京大法学部から社会人野球名門へ 水江日々生は「定数を変える思考回路」で入部を勝ちとった
この時期になると、来年度の社会人野球チームの入社予定選手が報道される。近畿地区の名門・日本生命には、新たに6名の大学生が加入する。
谷脇弘起(立命館大)、真野凛風(同志社大)とドラフト候補だった有望選手が名を連ねるなか、水江日々生(京都大)の名前があった。
日本生命は大阪府大阪市を本拠にし、都市対抗野球大会優勝4回、日本選手権大会優勝3回の実績を誇る。仁志敏久(元巨人ほか)、福留孝介(元中日ほか)、大島洋平(中日)などの有名選手をプロに輩出してきた。
そんな日本生命に、京大生が一般職ではなく野球部員として加入する。そのニュースを意外な面持ちで受け止めた野球ファンもいたかもしれない。西日本の最難関と言われる京大を出て、野球の道に進む学生などごく限られているのだ。
京大を卒業後、社会人野球の日本生命でプレーする水江日々生 photo by Kikuchi Takahiro
水江の「日々生(ひびき)」という名前は「毎日を大切に生きなさい」という両親の願いが込められているという。そんな日々生が「日生(ニッセイ)」に入社するのだから、人生は不思議なものだ。
「巡り合わせなんですかねぇ。両親も『面白いなぁ』と言っていました」
水江はそう言って苦笑する。大学入学以前の仲間や恩師はみな、水江が野球を継続すること自体に驚きの声をあげたそうだ。しかし、関西の大学野球事情を知っているファンなら、水江が日本生命で野球を継続することに大きな驚きはないだろう。
2022年春、京大は関西学生野球リーグで優勝争いに絡む快進撃を見せた。監督は元ソフトバンク投手で、JR西日本の車掌を務めた経験もある近田怜王(ちかだ・れお)。投手起用の権限を持つのは、学生コーチ兼主務の三原大知。しかも、灘高出身の三原には野球プレー経験が一切なく、中学・高校時代は生物研究部という変わり種だった。
その三原が絶対的な信頼を寄せていたのが、水江だった。身長172センチ、体重76キロと平凡な体格の右投手。当時の球速は最速140キロと、大学生として秀でているわけではない。それでも打者の手元で小さく変化するカットボールと正確なコントロールを武器に、関西学生野球リーグの強豪と互角に渡り合った。
水江は2022年春のリーグで3勝を挙げ、防御率2.09と安定した成績を収める。なお、当時の京大野球部の快進撃については、拙著『野球ヲタ、投手コーチになる。 元プロ監督と元生物部学生コーチの京大野球部革命』(KADOKAWA)を参照いただけると幸いだ。
水江は京都の中高一貫の進学校・洛星の出身だ。高校1年秋は部員が10人しかいなかったが、水江をエースとする洛星は京都大会ベスト8まで勝ち上がる。翌年の選抜高校野球大会の21世紀枠・京都府の推薦校に選ばれた。結果的に出場は果たせなかったが、一躍注目を集めた。
だが、高校時代について聞くと水江の表情は途端に暗くなる。
「高校では野球があまり好きではありませんでした。不思議なもので、嫌いやとうまくならへんのやなとわかりました」
高校最後の夏は京都大会初戦で敗退。不完全燃焼だった水江は、京大に進んだ先輩が口々に「大学野球はホンマに楽しい」と語っていたことを思い出す。一念発起して猛勉強し、一浪の末に京大法学部への合格を果たした。
京大入学当初の球速は「120キロ出るか出ないか」と水江は振り返る。それでも、監督の近田は1年生の水江に対して「社会人向きやね」と声をかけている。1年秋からリーグ戦で起用された水江は、水を得た魚のように大学野球にのめり込んだ。
「両親まで大学野球にハマっていきました。高校時代は『行けたら行こうかな?』という感じだったのが、今は仕事をずらしてまで応援に来てくれますから。高校時代は強い相手に勝てなかったのが、大学では強い相手に勝つ試合を見せられたのがよかったのかもしれないですね。親は『大学野球のほうが見ていて面白い』と言うてましたね」
