加藤未唯の「失格問題」で最も重要なこと...レフェリーは実際に何が起きたか映像を見ることなく、判決を下していた【2023年人気記事】
2023年の日本はWBC優勝に始まり、バスケのW杯では48年ぶりに自力での五輪出場権を獲得、ラグビーのW杯でも奮闘を見せた。様々な世界大会が行なわれ、スポーツ界は大いなる盛り上がりを見せた。そんななか、スポルティーバではどんな記事が多くの方に読まれたのか。昨年、反響の大きかった人気記事を再公開します(2023年6月8日配信)。
※記事内容は配信日当時のものになります。
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「est une disqualification」
主審がそうアナウンスした時、フランス語はわからなくとも、笑顔で帰り支度を始めるマリエ・ブズコバ(チェコ)とサラ・ソリベス・トルモ(スペイン)を、そして呆然と佇む加藤未唯とアルディラ・スチアディ(インドネシア)の姿を見れば、内容の想像はついていた。一斉に沸き起こるブーイングが、観客たちの不満の感情を映す。
ただ、それでも信じられず、となりにいたフランス人のスタッフにたずねた。「今、主審はなんてアナウンスしたのです?」と。
「失格により、あっちが負けたんだよ」
彼女はそう言い、まだ動けずにいるふたりのほうを指さした。
ボールガールに謝る加藤未唯(右)
どこかで、わかっていたことではある。ただ、あらためて耳にすると、こちらもしばし呆然とたたずむしかなかった。
全仏オープン、女子ダブルス3回戦。加藤がボールパーソンに"危険球を当てた"として、敗戦を言い渡された場面である。
問題となった"危険球"がいかなるものだったかは、おそらくはすでに多くの方がご存知かと思われるので、ここでは客観的な事実だけを記す。
第2セットの第5ゲーム、30オールの局面。
自陣のネット際に落ちたボールを、加藤はラケットですくいあげ、バックハンドでスライス回転をかけて、相手コートのコーナーへと送った。
ボールが向かった先にいたのは、ボールガール。ただ、サーブを打つ選手にボールを渡すべく集中していた彼女は、向かって飛んでくるボールに気づくのが遅れたようだった。結果、ボールは直接、彼女の首の付け根付近に当たる。
客席から、「オオッ」と小さな驚きの声が漏れた。
主審は、ボールガールに「大丈夫?」と声をかけ、少女は小さくうなずく。その様子を確認した主審は、加藤に「警告」を告げた。
この時になって、対戦相手のふたりは初めて、ボールが少女に当たったことに気がついたようだ。ふたりは主審に詰め寄り、「いや、あれは失格だ、失格だ!」と抗議をはじめたのである。
【録音されていた事の顛末】主審は「彼女(加藤)はわざと当てたわけではない。ボールガールはケガをしていない、問題ないと言っている」といさめた。
だが、それでもふたりは「あんなに泣いているじゃないか」「血も出ている」と引き下がる気配はない(なお、試合後の囲み取材でブズコバは「私は当たったところは見ていなかったが、チームがそう言っていた」と発言した)
この段に至り、主審はスーパーバイザーに連絡を入れた。審判が裁量権を持つのはあくまで、試合中の出来事まで。選手間の揉め事や試合進行に関わることになると、そこはスーパーバイザーの領域だからだ。
数分してコートに現れたスーパーバイザーに、主審は事の顛末を説明した。以下は、公式録画が収音している、両者の会話内容である。
「彼女(加藤)が、ボールをボールガールのほうに"パス"した。誰もがする、よくある行為だが、ちょっと強めになった。ただ、ボールガールは別のほうを見ていたので気づかず、ダイレクトに当たった。私がボールガールに確認した時、彼女は大丈夫だと言った。パニックになって泣き出してしまったようだ」
主審の説明を受けたスーパーバイザーは、「レフェリーを呼ぶ必要がある」と言い、トランシーバーを取り出した。それからさらに数分が経ち、スーツに身を包んだ男性......すなわちレフェリーが現れる。
