日米通算200勝達成のダルビッシュ有に元専属捕手・鶴岡慎也は「投げることへの執着心は20歳の頃とまったく変わっていない」
サンディエゴ・パドレスのダルビッシュ有が5月19日(現地時間)のアトランタ・ブレーブス戦に先発し、7回を2安打無失点、9奪三振と好投。チームも9対1で勝利し、野茂英雄、黒田博樹に次ぐ史上3人目の「日米通算200勝」を達成した。日本ハム時代にダルビッシュの専属捕手として活躍し、また世界一を達成した昨年のWBCでは侍ジャパンのブルペン捕手としてダルビッシュの球を受けた鶴岡慎也氏が、祝福の言葉を贈る。
ブレーブス戦に勝利し、日米通算200勝を達成したダルビッシュ有 photo by GettyImages
── 鶴岡さんが、ダルビッシュの専属捕手になったきっかけは?
鶴岡 ダルビッシュ投手は、高校出1年目(2005年)の6月にすでにプロ初勝利を挙げ、一軍のローテーションに入っていました。それで7月に宮崎で開催されるフレッシュオールスターに選出されました。チーム内に宮崎出身の選手がいないというので、「ツル(鶴岡)、九州出身だから出場してこいよ」と。当時、私はプロ3年目で、鹿児島出身という理由だけで出場し、彼とバッテリーを組んだわけです。
── 鶴岡さんはその試合で本塁打を放ち、MVPを受賞しました。
鶴岡 MVPが首脳陣にアピールできたようで、9月に一軍初出場を果たすことになりました。
── 当時の日本ハム捕手陣は、強肩の中嶋聡さん、強打の高橋信二さんがいました。そのなかでダルビッシュ投手と組むようになったきっかけは何だったのですか。
鶴岡 ダルビッシュ投手の投げる球は、人間の反射神経の限界です。とくに変化球は、ほかの投手より大きく鋭く曲がります。それに対応しなくては、ホームベースからバックネットまでの距離が長い札幌ドーム(当時の本拠地)では、後逸してしまうと一塁走者は二塁どころか、三塁まで進んでしまう可能性があります。
── 鶴岡さんはブロッキングがうまかったわけですね。
鶴岡 強肩でも強打でもない私は、とにかく彼の変化球を必死に捕りました。打者が空振りするようなワンバウンドの変化球を止めることができれば何とかなると。いつしか彼の登板時には、私がマスクを被るようになっていたのです。ダルビッシュ投手と出会えなかったら、私の現役生活は19年どころか、5年くらいで幕を閉じていたかもしれません(笑)。
【ダルビッシュとの一番の思い出は?】── 2006年から鶴岡さんとバッテリーを組む機会が増えました。
鶴岡 2006年に彼は12勝を挙げ、チームも1981年以来25年ぶりのリーグ優勝を遂げます。以来、6年連続2ケタ勝利、5年連続防御率1点台。その成績と比例するように、チームも常勝軍団へとなっていくわけです。
── その後、ダルビッシュ投手は2012年にメジャーに移籍されます。
鶴岡 当時から彼が衰える姿は想像できなかったし、実際、今もバリバリ投げています。ツーシームをはじめ、変化球を操るパフォーマンスは進化しているようにさえ見えます。36歳を迎える昨シーズン前、新たに6年契約を結びましたが、その評価がすべてですね。
── バッテリーを組んでいたなかで、一番思い出に残るシーンは何ですか。
鶴岡 挙げたらキリがないですが、ダルビッシュ投手のルーキーイヤー(2005年)に鎌ヶ谷スタジアムで行なわれたイースタンリーグで、初めてバッテリーを組んだ試合です。試合中に、たとえばスライダーの曲がりの幅を変えたり、フォークをシンカー気味に落としたり、いろいろ試していたのが思い出されます。150キロを超すスピードボールを投げるのに、「指先が器用な投手だな」「変化球を投げるのが好きな投手なんだ」というのが第一印象で、それが一番思い出に残っています。
── 日米通算200勝(NPB93勝、MLB107勝)を達成するような投手になると思いましたか。
鶴岡 田中幸雄さんや稲葉篤紀さんら、通算2000本安打を達成した打者は間近で見ましたが、200勝というのは未知の世界。ただ、達成したから言うわけではありませんが、1年目から一軍で投げている姿を見ていたら、大きなケガさえなければ、いずれは達成するだろうと思っていました。
