タイ本国からやってきたというタイ・エアアジアXのスタッフたち(筆者撮影)

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歌手やアイドルのステージはたくさんの日本人女性が熱狂(以下、写真はすべて筆者撮影)

5月11日と12日、東京・代々木公園は大群衆に包まれた。毎年恒例のタイフェスティバルだ。

おいしそうな匂いを漂わせているタイ料理のブースには行列ができ、ドリアンやマンゴーなどタイ特産フルーツの即売も盛況だ。

気持ちよく晴れた空の下、タイのビールを飲んでいる日本人もタイ人も、なんとも気持ちがよさそう。ステージではタイの歌手やアイドルたちがパフォーマンスを披露して、こちらもタイ語と日本語とで歓声が上がる。24回目となる今年は、2日間でおよそ25万人が来場したそうだ。

「これだけの規模はタイだけ」

ひときわ来場者で賑わっていたのは、アジアを代表するLCC「タイ・エアアジアX」のブースだ。担当者は言う。

「これだけの人数に、しかもタイが好きな人たちにピンポイントでアプローチできるのは有意義ですよね。認知度のアップにつながります。ほかの国のフェスもありますが、これだけの規模はタイだけ。やはり大きなバリューがあると思います」


タイ本国からやってきたというタイ・エアアジアXのスタッフたち

ソフトシェルクラブのカレーやマンゴーかき氷が大人気になっていたレストラン「クンテープ虎ノ門ヒルズ店」の方も、このイベントにしっかりとした手ごたえを感じているようだ。

「すごく経済効果があるんじゃないですかね。大阪に本店があるのですが、東京のタイフェスには10年ほど前から出店しています。大阪でもタイフェスが開かれているんですが、そちらは1回目(2001年)から出店していますよ」


マンゴーかき氷が大人気だった「クンテープ」は大阪のタイフェスにも参加している

ブースの出店料金は、レストランの場合が49万円〜。物産の販売は38万円〜、ドリンクは64万円〜とけっこうな額だ(いずれも2日間)。

それでも「晴れれば十分に利益が出る」と、多くのブースで聞いた。フェス当日の売り上げだけでなく、店名を覚えてもらえば、その後の集客にもつながるようだ。


タイ名物のトゥクトゥクまで販売

大きな経済的インパクトを与えるまでになったタイフェスティバルだが、第1回が開かれたのは2000年のこと。

「最初は『タイフードフェスティバル』という名前で、出店者は59(今年は135)、来場者は3万人だったんです」

そう語るのは、プラーンティップ・ガーンジャナハッタキット公使。なぜ「料理推し」だったのかといえば、

「やっぱり日本人には、タイと言えば料理の印象が強かったからでしょう」


タイのプラーンティップ・ガーンジャナハッタキット公使

日本では1980〜1990年代にエスニックブームが起きたが、とくに注目されたのがタイ料理で、レストランが増えつつあった時期という下地がそこにはあった。加えてタイ政府には「タイ料理を世界的にアピールしていこう」という意向もあったようだ。

ブームを後押しした「タイは、若いうちに行け」

さらに1990年代、こんなキャッチコピーが話題を呼んだ。

“タイは、若いうちに行け”

いしだ壱成さんが出演した、タイ国際航空のCMだ(その後、長瀬智也さんにバトンタッチ)。この言葉のインパクトが大きく、いまとは違って円高という後押しもあり、多くの若者たちをタイ旅行に誘った。

また1990〜2000年代は、やはり円高を背景に日系製造業がタイに続々と進出した時期でもあり、ビジネスでもタイと行き来する日本人が急増。

こうしてタイへの親近感がグッと高まった時期だっただけに、タイフェスティバルはあっという間に人気のイベントとなった。

2003年からは「食」だけでなくさまざまなコンテンツを紹介することに。これまでにPOTATOやカラバオといったタイの超大物バンドがやってきたこともある。

「ボランティアで来てくれる人も多かったんです」(ガーンジャナハッタキット公使)

やはり人気のロックバンド「FRY」の元ボーカルであるイートさんも、代々木のステージに立った一人だ。彼はたまたま、当時の外交官の知人。イートさんが日本に遊びに来るタイミングでちょうどタイフェスティバルが開かれるからと、大使館から出演を打診してみたところ、快くOKしてくれたのだという。

