女優・川上麻衣子さんの暮らしのエッセー。 一般社団法人「ねこと今日」の理事長を務め、愛猫家としても知られる川上さんが、猫のこと、50代の暮らしのこと、食のこと、出生地であり、その後も定期的に訪れるスウェーデンのことなどを写真と文章でつづります。今回は、「エゴサーチ」について。久々にやってみて見つけた「ショックな記事」をきっかけに思い出した「昭和のカミソリ入りの手紙」。言葉のもつ力やネット社会の怖さについて語ります。

【写真】ファンレターに囲まれた10代の頃の川上麻衣子さん

春は「新しいこと」を始めたくなる季節。だけど…

2024年は年明けから暖かい日が続き、例年ならばキリリとした寒さで迎える新年も今年は少し緩く始まった印象があります。それでも暖かさと寒さを繰り返しながら、季節は確実に春へと近づいてきました。

3月は卒業。4月は入学。もう、とうの昔に縁のなくなった行事ではありますが、この季節にはどうにも学生時代の記憶が甦ります。その一方で、「今年も桜が見られる喜び」を知る年齢にもなりました。

いずれにしてもなにか新しいことを始めたくなるのがこの季節。寒さで固まった体をほぐすべく、ジョギングや運動、あるいは少し甘やかせ気味の脳みそを活性化させるための勉学など、始めたいことは数々あります。

ですが、これがまた長続きしないことも長年の経験から自覚しているだけに厄介です。いやいや諦めず、自分磨きをスタートさせなければと我が身を奮い立たせています。「新しいことを始める」という行為はなかなか、年を経ると億劫なこともあり、今更と言い訳してその一歩を踏み出しにくくなっているのかもしれませんね。

これまでしていなかった「エゴサーチ」をすることに…

そんなことを自問自答しながら先日、日頃避けていた「エゴサーチ」(ネット上で自分で自分を検索する行為)なることをやってみました。

じつは、最近たくさんの方から「ネットで拝見しました」という言葉をいただくようになりました。以前の、テレビを観ました、ラジオを聞きました、雑誌を読みました、という言葉をはるかに超える「ネットで」というキーワードに少々圧倒されています。

このところ生前整理や実家じまい、そして以前ESSEonlineのコラムで打ち明けた「白髪染めをやめてみました」というテーマが、同世代の方々の共感を得てくれたのかもしれず、話題に挙げていただけるのはうれしい限りです。

しかし、世間の評価というものは決して優しい言葉だけではないことは長年の芸能生活で重々承知している事実です。

自らがどんなふうに晒されているかを調べる行為は、怖いもの見たさでしかなく結果落ち込むことが多いことを何度も経験してきました。わかってはいましたが、ここはひとつ勇気を出して見てみるか、というわけでやってみましたエゴサーチ。

エゴサーチで発見した思わぬ記事

そこに飛び込んできたのは「悲報:女優の川上麻衣子さん、ブチ切れ。俳優と呼ぶな、女優という言葉に憧れがある。なくしたくない」といった記事が次から次へと続いていて、思わぬ展開に驚いてしまいました。

どうやらつい最近なんのことはなくX(旧Twitter)につぶやいた一文がひとり歩きをしている結果なようです。

もちろん私は、ブチ切れてはいませんし「俳優と呼ぶな」などとつぶやいてはいません。話題となり拡散されていくことはありがたいことではありますが、ニュアンスがまったく違うというのはどうにも困ったものです。ネット社会の怖さをほんの少し垣間見た気がします。

昭和でもつらい経験はあったけれど

誹謗中傷に関しては、表に出る以上、どうしても起きてしまう職業だという認識はどこかにあります。

ネットが普及する以前にデビューしている私世代は、いわゆる「カミソリ入り」の手紙に怯えてきた歴史があります。あなたのことがどれほど嫌いかを伝える手段として封書にカミソリを忍ばせるものから、もっと悪意を感じるものには、ちょうど手が切れるように、封筒の先端にうまく貼りつけているものもありました。

あるいは、私の写真が掲載された紙面をビリビリに破いたものと一緒に、送り主のクラス全員の「あなたが嫌い署名リスト」も同封、なんていうものもありました。

当時はそんなアイドルへのいやがらせがエスカレートして、とても文字にはできないような内容物が送りつけられることもありました。郵送の規制も緩かった時代だからこそ起きていたことだと思いますし、決して起きてはならないことですが、今となっては昭和の苦い思い出のひとつです。

当然ひどく傷つき落ち込むこともありましたが、「嫌われることが世間に評価される最初の一歩」なんだと励ましてくださる方々に支えられ、打たれ強く育ちました。ですから、嫌われることを知らされることにはそれなりの覚悟は持っていますが、自分の言葉が歪曲されて拡散されていく怖さは、ネット社会独特の現象かもしれません。

「おもしろければよい」「話題性が大事」そんな世の中はとても稚拙なものにしか感じられず悲しくなります。

本当に大切なことというのは、いつも大袈裟に派手に訪れることではないはずです。

言葉の持つ力。言霊。地味であっても丁寧に紡いでいくことを考えさせられた私のエゴサーチでした。