岡村孝子の名曲『夢をあきらめないで』のメロディーに乗って打席に立つと、力強く振り抜いた打球はグングンと伸びてフェンスを越えていく。長打を放てば、その俊足ぶりにも目がいく。守っては、捕ってからの素早い送球で盗塁を刺す。粗削りな選手が多い独立リーグにあって、茨城アストロプラネッツの捕手・大友宗の精度の高いプレーはひと際目立つ。

 それもそのはず、昨年まで社会人野球の強豪・日本通運でプレーしており、NPB球団のスカウトにもその名は知られていた。しかし、社会人野球有数の恵まれた環境、安定を捨て、「1年勝負」と決めて昨年末に退社。今季から独立リーグのルートインBCリーグで、泥にまみれながら懸命なアピールを続けている。


NPB入りを目指す茨城アストロプラネッツの大友宗 photo by Takagi Yu

【無駄ではなかった社会人の2年間】

 4月13日、巨人三軍を迎えて笠間市民球場でホームゲームが行なわれた。育成選手がほとんどの相手とはいえ、目指す舞台にすでに立っている相手に対して、大友はレフトスタンドへ本塁打を放つなど持ち味を発揮。巨人の関係者から「肩は強いし、足も速い」と称賛の声が上がった。

 試合後、大友に話を聞いた。まず、なぜいろんなものを捨ててまで、25歳となる今年に大勝負に打って出たのか、と。

「純粋にNPBに行きたい気持ちが強かったからです」

 まっすぐな目で大友は挑戦の理由を語った。「日本通運はいいチームで大好きだった」という言葉も、偽らざる本音だろう。だが、出場機会がなかった。

 社会人野球の二大大会である「都市対抗」と「日本選手権」は、予選、本戦ともトーナメントで、一発勝負が続く。そうした状況のなかでは安定感が求められ、日本通運には侍ジャパン社会人代表に長きにわたり選ばれていたベテラン捕手の木南了が所属しており、高い壁となって大友の前に立ちはだかっていた。

 1年目の都市対抗終了後のオープン戦では、4番を任されることもあった。だがそのチャンスをものにできず、昨年の都市対抗本戦ではベンチ入りすらできなかった。足と肩を生かして外野手に転向するという選択肢もあったが、大友は退路を断った。

「野球をやっている以上は、日本の一番上の世界に行きたかったんです。日通で長く野球をやるなら外野手転向もあったかもしれませんが、NPBへ行くなら独立リーグで捕手として勝負したほうがいいと決めました」

 大友の決断に反対する者もいたが、想像以上に応援してくれる人が多かった。入社と退社のタイミングが重なった同期の古田島成龍(今季からオリックス)とも、「お互い悔いなく野球やろうぜ!」と誓い合った。

 一方で「日通での2年間がなければ、今の自分はないと思っています」と語るように、決して社会人野球で過ごした時間は遠回りではなかったと強調する。

 とくに木南から学んだものは多くあり、「投手とのコミュニケーション、準備の仕方や捕手としての立ち居振る舞い。どれを見てもカッコいいなと思いました」と、間近で体感した"全幅の信頼を得られる捕手"は、大友の理想像のひとつとなっている。

 また、打撃での安定感も日本通運時代の経験が大きい。帝京大では4年になってようやくレギュラーをつかんだが、春秋のリーグ戦を通じて打率.217とアピールできず、ドラフト指名漏れを味わった。

 そこで入社後は積極的にいろんな選手に質問し、その結果「打撃を言語化することができました」と、三振や快打の理由がわかるようになり、それによって次の打席へのアプローチも見えてきた。そこに今年からは豊富な出場機会が加わったことで、4月は5試合でリーグトップタイとなる4本塁打を広角に打ち分けた。

【バウアーとのバッテリーを経験】

 独立リーグに転身後、すぐに刺激的な経験があった。シーズン前にアメリカへ渡り、茨城球団の色川冬馬GMが代表を務めるトラベリングチームの『アジアンブリーズ』(※)に参加。3月11日には、浪人中だったトレバー・バウアー(前DeNA)とバッテリーを組み、ドジャースと対戦した。
※プロ契約やさらなるレベルアップを目指す選手に挑戦の機会や人生における選択肢を提供するため、アメリカ・アリゾナ州周辺でMLB傘下の球団などと試合を行なうプロジェクト

「これがサイ・ヤング賞を獲る投手なんだな、と思いました。どのボールでもストライク、空振りが取れるんです。構えたところにきますし、思い描いている"ピッチデザイン"をそのまま体現できるのがすごいと思いました」

 まさに、新たな挑戦をしたからこそ得られた刺激だった。

 一方で、シビアな現実に引き戻されるときもある。

「ひりついていますね。背水の陣という思いです」

 そう語る大友に「一番シビアなことは?」と尋ねると、「やっぱりお金ですね。その心配はあります」と打ち明けた。

 手取り額に大きな差はないが、会社員だった昨年までの額は社会保険料や寮費(食費も含む)などが差し引かれたあとの額であり、それを使ったり、貯金したりしていた。しかし、個人事業主となった今はそこからさまざまなものを支払わなくてはならない。

 それでも思い返したように、ポジティブな言葉を続ける。

「充実させるしかないですから(笑)。大きな会社を捨てて来ているので、1年間悔いなく楽しんで、やることやって、あとから結果がついてきてくれたらいいなと割りきってやっています」

 5カ月前に下した決断に後悔はない。重圧に負けないように、その決断を悔やまぬように、自分らしく輝けるように......。5カ月後のドラフト会議で、その決断が正解だったことを示すべく、大友は試合に出られる喜びを胸にさらなる飛躍を誓う。