── 通算199勝目となったドジャース戦(5月13日)では、マウンドで吠えるなど感情をあらわにしていました。
鶴岡 超強力打線のドジャースは、ナ・リーグ西地区で優勝を争う当面のライバルですから、特別な思いがあったんでしょうね。大谷翔平選手(ドジャース)と一緒で、チームを勝たせてワールドシリーズに出たいという気持ちが強いのでしょうね。
── 日本ハム時代は、ああいう雄叫びを上げたりしていたのですか。
鶴岡 集中した"ここぞ"という場面ではありましたよ。4月に故障者リスト入りから復帰しましたが、現在の闘志あふれる姿からは、心身の充実ぶりをうかがわせます。投げているボールを見ても万全でした。
── そのドジャース戦は、7回を2安打、無失点、7奪三振とすばらしい内容のピッチングでした。
鶴岡 ストレートは96マイル(約155キロ)をマーク。大谷選手が欠場し、代わりに2番に入ったフレディ・フリーマン選手なんて、もうお手上げのような空振り三振でした。高めにツーシーム、カットボールを投げられ、とんでもないところを振っていました。完璧な抑え方でしたね。
【飽くなき変化球への探究心】── 今シーズンを含めて、契約はあと5年。今後のダルビッシュ投手をどう予想しますか。
鶴岡 MLBの公式サイトでは、現在、ダルビッシュ投手の球種は8種類(ストレート、カットボール、スライダー、ホップスライダー、スラーブ、カーブ、ツーシーム、スプリット)とされています。彼のことだから、これまで見たことのない変化球を編み出す可能性もありますね(笑)。
── そんなことはあり得ますか。
鶴岡 いきなり腕の位置を下げたり、投球フォームが変わるかもしれませんよ。今年の正月、サンディエゴで話をした時、「投げることへの執着心」は20歳の頃とまったく変わっていなかったですね。「いろんな変化球を投げたい」「打者を圧倒したい」という気持ちをひしひし感じました。それで私は「キャリアの終わりはまだまだ先のことだな。ファンをまだ楽しませてくれる」と感じました。
── 言動にも、落ち着きや重みがあります。
鶴岡 "人間力"が増してきました。昨年のWBCでも、日本の投手たちに変化球の握りを惜しげもなく伝授するなど、日本野球の普及と発展を考えていました。今後多くの日本人投手が海を渡るのでしょうが、今季パドレスの一員となった松井裕樹投手に対しても兄のような雰囲気を漂わせています。
── 一方で、日本人打者との対戦も楽しみですね。
鶴岡 今年の大谷選手との対戦もそうでしたね。今年の正月に「日本選手のすごさを認めさせたい」という本人の話も聞きました。まだまだ「日本人メジャーリーガー」を牽引していく存在であってほしいです。
── 2026年の第6回WBCも招集されてほしいです。
鶴岡 ベテランになっても、メジャーの先発ローテーションの4番手、5番手ではなく、優勝を狙うチームの1番手、2番手の投手ですからね。パワーピッチャーのスタイルは崩していない。それでいて変化球はさらなる進化を遂げている。40歳を迎える2026年でも、力は衰えていないと思います。それだけの努力を続けていくでしょう。思えば、「パワーをつけてメジャーに挑戦する」という先駆けになりました。大谷選手にも多大な影響を与えたと思います。
── これからのダルビッシュ投手に期待することは何ですか。
鶴岡 200勝はひとつの区切りですが、彼にとっては通過点だと思います。ワールドシリーズシリーズ優勝に向けて、引き続きチームの勝利に貢献する投球を目指していくと思います。彼のキャリアはまだまだ長いですからね。ケガなく、ダルビッシュ投手らしいピッチングをこれからも続けてほしいですね。
鶴岡慎也(つるおか・しんや)/1981年4月11日、鹿児島県生まれ。樟南高校時代に2度甲子園出場。三菱重工横浜硬式野球クラブを経て、2002年ドラフト8巡目で日本ハムに入団。2005年に一軍入りを果たすと、その後、4度のリーグ優勝に貢献。2014年にFAでソフトバンクに移籍。2014、15年と連続日本一を達成。2017年オフに再取得したFAで日本ハムに復帰。2021年オフに日本ハムを退団した