月暮らしていたので、カロリーもきっちり計算した上での食事でしたので、8キロか9キロ痩せてると思います。
会見では、それまでタバコを1日60本から70本吸っていたと告白。倒れた際、生死の境をさまよったことも明かしました。
西田敏行さん:
もうこれは命を拾ったなと言うか、助けていただいたなっていう気持ちでね。この助けていただいた命は、これから大事に使わないとという気持ちになりました。
その後、2003年9月に上映された映画「釣りバカ日誌14」の撮影から現場に復帰し、俳優として完全復活。6年後、「釣りバカ日誌20 ファイナル」の公開に合わせて行ったインタビューでは…。
――心筋梗塞で大変なところを乗り越えて、今はどんな思い?
西田敏行さん:
生きてるってことは、ありがたいなというふうに思うし、こんな楽しいことがたくさんあるんだぞっていう思いを、いま新たにまたさせていただいてるし。
ファイナルの劇中には、相棒である三國連太郎さん演じるスーさんが三途の川を渡ろうとする場面がありますが、そのシーンについて西田さんは…。
西田敏行さん:
それはいつかはね、人間やっぱり向こうへ行くんですけど。向こうへ行ってもね、向こうへ行ったなりの楽しい世界が待ってるぞっていう思いの中でね。この世をまたその分思いっきり楽しんで、生きていただきたいなという思いも込めて、ああいうシーンになったと…。
表舞台では、常に元気で人を楽しませる姿をみせてきた西田さん。
しかし2018年には、つえをついて登壇する姿が…。
西田敏行さん:
頸椎を亜脱臼してから、歩行の方がいまいちちゃんと取り戻せていないので、なるべく早めにしっかりとして、今までは避けていた舞台なんかもやれるような体にして、もうちょっとひと頑張りさせていただきたいなと思っています。
ここ最近の様子について、西田さんが15年以上通っていた行きつけの寿司店では…。
西田さんが15年以上通った寿司店店主:
たしか最後(来店したのが)2021年だったんですけど、その頃はまだ杖で自分の足で来られていました。お客さまの目もあるじゃないですか。「そういう(車椅子)姿は…」っていうのはあったのかもしれませんね。
気さくに他のお客さまに声掛けされるし、お客さまから声がけされても嫌がらずに喜んで、色々とお話されてます。人が好きなんでしょうね。
多くの共演者から愛された俳優
数多くの作品に出演し多くの人に愛された西田敏行さん。共に仕事をした仲間から、追悼の声が寄せられました。
「釣りバカ日誌」シリーズで西田さんの妻役を演じた浅田美代子さんは…。
浅田美代子さん:
三國さんが亡くなった日に、二人で献杯したね。今日は私一人献杯します。天国で大好きなお酒を思う存分飲んで、そちらにいる仲間と宴会を楽しんでください。
テレビドラマ「西遊記」で共演した堺正章さんは…。
堺正章さん:
大きな存在を失いました。猪八戒、沙悟浄、三蔵法師も、みんな天竺へ旅立ちました。私もいずれ、その旅に参加します。心よりご冥福をお祈りします。
歌手でタレントの堀ちえみさんは、1983年、祖父が亡くなった当日に西田さんと仕事をしていたといいます。
堀ちえみさん:
「(泣いて)目の腫れが引くまで僕は待っているから」と仰ってくださって、「大事な人を亡くして何にも思わないって言うよりも、悲しいって思って泣くっていうのは、それはとても素敵な感情だから…」と…。
その後、祖父の葬儀の際には、西田さんから花が届いたといいます。
互いに無名の下積み時代から、半世紀にわたり親交がある俳優の泉ピン子さんは…。
泉ピン子さん:
もう50年の付き合いですから。彼とは…。私の悩みとかフラれちゃったとかなんとか、そういう愚痴ばっかり…あの人が何十年聞いてくれたことか。
――西田さんは弱音を吐かれたりは?
泉ピン子さん:
「今度聞いてくれよな」って言って、男だから言わないわね。もうこんな仲いい人は、出てこないね。もうこれからはもう…。
(「めざまし8」10月18日放送より)