全国で開催されるようになったタイフェス

やがてタイフェスティバルは東京だけでなく全国に展開していった。2001年からは大阪でも在阪タイ総領事館がフェスを開始。さらに名古屋や仙台、静岡など各地で開催されるようになった。

2017年からは佐賀でもタイフェスが始まった。意外な場所のように思うが、これはタイで放映されたドラマがきっかけだ。ラブストーリー「STAY Saga〜わたしが恋した佐賀〜」など、これまでに佐賀県はいくつものタイのドラマや映画のロケ地になってきた。県をあげて積極的に誘致したからだ。

そして作品にハマったタイ人の視聴者が「聖地巡礼」で佐賀を訪れるようになる。背景にはタイの経済発展と、2013年から始まったタイ人の訪日ビザ免除がある。今度はタイ人の間で、日本旅行ブームが巻き起こったのだ。

「そんなご縁もあって、佐賀県内の人にもっとタイを知ってもらおうとフェスが始まったんです」(ガーンジャナハッタキット公使)

こちらはいわば、インバウンド需要が生んだ流れと言えるだろう。

日本全国で定着したタイフェスティバルをテコに、タイ大使館ではさらにタイの文化をアピールしていったという。

「フェスのある5月に合わせてタイの果物や物産を販売しようと、大使館の商務参事官事務所がイオンさんと協力してフェアを行うようになったんです」(ガーンジャナハッタキット公使)

各地にあるイオンモールでは、5月前後に小さなタイブースを設置するところもあれば、キッチンカーやブースを並べるところもある。とりわけ幕張新都心店や成田店では大きなフェスを催してきた。

さらに成城石井でも、タイ政府観光庁の協力のもと、今年4月は「タイフードフェア」を開催。「タイ」そのものが日本人にとって魅力的なコンテンツになっていることと同時に、時流を読み日本人の嗜好をしっかり捉えていくタイ人のビジネスセンスも感じるのだった。

タイカレーを販売する日本企業も参加

こうして代々木公園の5月の風物詩として定着したタイフェスティバルは、2005年にはすでに来場者30万人を記録。以降、天候にもよるが(そしてコロナ禍のときは中止となったが)コンスタントに25万〜30万人を集める巨大イベントに成長していった。

大賑わいとなっていたシンハービールのブースでは、5月11日の初日、お昼過ぎの時点ですでに600本が飛ぶように売れたという。

「例年よりいいんじゃないでしょうか。これだけ盛り上がるのでアピールのしがいがありますよね」(ブース担当者)

タイフェスティバルを通じて、シンハービールが日本人に定着してきたと感じているそうだ。


タイフェスといえばビア・シン(シンハービール

レトルトのタイカレーを販売する食品メーカー・ヤマモリのブースも大盛況。なんと第1回からずっと参加し続けているそうだ。今回はコロナ禍以降、久しぶりに試食も再開した。


スーパーマーケットでも定番のタイカレーを販売するヤマモリ。タイフェスの常連だ

「こういう機会に食べていただいて、興味を持っていただけたら」(ブース担当者)

タイフェスティバルと一緒に会社も成長してきたところはあるというが、出店する企業にとっては消費者へのアピールの場というだけではない。ガーンジャナハッタキット公使が言う。

「来場者にはビジネス関係者も多いので、商談の機会でもあるんです」

東京のタイフェスが世界展開のお手本に

タイ関連のほか、観光、食材や貿易関連など、さまざまな企業同士が交流する場としても、タイフェスティバルは注目されているのだ。

「いまでは東京のタイフェスティバルが、世界中のお手本になっていますよね」(ガーンジャナハッタキット公使)

スイスやスウェーデン、ブラジルなど世界各国でタイフェスティバルが行われているそうだが、東京が最も規模が大きく、またビジネスとの結びつきや両国の交流など、深く広く現地社会に浸透してきた。

「日本に住むタイ人たちにとって、自慢のイベントなんです」(ガーンジャナハッタキット公使)


2024年は2日間でおよそ25万人が来場した

2023年からは、タイ外務省の方針でフェスティバルの自立性を高めるよう奨励されたこともあり、主催には民間企業が参入し、またスポンサーを募ることになった。

「来年以降も引き続きスポンサーを歓迎しています。これだけ経済効果のあるイベントは魅力的だと思いますよ」

今後も両国の友好の象徴として賑わうことだろう。

(室橋 裕和 : ライター)