レフェリーもまずは、主審に話を聞いた。その後レフェリーは、まだコート上で立ったまま泣いているボールガールに向かい、話を聞いているようだった。そして最後に、加藤とスチアディのもとを訪れ、言葉を交わす。
音声では聞き取ることができなかったが、この時点でレフェリーは、ふたりに失格を告げたという。
「彼女は泣いている。意図的だったかどうかは関係ない。あなたがポイント間に打ったボールが誰かをケガさせたなら、それはあなたの責任だ。それで試合は終了になる」
スーパーバイザーが、加藤たちにそう説明した。
【前例となったジョコビッチの件】「誰かケガをしていますか?」と、加藤たちは問い返す。
すると、レフェリーは「あの子は泣いている。自分がここに来るまで時間がかかったが、それでもまだコート上で泣いていて、泣き止むことができない。それだけ深刻だったということだ」と言い、こうも加えた。
「これは、ニューヨークでジョコビッチに起きた件と同じだ」
ほどなくして主審は、マイクに口を近づけ、試合の終了をアナウンスする。最後の「失格」を口にする前、言葉にするのをためらうように、しばしの空白の間があった。
なお、加藤とスチアディは「そんなに強く当たってはいない。ビデオを見てほしい」とレフェリーとスーパーバイザーに主張したが、「それはできない」と言われたという。
今回の行為が「失格に相当する」との論拠が、全米オープンでのノバク・ジョコビッチ(セルビア)のケースなら、それはルールブックに記されている、以下の要綱が適応されたことになる。
『危険もしくは無謀なボールをコート内に故意に打つ、もしくは、不注意に打ったボールが深刻な事態を招いた場合』
なお、3年前のジョコビッチは、横を向いたままベースライン後方にボールを打ち、それが線審の喉を直撃したがゆえの失格だった。
以上のレフェリーの発言をかんがみると、今回要点となるのは、加藤の打ったボールが「危険や無謀な打球」もしくは、「深刻な事態を招いた」かである。ただ、レフェリーは実際に何が起きたか映像を見ることなく、判決を下していた。
一連の案件について、レフェリーのレミー・アゼマールはフランスの公共ラジオ放送局『フランス・アンフォ』の取材に、次のように語っている。
「これは不運な出来事ではあります。ただ、選手は自分の行動の責任を取らなくてはならず、時にその責任はとてつもなく重いものです」
さらに判断を下した経緯については、次のように説明した。
「呼び出しがかかった時、私はオフィスにいました。オフィスから試合が行なわれた14番コートまでは距離があり、着くまで6分ほどかかりました。
コートに向かった時、事前情報は一切ない状態でした。ですから現場で聞き取りし、その場で判断しなくてはいけなかったのです。私は素早く状況を分析し、そして、正しい判決を下しました」
さらには「あの日、選手(加藤)の会見をしないことを私が決めました。会見をする前に、自分が選手とちゃんと話をしたかったからです」とも明かした。
【加藤にファンから温かい声援】なお、公式ルールには『選手に"失格"を言い渡すのはレフェリーであり、スーパーバイザーと相談の末に決定すること』と定められている。
加藤は試合後に「動画も確認したうえで、正当な判決だったかどうかを精査してほしい」という旨の要請書を、グランドスラム評議会に提出したという。
ただ、当事者である加藤とスチアディのふたりは、この記事でも引用した公式録画を、いまだ確認できずにいるという。
選手は通常、自分たちの試合の動画を、専用のアプリを用いて見ることができる。ただ、この試合の動画は、いまだ選手用アプリに上がってきていないからだ。
今大会の加藤は、女子ダブルスのみならず、キャリア2度目の混合ダブルスにも出場。選手仲間やファンの温かい声援を背に、決勝まで勝ち上がった。
「まだ試合を純粋に楽しめていないので、明日の決勝は楽しみたいと思います。センターコートでもあるので、みんなが見て『楽しかった』とか『よかった』と言ってもらえる試合にしたいと思います」
その想いを胸に向かう決勝戦は、現地時間の6月8日・正午(日本時間19時)にスタートする。