だが、大学最終学年となった2023年は試練が待っていた。春のリーグ開幕戦の関西大戦に細見宙生(2年)の逆転サヨナラ本塁打で1勝を挙げたあとは、春秋リーグを通して20連敗。水江も春は0勝5敗、防御率4.37、秋は0勝3敗、防御率3.75と勝ち星を挙げることができなかった。
京大3年時の春のリーグ戦で3勝を挙げた水江日々生 photo by Kikuchi Takahiro
水江は「第一先発として負けてしまった責任は大きい」と自分を責めるものの、監督の近田は「水江以外の投手を育てきれなかった」と語る。水江を限界まで引っ張らざるを得ず、傷口を広げた試合も多かった。一方で、水江は前年まで投手コーチを務めていた三原が大学を卒業し、阪神タイガースにアナリストとして入団した影響を口にした。
「ギャンブル的な起用でもうまく当ててはったので、三原さんの存在は大きかったんだなと感じました」
【京大卒業後、4名が野球を継続】京大には入試という極めて険しいハードルがそびえるのに対し、ライバル校はスポーツ推薦で有望な選手が入学してくる。昨秋の関西学生野球リーグで優勝した関西大には、金丸夢斗という2024年ドラフト戦線の目玉になりうる逸材サウスポーがいた。
「打球が前に飛ばないんですよ。ほかのピッチャーの150キロとは明らかに違いますよね。ベンチから見ていても、あまりボールが見えないですから。マシンのスピードを165キロまで上げて打ち込んでも、金丸くんの生きたボールは打てない。彼のボールと比べたら、自分のボールはチェンジアップやと思い知らされました」
現実に打ちのめされても、京大野球部には芯がある。それは「リーグ優勝」という絶対的な目標だ。いくら連敗がかさもうと、水江は「来年のリーグ優勝に向けて取り組めたのは間違いない」と断言する。その強い意志は、3年生以下の後輩たちに受け継がれたはずだ。
これから京大野球部が優勝するために、何が必要か。そう尋ねると、水江はある不満を口にした。
「これは『京大生あるある』なんですけど、『100与えられたことを100やったらOK』というスタンスの人が多いんです。でも、僕は近田さんが与えてくれるのは最低限のことだけで、それ以上を求めていかなければ勝てないと思っています。そのあたり、『わかってるかな?』と少し心配ですね」
水江には、胸に刻んでいるふたつの言葉がある。ひとつは2学年先輩の藤井祐輔さんが発した「凡人は地図を眺め、一歩一歩確かめながら進まなければすぐに迷う」。もうひとつは、3学年先輩の和田直也さんが残した「努力は結果を曇らせる」だ。
水江は「自分はこの言葉で育ってきたようなものです」と笑う。地に足の着いたビジョンを持ち、明確な結果を残すために努力してきた。
「体って、定数か変数かで言えばほぼ定数だと思うんです。生まれつき大きい、小さいと個人差があって、変えにくい。でも、僕らが勝とうと思ったら、『定数を変える』くらいの思考回路にならなければ難しいんです」
入部当初は「130キロで抑える方法」を考えた時期もあったが、「体が大きくなくてもなんとかなる」とトレーニングに励んだ。その結果、水江は大学4年時に最速145キロを計測するまでに進化している。水江の「定数を変える思考回路」を受け継ぐ者がひとりでも多く現れれば、京大のリーグ優勝は近づくはずだ。
今年の京大は水江以外にも卒業後に野球を続ける者がいる。投手陣では染川航大が三菱自動車倉敷オーシャンズへ、川渕有真が富山GRNサンダーバーズへ。そして2022年の正捕手であり、今年度は就職浪人していた愛澤祐亮がJPアセット証券でプレーを継続することになった。4名が京大卒業後も野球を継続するのは、異例中の異例だ。
「プロや社会人野球を目指すような選手が出てこないと勝てない」
そう語っていたのは、京大の青木孝守総監督だ。2022年ドラフト会議では水口創太がソフトバンクに育成指名されており、まさに言葉どおりの展開になってきた。
水江は今後に向けて、「自分なりのよさを出していきたい」と決意を語る。恩師の近田も「下級生時に投げていたカーブをまた使えるようになれば、十分に通用する」と太鼓判を押す。
アマ最高峰の舞台で己の実力を証明するために。水江日々生はこれからも「定数」を打ち壊していく。