40代で東大に合格し、卒業した佐々木望氏(写真:佐々木望/インスパイア)

多くの作品で活躍する声優として多忙な毎日を送りながら、46歳のときに独学で東京大学文科一類に合格を果たした佐々木望氏。仕事と勉強の過酷な両立のなかで成功をつかみ取った秘訣は「ワクワクした気持ち」の持続にあるといいます。そんな佐々木氏が、つまずきがちな受験勉強を乗り越えるために取り入れた、あえて「長続きしない」ことを前提としたユニークな発想法を紹介します。

※本稿は佐々木氏の新著『声優、東大に行く 仕事をしながら独学で合格した2年間の勉強術』から一部抜粋・再構成したものです。

前回:40代で東大合格つかんだ人気声優の驚く「記憶術」

「継続は力なり」のもうひとつの意味

継続は力なり。

あきらめずに努力を続けることで夢や目標が達成できる、という言葉です。

この言葉には、じつはもうひとつ意味があると本で読んだことがあります。

努力を続けることができる、そのこと自体がその人の「力」、能力だというのです。

「千里の道も一歩から」、「雨垂れ石を穿つ」、「塵も積もれば山となる」、最近だと「あきらめたらそこで試合終了ですよ」のように、努力を続けることの大切さを説いた言葉はいくつもあって、これらの言葉はたいてい、成功したかたや秀でた才能・能力をもつかたによって語られています。

そうしたかたがたがおっしゃると説得力があって、「よし自分も頑張ろう!」と発奮できます。

とはいえ、小さな努力であっても、継続して積み重ねていくのは大変なことです。

努力し続けて成果を上げた人の能力にあやかりたい、その人たちを真似したい、と思うのと同時に、「そうは言ってもできないときもあるよね」と思ったりもします。

でも、努力を「やめなかった」ことを評価されるエピソードはこれまでに数え切れないほど見聞きしたことがありますが、努力を「途中でやめてもOK」とか「やめたなんてすごい!」という声はあまり聞いたことがありません。

周囲の空気が生む「やめること」の敗北感

「継続は力なり」という堂々たる金言の裏に、「あきらめたら負け」、「始めた以上は責任をもって続けるべき」、「ここで頑張れないヤツはなにをやってもダメ」などと、つい私たちに思わせてしまうような空気が、なんとなく社会のなかに浸透しているように感じられます。

なにかを途中でやめたことで他人から「失敗した」、「挫折した」と評価されることは、実際にもよくあります。

そういう空気や他人からの評価がプレッシャーになると、やめることに対して罪悪感や敗北感を覚えてしまっても不思議はありません。

やりたいことがあっても、「続けられなかったら」、「成果が出せなかったら」という不安が先にたってしまって、そもそも始めることすらできなかったり。まじめな人ほど、そんな傾向があるように思えます。

でも、途中でやめることをネガティブにとらえる必要はないんです。

途中でやめたっていいじゃないですか。

いつなにを始めてもいい。

それをいつまで続けてもいい。

「しばらく休もう」でもいいし、「やっぱりやめよう」でもいい。

「金輪際やらない」でも、「いつかまたやってみよう」でもいい。

行くも止まるも進むも戻るも、自分のことなのだから自分で決めていいと思うんです。

「三日坊主」であっても、それをしなかった3日に比べて、それをした3日は、その人にとって貴重な経験になる。

やってみて、はじめて見えてくることだってある。

私はそう考えています。

やってみて「自分には合わないかも……」と感じたとしても、それは3日続けたからこそわかったことかもしれません。

そうやってなにかを感じられただけでも、いまの自分は前の自分よりも確実にひとつわかったことがある。

そこに意義があると思うんです。

たった3日。いえ1日でも、数時間でも、数分でも。

勉強でもスポーツでも楽器でもゲームでも。

はじめてのことに挑戦して身をもって体験したその時間は、たとえ中途半端なままにやめてしまったのだとしても、あとで振り返ったときに、愉快な、甘美な、かけがえのない時間だったと私には思えます。

続けられた「3日間」が自分を変えてくれる

何年もたってから、「ああ自分はあのとき頑張ってみたんだよなあ。ちょっとだけだけど、やってみたんだよなあ」と、ほほえましくすがすがしく、ときには少し誇らしくなったりもします。

もしかしたら人からは、「そんなことくらいで。しかもちょっとだけなんて」と思われるかもしれませんけど、ちょっとだけであっても、たいした体験でなくても、「それをしなかった自分」よりも「それをした自分」の方が、私にとっては「好ましい自分」なんです。

たとえ「三日坊主」でも、その3日はずっと、それからの自分の人生にとって特別な3日間として残ります。

なにかに挑戦したその時間は、何年何十年の後にも、気持ちの豊かさを生む源泉として心のなかにい続けてくれると思うんです。

「いつかそのうちやってみたい」と思っていることでも、人生なにが起こるかわかりません。「いつか」も「そのうち」も永遠に来ない可能性があります。

「時間ができたら/余裕ができたら」も同様で、将来の自分がいまの自分よりも時間や余裕が多いとは限りません。

そんな「時間」や「余裕」が生まれることは、もしかしたら一生ないのかもしれません。

 あとまわしにしていることがあれもこれもあるなかで、ふとそんなことを考えてヒヤリとしたり、突如あせったりすることがずいぶんありましたが、最近は、ちょっとでもやりたいことは早くやった方がいい、と思ってとっとと始めるようになりました。

あえての「一日坊主」だから完璧にこなせる

新しいことを始めるには勢いが大切だったりします。

始める前から「続けられないかも」と思うと、その勢いにブレーキをかけてしまうことになります。

せっかく始める気になってもそうなると機を逸してしまいかねないので、最初は「ちょっとだけやってみよう」くらいの軽い気持ちで始めるのがいいかもしれません。

「三日坊主」といっても、実際、3日は長いですよね。

だから、1日だけやってみよう、と。

そして本当に1日しかやらないのです。

あえての「一日坊主」です。

「1日しかしない」というのが最初からの「計画」なので、そのとおり1日でやめてもなにも問題ありません。

計画どおりに物事を終えたのですから、中途半端ではないし、あきらめたわけでもありません。自分にがっかりしたり反省したりする必要は当然まったくありませんし、なんなら計画を完璧に遂行したとして表彰されてもいいくらいです。

で、やってみて、もし続けたいのなら続けてもいいですよね。

続けたいとまでははっきり思えなくても、なんとなくでも続けていいような気がするなら、いまは保留にしておいて、いつかまたやる気になれば再開すればいいし、その「いつか」が永遠にこないなら、それはそれでいいんです。

たった1日が人生の分岐点になる

計画はもう、あの日(1日目)に成功しているので、永遠に再開しなくても失敗や挫折ではありません。

たとえ1日でも、なにかを実際に体験したのなら。その日を分岐点として、それをまったく体験しなかった昨日までの人生とは違う人生がスタートしたといえます。


思い出づくりのために生きているわけではないですが、あとから振り返ったときに、その1日は、きっと自分にとって思い出のある特別な1日になっているように思えるんです。

スティーブ・ジョブズの “Connect the dots”(*1)が言う「点」が、心のなかにひとつキラッと増えたように。

(*1)
 “You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.”

未来を見据えて「点」をつなげていくことはできない。できるのは、(未来から)過去を振り返って「点」をつなげることだけだ。だから、(いまばらばらに見える)「点」たちが将来なんらかの形でつながるんだと信じなければ。(拙訳)

(佐々木 望 : 声優)