“うつ病”で高校中退、父の突然死、写真集で大胆ヌード披露…IQ130超えの“天才グラドル”日下部ほたるとは何者か?《「MENSA」合格で話題》
先日、全人類の上位2%の高いIQを持つ者だけが入会を許される天才集団「MENSA」の入会試験に合格した、グラビアアイドルの日下部ほたるさん。今年6月に発売したファースト写真集『いいなり。』(講談社)で大胆なヌードを披露したことでも話題になった。
【画像多数】大胆すぎる…写真集でヌードを披露した“天才グラドル”日下部ほたるさんの撮りおろしグラビアを一気に見る
そんな日下部さんに、優等生からいきなりの引きこもり、父の死と家族崩壊と明るい笑顔の裏にあった壮絶すぎる人生を振り返ってもらった。(全2回の1回目/2回目に続く)
グラビアアイドルの日下部ほたるさん ©細田忠/文藝春秋
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「MENSA」の入会試験に合格して話題に
――日下部さんは5月24日に、人類の上位2%のIQの持ち主だけが入ることができる国際グループ「MENSA」の入会試験に合格したと報告し、話題となりました。
日下部ほたるさん(以下、日下部) MENSAは昔からずっと受けたいなと思っていて、たまたまサイトを見ていたら募集していたので受けました。テストの内容については言えないんですが、思っていたより簡単でした。
合格したばかりなのでまだ会合とかには行っていないんですけど、会員サイトを見ると「クイズの会を何日にやります」「オフ会やります」とか書いてますね。
――MENSAに合格するとIQ130以上みたいですね。ご両親もIQが高いのでしょうか。
日下部 普通だと思います。父はパソコン関係の設計の仕事をしていて、母は看護師でした。父はもともと漫画家志望で、その後はアニメーターになってアニメ「ムーミン」にも携わっていたと言っていました。
母の英才教育がすごかった子ども時代
――子どもの頃はどんな風に過ごされていたんですか。
日下部 母の英才教育がすごくて、ピアノ、書道、美術、水泳、体操、クラシックバレエと習い事を毎日していました。自分がやりたかったわけではなく、とりあえず母に言われたことをやり続けていて、それが当たり前だとずっと思ってました。
――やはり勉強はできた方だったのでしょうか。
日下部 めちゃくちゃ勉強していたわけじゃないですけど、テストが返ってくると学校で1位だったり、成績はほぼオール5でした。ただ親には塾に行かせてもらえなくて。中3の受験シーズンに「行きたい」と言って通わせてもらいました。
進学は、うちもものすごくお金があったわけではなかったですし、結局、学区内の公立で一番偏差値が高かった高校に行きました。
「学校に通えなくなっちゃって…」20歳まで引きこもり生活
――勉強以外はどうだったんですか。
日下部 中学時代は陸上部で、高校ではチアダンス部でした。学級委員長をやったり、人前に出ることも苦手なタイプではなかったです。でも高校に入る前くらいから体調不良が続いて、やがて学校自体に通えなくなっちゃって。
自分でもなぜそうなったのかわからなかったんですけど。ご飯も食べられないし、疲れてきて、動きたくない。それで、家に引きこもってしまって。
――症状を聞くと、うつ病の症状と似ていますね。
日下部 うつ病とかって周りにはなかなか理解されないじゃないですか。母は私について「学校が嫌で行きたくないんだ」「やる気がない」と怒っていて。でも私は、食事も食べられなくて体重も10キロ以上減ってしまって。病院で薬をもらって飲んでいたんですが、よくならなくて。
学校も高2までは在籍していたんですが、その時点で出席日数が足りなくて、辞めました。母は私が学校を辞めることを最後まで悲しんでいました。
20歳の頃に父親が突然死
――お父さんとの関係はどうだったのでしょうか。
日下部 私が引きこもり始めてから、仲がよくなりました。最初の頃は理解されなかったんですけど、自分で色々と病気について調べてくれて、気持ちに寄り添ってくれました。
高校を辞めた後、すぐに高卒認定は取ったんですが、だからといって大学を受験することもなく、引きこもりの時期が20歳くらいまでずっと続いていました。
――引きこもりの頃は何をして過ごしていたんですか。
日下部 アニメや漫画を見て、寝てました(苦笑)。それまで習い事でずっと忙しかったので、そこからの反動で本当に無気力になってました。
それでも父がいたから、なんとか家族の形を保っていたんですけど、私が20歳の頃に突然くも膜下出血で倒れて。当時家には私だけがいて、すぐに救急車を呼んだんですけど、意識は戻らなくて、その数日後に亡くなりました。悲しかったです。悲しかったけども、それ以上に母が精神的におかしくなってしまって。
当時はやりたいこともないし、どうしていいかわかんなくて。死にたいとは考えたけれど、できなかった。ただ母とは一緒にはいられない。一人暮らしをするにも、お金が必要になってコンパニオンの仕事を始めました。
加熱式タバコを全国で一番売った“最優秀キャンペーンガール”に
――引きこもり生活からいきなりコンパニオン。振り幅がすごい。
日下部 最初は1日だけできる仕事をしました。人と話すことに緊張もあったんですけど、やってみたら周りからもうまいじゃんと褒められて、楽しくなってきたんです。コンパニオンの仕事を始めたことで実家からも出ることができました。
その後に加熱式タバコが発売されたことで、イベント会場や特設会場でのキャンペーンガールをやり始めました。当時は加熱式タバコを全国で一番売って、2年連続で最優秀キャンペーンガールになりました。
仕事ではコミュニケーションに気をつけてました。最初はどういう風に打ち解けたら相手が話しやすいかなとか、これまでどういうものを吸っていて、どういう生活習慣なのか会話から理解して、じゃあこういうところからアプローチしようとか。フレーバーが何種類もあるんですが、じゃあこの人にはこれを薦めようとか。
タバコの会社から「就職しないか」と誘われたが…
――それだけの知識があったら、就職の誘いもありそうですね。
日下部 実際、タバコの会社から「就職しないか」と誘われて、「やった」と思って就職しようと思ったんです。営業だから自動車の免許が必要と言われて、免許を取りましたし、やる気満々。「この仕事は絶対自分には合っている」と思ってたんですが、「就職しないか」と言ってくれた人よりも上の方が「キャンペンガールは入れない」と言ったそうで、就職の道がなくなってしまって……。
当時キャンペーンガール以外にコンパニオンや撮影会モデルもやっていたんですが、就職できると思ったから、全部やめてしまって。それで仕方がないので、投資用マンションの勧誘の会社に入ったんです。
撮影=細田忠/文藝春秋
〈「会社員時代に部長から薬を盛られた」「意識を失い、ホテルに連れ込まれそうになって…」IQ130超えの天才グラドル・日下部ほたるの“波乱万丈な半生”《40以上の資格保有》〉へ続く
(徳重 龍徳)