文武両道WEリーガー・後藤若葉が有意義だったと実感する小学生時代の勉強習慣 「母が漢字の単語帳を作ってくれた」
文武両道の大切さを語る後藤若葉 photo by Ishikawa Takao
文武両道の裏側 第18回
後藤若葉(三菱重工浦和レッズレディース)インタビュー後編(全2回)
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文武両道を実践してきた後藤若葉。超多忙な毎日のなかで、どのようにしてスポーツと学業を両立してきたのだろうか。彼女に小さい頃からの勉強習慣について話を聞いた。
【朝30分勉強の日々】――サッカーを始めたのはいつごろですか。
年中から始めたので5歳くらいです。子どもの頃から体を動かすのがすごく好きで、通っていた幼稚園で体操かサッカーのどちらかをやることになっていて、体操よりもサッカーのほうが楽しそうにやっていたから、サッカーをやって、そのままはまった感じです。
――学業の成績について、両親の教えやポリシーはありましたか。
小学校は8時くらいから学校が始まるので、7時半くらいには家を出るのが普通だと思いますが、うちは6時半に起きて30分間、漢字とかの勉強をやって7時から朝ご飯を食べて家を出ていました。母が漢字の単語帳を作ってくれて、ひらがなを漢字にするとか、逆に漢字を読むとかをやっていました。それで漢字も学べましたし、朝に勉強をする習慣もつきました。
中学・高校のテスト勉強も夜やるよりも朝のほうがはかどりましたね。だから眠くなったら早めに寝て、次の日に朝早く起きて勉強していました。それがあったから、今でも早起きするのは得意なほうですね。
――ご両親も朝型だったんですか。
そうですね。基本的に夜更かしもしなくて、友だちに「夜10時以降、若葉と連絡つかないんだけど」って言われていました(笑)。さすがに大学生の頃は帰るのが夜11時だったので、そこは少しずつ変わっていきましたけど。
――中学くらいになると、成績のことも考え始めるかと思います。中学でメニーナ(日テレ・東京ヴェルディベレーザの育成組織)に入ってからはしっかり練習もしていたと思いますが、どんな形で文武両道を進めていましたか。
メニーナは、学校での成績がよくないと練習を制限することになっていました。テストの1週間前からはテスト休みを設けてもらっていましたので、ほかのメンバーも含めて、そこはしっかり勉強をしていました。テスト休み以外でも時間をどう使うかを日々考えてやっていましたね。
――中学時代の成績はよかったですか。
出身が東京なんですが、都立町田高校に推薦で入るくらいの成績でした。町田高校は進学指導特別推進校としての指定を受けていて、多くの人が一流の大学に入学していました。だから高校の勉強は本当に大変でしたね。
――高校時代はどのくらい勉強していたんですか。
1日7時間授業で、学校が終わったらそのままメニーナの練習場に向かっていました。その電車の移動時間を小テストとか、英単語とか、古文とかの勉強にあてていました。家に帰ってからも次の日の予習とかもしないといけなかったので、1時間くらいは勉強していたと思います。
――高校時代には各年代の代表に選ばれていました。学業との両立はどうでしたか。
授業を抜けることが多かったので、そこは本当に大変でしたね。アジア大会とかワールドカップとかになると、1カ月くらい休まなくてはいけなくて、やっぱり1カ月も授業を受けていないと、授業についていけないことが結構ありました。だから補習を受けさせてもらったり、友だちに教えてもらったりして何とかついていけるように、ギリギリのところで頑張っていました。
――当時の夢はどんなものでしたか。
各年代の代表に選ばれていましたので、まずはそこで活躍することと、メニーナではベレーザというお手本があったので、そこを目指しながらやっていました。
【人として成長した4年間】――そして早稲田大学に入学しました。それは推薦入学でしょうか。
そうです。女子のサッカー部に1枠だけスポーツ推薦がありました。もちろん高校で成績がよくないと早稲田大学には入れてもらえないので、それをクリアしました。
――ベレーザでのプレーと大学進学で悩んだそうですが、それはなぜですか。
