宇野昌磨 引退会見レポート 前編(全2回)

【目指した「スケート」を貫いた競技人生】

 5月14日、都内。宇野昌磨(26歳/トヨタ自動車)は、フィギュアスケートの競技者人生に終止符を打つ発表をしている。会場には多数の報道陣が集まり、「トヨタイムズスポーツ」のYouTubeチャンネルでも生配信されていた。


晴れやかな表情で引退会見に臨んだ宇野昌磨

「毎日、全力で取り組んできた自分を褒めたいと思います」

「(現役への)未練は、まったくないです」

「競技を離れて、ゲームに費やす時間が増えそう」

 宇野は独特の調子で言って、時に笑いも誘っていた。湿っぽさがない、晴れやかな引退会見だった。すべてをやり尽くしたトップアスリートだけができる、健やかな表情を浮かべていた。フィギュアスケートという競技をやり抜いた証だった。

 ラストシーズン、それはもしかすると彼の集大成だったと言えるかもしれない。

 宇野は、フィギュアスケートの歴史をつくっている。

 全日本では4連覇を含む6回の優勝。グランプリ(GP)シリーズは、NHK杯で3回優勝など、合計で8回も優勝し、2023年にはGPファイナルも制覇している。2018年平昌五輪ではシングルで銀メダル、2022年北京五輪ではシングルで銅メダル、団体で日本史上初の銀メダル、2022年と2023年には世界選手権の連覇も達成した。

 記録の列挙だけで、眩しいほどの輝きだ。

 しかし宇野が本当に追求したのは、その先にあったのかもしれない。最後になった今シーズン開幕当初、彼はこう宣言していた。

「小さい頃に憧れたフィギュアスケートがどうだったか。それは、"高橋大輔さんのようなスケーターになりたい"でした。ジャンプだけでなく表現も両方あって、それが、自分がやりたいと最初に目指したスケートでした。だから点数になりにくいことでも一生懸命練習して、『自己満足』と言われても、何が起きるか見てみたい。そうやって取り組んだものがフィギュアスケートのためになるなら」

【"彼"はよくやったな、と】

 ラストシーズン、彼は原点に回帰した。最高難度の曲を選び、それを表現することに心身を捧げている。フィギュアスケートの深淵に近づくように。

「今となっては、当時はすごく意識高いなと思います。まだ引退して間もないですが、"彼"はよくやったな、と」

 宇野はそうやって道化になって、会場を笑わせた。

「自分は出会う方に恵まれました。自発的にはあまりやらない、内向きでインドアのタイプで。努力家と言ってもらえるのはうれしいですが、伸び伸びと好きにやれるようにサポートしてくれる周りのおかげで、全力が結果につながっただけで」

 彼は謙虚に語ったが、その気取らなさや真摯さが愛された所以であり、唯一無二のスケーターにしたのだろう。

 最後の大会になった世界選手権は、ショートプログラムで首位に立つもフリーは6位だった。総合4位でメダルも逃した。しかし、引退会見で使われたフリー演技直後の写真の彼は満面の笑みだった。

「この写真を見ると、成績が振るわなくても、これだけの笑顔で幸せそうだなって思います」

 会見での宇野は、背後にあるモニターに映った自分の写真を振り返って見ながら、感慨深げに言った。

「スポーツ選手である以上、結果は大事なんです。けど、それだけじゃないんだよって伝えられたのかなって。練習してきたものが試合でできなくて、悔しい思いをしたこともあったけど。毎日の積み重ねこそが大事で、笑顔で終えられる選手になれたのかなって思いました。小さい頃から、こうなりたい、と思っていた選手に近づけたのかなって」

 それは、ほんのひと握りのアスリートだけがたどり着ける領域と言えるだろう。

「こんな自分に憧れている人がいるなら、どの部分に憧れているのか、知りたいです」

 会見で、宇野はそう言って笑ったが、おごったところがない自然体こそ、魅力そのものだ。

【成功も失敗も等しく宝物】

「(ラストシーズンは)1年を通して試合に出て、競技者として結果も望むようにもなったのは、熱いものを感じさせてくれた後輩たちに感謝で。全力を注げる場所があるのは本当によかったし、楽しかったです。成功と失敗、両方とも等しく、どちらも宝物のような時間でした」

 この言葉に、心が動かない後輩がいるだろうか。

 宇野は、浅田真央に憧れてスケートに打ち込むようになって、高橋大輔のスケートに希望を感じ、自らのスケートを極めてきた。それはフィギュアスケート界に流れる命脈の継承と言えるだろう。その生き様も、次の時代の指標になるはずだ。

「僕たちアスリートは、ひとつのことに全力を注いできた人間で、そこから変わるのは本当に難しいです。でも、ひとつのことに全力で臨む熱量があるからこそ、トップアスリートになれるもので。自分も、このタイミングで新しい道を探すのだと思っています」

 それはアスリートとして戦い続けた宇野が、プロスケーターとして違う世界へと旅立つ自分自身へ贈った言葉だったのかもしれない。

後編<宇野昌磨が引退「フィギュアスケートは性に合っていた」内向的な少年から笑顔の王者へ>を読む