がんを経験すると、たとえ克服したとしても以前のような生活ができなくなるケースも。そんなとき、変わった「今の自分」とポジティブに折り合いをつけたいものです。イタリア料理文化研究家として活躍するパンツェッタ貴久子さん(タレント・ジローラモさんの妻)もそんな経験をしたひとり。2007年に判明した病気とのつき合い方について振り返っていただきました。

パンツェッタ貴久子さんのがんとのつき合い方

パンツェッタ貴久子さんの体が変調をきたしたのは、40代の半ばのこと。不正出血がある細胞診により、子宮頸がんと判明。細胞診やMRI検査などの結果を受け、メスを入れずに子宮の入り口のがんのみを取り除く“円錐切除”を行ったそうです。

しかし、その後傷口がふさがらず、たびたび出血し、一度は夜間救急外来で麻酔なしで膣内を縫合する手術を受けたことも。再度の検査の結果、がんが子宮に浸潤していることがわかり、子宮を全摘出するか、もしくは抗がん剤と放射線治療をするかという判断を迫られます。

夫・ジローラモさんの「君の好きにすればいい」という言葉と、歯科医であったお母様の「西洋医学を信じてみない?」という言葉で、子宮摘出を決断。

しかし術後の検査で、リンパ節にもがんが転移していることがわかり、当初は摘出か化学療法かの選択だったはずが、抗がん剤と放射線による治療もしなくてはならなくなりました。がんを発見したときはメスを入れない簡単な手術で終わると思っていたのに、予想もしていなかったことが次々に降りかかり、すべての治療を余儀なくされたのです。

生活リズムを整え、悪くなる前に体調管理

放射線や抗がん剤治療はつらく、強い副作用もありましたが、貴久子さんは闘病中にイタリア料理店を開店するという構想を練り、準備をスタートするという、驚きの挑戦をします。

「それまで料理教室を1か月に20クラスも開催していたので、スタッフのためにもなにかやろうと思って。結果的に病気について深刻にならずにすみました」

こうしてイタリア料理店「コチネッラ」をオープン。当時は手術時の頭部圧迫による大量の抜け毛があり、数種類のウィッグを用意して、お店に出ていたそう。しかし2年あまりで体力的な限界を感じ、お店は手放すことに。

「お店をやることが力になったけど、スタッフに余分な負担をかけたり、健康でないと判断がぶれるんです」

その後は自分のペースを優先。以前は1回12人で行っていた料理教室も、徐々に6〜7人に減員しながら続けて、今年で開講29年を数えるようになりました。

体調は自分自身でこまめにケア。

「私は探究心が強くて、物事を突き詰めたいタイプ。今でも無理はしてしまうのですが、体調は悪くなる前に整える。ネガティブな思いがきたら、考えるのをやめる。病気からペースダウンすることは覚えたかな」