メニーナの6年間はベレーザに上がることを目標にやってきて、高校3年の時にはベレーザの試合にも出させていただいていました。ただ自分は大学でしっかり学びたいとも思っていました。そんな時に早稲田大学進学の話を先生からいただいて、早稲田であれば、サッカーで日本一を目指せるし、勉強もしっかりできる環境があると思ったので、早稲田大学を選びました。
――大学時代の自分は、入学時に描いた思いをそのまま体現できましたか。
学びたかったことを学びながら、サッカーでは2年生の時に日本一を獲れました。3年生の時にケガをしてしまいましたが、その1年間で人として成長できたかなと思っています。4年生の時には主将をやらせてもらい、「誇闘(こどう)」をスローガンとして掲げてやってきましたが、そのなかで先輩たちから受け継いだ思いや誇りを伝えていくことができました。
それから私は早稲田に関わらず、大学サッカーに興味を持ってもらいたいとも思っていましたので、4年生の時にアジア競技大会に日本の大学生から唯一選んでいただいて優勝できたのはよかったです。これでひとりでも多くの人が、大学サッカーに興味を持ってくれればうれしいなと思っていました。
――早稲田で掲げた「誇闘」を、後輩たちにどのように継承していったのでしょうか。
私たち4年生は3年間積み上げてきたものがあって、誇りがどんなことなのかは理解していました。ただ誇りは抽象的なので、伝えるのが難しかったです。最初は結果がついてこなくて、苦しい時期もありましたが、誇りを持つために、日々の挨拶をしっかりするとか、ミスへの対処とか、本当に小さなことから積み上げていって、最後には全員が誇りをもって戦えたと思います。最後のインカレは優勝できませんでしたが、決勝の舞台に立てたことは、全員が積み上げてきたものがあったからこそできたと思っています。
――人としての成長はどのような部分ですか。
メニーナの時には自分のプレーに集中していましたが、大学になってチームのためにと考えられるようになりました。自分の意見を言うだけではなくて、相手の意見を聞き、そのうえで相手のよさを引き出すためにどうしたらいいのか考えました。そんなことを高校の時に考えていなかったなと思い返すことが結構ありました。
【大学進学は遠回りではない】――レッズレディースでの目標を教えてください。
試合に出ることによって得られる学びがあるとすごく感じていますので、競争の激しいチームのなかで、練習でどれだけ積み重ねられるかが重要だと思っています。そして、いざ来たチャンスを自分でつかみ取っていけるかだと思います。今シーズンは残り少ないですが、優勝をつかみ取れるように、自分のよさを出していきたいです。また日々成長していけるようにすることが目標です。
――最後に文武両道を目指すアスリートの方々にメッセージをお願いします。
自分は早稲田大学進学を選んでよかった、正解だったと心から思っています。だから大学でプレーするのが遠回りだと思ってほしくないです。サッカーに励む選手や子どもたちには、高卒でWEリーガーになるのも、大学でサッカーするのも、どちらも選択肢に入れて欲しいです。自分の頑張り次第で選んだ道を正解に導くことができると思っています。
今後進路選択をする選手や子どもたちに、私が受賞したウーマン・オブ・ザ・イヤーやアジア大会出場、そしてレッズレディースでのプレーが、大学サッカーに興味を持つきっかけになればうれしいなと思っています。そして私は今後も、早稲田大学卒の後藤若葉としても見られるので、それに恥じないプレーをしていきたいです。
【Profile】
後藤若葉(ごとう・わかば)
2001年6月4日生まれ、東京都出身。5歳の頃にサッカーを始め、中学から日テレ・東京ヴェルディベレーザの育成組織メニーナに所属。各年代の代表にも選出され、AFC U-19女子選手権2019では優勝も経験した。高校卒業後は早稲田大学に入学し、4年時には主将としてチームをけん引。関東大学女子サッカーリーグ戦1部2位、インカレ準優勝の成績を収めた。2023年8月には特別指定選手として三菱重工浦和レッズレディースに所属。同年9月の杭州アジア大会に日本の大学生から唯一選出され、全試合先発出場し優勝に貢献した。大学卒業後は浦和の一員として活躍している。