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 俳優でコメディアンの高田純次(77)が14日深夜放送のTOKYO FM「TOKYO SPEAKEASY」(月〜木曜深夜1・00)に出演。「劇団東京乾電池」入り前の職業を明かされる場面があった。

 この日は「劇団東京乾電池」座長の柄本明とトークを展開。高田が「乾電池に入れてもらった時には1歳の子供がいたからね」と回顧すると、柄本は「そうだよ。あなたあの頃あれでしょ?将来を嘱望されていたジュエリーデザイナーでしょう」と明かした。

 高田は「聞こえはいいよね」と淡々。雑誌にも紹介されたと言われると「資格を持ってて紹介されたけど、それはあくまで、まあハッタリみたいなところもあるよねえ」と話した。

 柄本は「であれだよな、新宿の運命の居酒屋で」と以前から知り合いだった高田と当時再会したと続けると、高田は「会社行ってた時にね、下請けのね女の子をだまして飲みに連れて行って」と回顧。柄本やベンガルらが店の前で並んでいる所に高田が女性を連れて遭遇したとし「あれも地獄だったね、俺も」と苦笑した。

 そうして共に食事をすることになり、柄本らが芝居の話をしていたのを目にし、高田は「その後落ち込んじゃって」。柄本は「純次自身がさ、やっぱりどこか芝居のさ、演劇を一応足を洗ったとは言っても何かあったんだろうね」と語った。

 高田は「ちょうど30歳にもなるしね。意外とね、仕事の方もそこそこ落ち着いてきたのよ。ギャラもいいのを、3回のボーナスみたいなのもあって」といった時期だったとしたものの、「そういう時にって魔が差すもんだよね。ちょっと余裕できた時ってね」と振り返った。

 「で、偶然女の子と行ってた飲み屋で会っちゃったから」と話せば、柄本は「でもよくさあ。あの時俺止めたもんね。だからさ、また芝居始めるなんてこの人が言い出したでしょ、前は純次面白いから誘ったんだけど、その時は断わられて。それで今度は誘いもしなかったんだけど、会って、俺らが芝居をやってるっていうので」と回顧した。

 高田は「ちょっとショックを受けた」と明言。その後当時演出を担当していたベンガルから「仕事をしながらでもできるし。これはどうしても純次に出てほしいから」との誘いもあり、「それで、じゃあちょっと仕事しながらできるのかと思って根性決めて、すぐ会社に“一身上の都合で”って出して」と「東京乾電池」入りし、その後はアルバイトはしたものの、役者を本業とすることを決意したと明かした。