光をまとって生まれた皇子(写真:星野パルフェ/PIXTA)

輝く皇子は、数多くの恋と波瀾に満ちた運命に動かされてゆく。

紫式部によって書かれた54帖から成る世界最古の長篇小説『源氏物語』。光源氏が女たちとさまざまな恋愛を繰り広げる物語であると同時に、生と死、無常観など、人生や社会の深淵が描かれている。

この日本文学最大の傑作が、恋愛小説の名手・角田光代氏の完全新訳で蘇った。河出文庫『源氏物語 1 』から第1帖「桐壺(きりつぼ)」を全6回でお送りする。

光源氏の父となる帝の寵愛をひとりじめにした桐壺更衣。病弱で、後ろ盾もない桐壺は、帝に愛されれば愛されるだけ、周囲の目に気苦労が増えていき……。

「桐壺」を最初から読む:愛されれば愛されるだけ増えた「その女」の気苦労

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桐壺 光をまとって生まれた皇子

輝くばかりにうつくしいその皇子の、光君という名は、
高麗の人相見がつけたということです。

若宮を恋しく思い出す日々

はかなく日は過ぎて、七日ごとの法事にも帝(みかど)はきまってお見舞いの使者を遣わせる。時がたてばたつほど悲しみは深まり、帝は、ほかの女御(にょうご)や更衣(こうい)たちとも夜を過ごすこともなくなった。ただ涙に暮れ、夜を明かし日を暮らしている。悲しみに打ちひしがれたその様子を見ている女房たちも、思わずもらい泣きをしてしまうほどである。

そんな帝を見て、弘徽殿女御(こきでんのにょうご)は「亡くなった後まで、こちらを不愉快にするご執心ぶりですこと」と、相変わらず容赦なく言う。

帝は、長男である一の宮(いちのみや)の姿を見るにつけても若宮を恋しく思い出し、親しい女房や乳母(めのと)をたびたび桐壺(きりつぼ)の実家に遣わせて、若宮の様子を尋ねるのだった。

秋のはじめ、野分(のわき、台風)のような風が吹き、急に肌寒くなったある夕暮れ時のことである。帝はいつにもまして思い出に浸り、靫負命婦(ゆげいのみょうぶ)という女房を桐壺の実家に遣わせた。夕月のうつくしい時刻に命婦を送り出し、自身はもの思いにふけっている。以前はこのような月のうつくしい夕べに、よく管絃の遊びを催したものだった。琴をみごとな腕前で搔き鳴らし、その場でぱっと機転の利いたことを口にした、人並み以上にうつくしい女の姿が、まぼろしとなってぴったりと寄り添っているように感じられる。しかしそのまぼろしも、かつての闇の中で見た現実の姿にはとうていかなわないのである。

使いに出された命婦は、女の家に到着した。車を門内に入れるやいなや、すでに邸(やしき)中が悲しみの気配に満ちているのを命婦は感じ取る。やもめ暮らしとなった母君は、ひとり娘をたいせつに育てるために、邸もきちんと手入れをして見苦しくないように暮らしてきた。けれども娘の死を嘆き悲しみ、泣き伏して日を過ごすうちに、八重葎(やえむぐら)も好き放題に生い茂り、野分のせいで庭はますます荒れて見える。月の光だけが八重葎にも遮られずに射(さ)しこんでいる。


「桐壺」の人物系図

帝の言葉

南正面に命婦を招き入れても、母君は涙があふれてすぐには言葉も出てこない。

「こんなふうに生きながらえているのもつらいことですのに、畏れ多くもこのように勅使さまが、こんな荒れ放題の我が家を訪ねてくださるなんて、本当にもう、合わせる顔もない思いです」

と言って、母君はこらえきれずに泣き出してしまう。

「典侍(ないしのすけ)が『お尋ねしてみますと、こちらのご様子はまことにおいたわしくて、たましいも消え失せるかと思いましたが……』と帝に申し上げていましたが、ものごとをわきまえない私のような者でも、やはりたえがたいほど悲しいものでございますね」と命婦は言い、涙を抑えて帝の言葉を伝えた。「『しばらくのあいだ、夢ではないのかとただ呆然とするばかりだったが、だんだん心が落ち着いてくると、夢ではないのだから覚めるはずもなく、悲しみがより深まるのはどうしたらいいものか、話し合える人もいない。あなたがお忍びで参内(さんだい)してくれないだろうか。若宮のこともひどく気に掛かっている。そちらのようにみなが泣き暮らす中に若宮がいるのもいたわしい。どうか一刻も早く参内してほしい』と、何度も涙にむせながら、きっちりと最後までおっしゃることもできないご様子なのです。それでも、まわりの人に気弱だと思われないよう、気丈にしていらっしゃるのが本当にお気の毒で、帝の仰せ言(おおせごと)を最後まで承ることもできず、退出した次第なのです」と、命婦は帝の手紙を渡す。

「涙で目もよく見えませんが、このような畏れ多いお言葉を光として拝見いたします」と母君は手紙を受け取る。

「時がたてば、少しは悲しみも紛れるのかもしれません。その日を心待ちにして日を過ごしていますが、日がたつにつれてこらえがたさばかりが募ります。幼い宮がどうしているのかといつも案じております。ともに育てることができないのが気掛かりでなりません。今は私を亡き人の形見と思って、どうか宮中においでください」

などと、心をこめて書かれている。

宮城野(みやぎの)の露吹きむすぶ風の音(おと)に小萩(こはぎ)がもとを思ひこそやれ
(宮中に吹く風の音を聞くにつけても、あのちいさな萩──若宮がどうしているか、ただ思いやられる)

と書かれているが、母君はとても最後まで読むことができない。

娘に先立たれた母の葛藤

「長生きがこんなにつらいものであると、身に染みて感じております。『いかでなほありと知らせじ高砂(たかさご)の松の思はむこともはづかし(古今六帖/こんなにも長く生きていることを知られたくないものだ、高砂の松がこんな私をどう思うかと考えると恥ずかしくなる)』と古い歌にあります通り、私も気が引ける思いですので、人目の多い宮中に参るなど、とんでもないことです。畏れ多くもありがたいお言葉をたびたび頂戴しながら、私自身はとても参内の決心がつきません。若宮は、どこまでわかっていらっしゃるのか、宮中に早く行きたいご様子です。若宮が、おとうさまのいらっしゃる宮中をお慕いになるのはごもっともとは思いながら、若宮とお別れするのが悲しくてたまらない私の気持ちを、どうか内々でお伝え申してくださいませ。娘に先立たれた不吉な身ですから、ここで若宮がお暮らしになっているのも、やはり縁起のいいことではありません。畏れ多いことです」と、母君は言う。

若宮は、すでに眠っていた。

「若宮のご様子をほんのひと目でも拝見し、帝にご報告したいと思っておりましたが、帝もお待ちになっていることですし、夜も更けて参りましたので、今日はこれで失礼いたします」

と言って命婦は去ろうとする。

「子を亡くした親の心の闇はたえがたく、ほんの少しでも晴らせるくらいにお話ししたく思います。このような公のお使いだけではなく、またどうか内々でお気軽にいらしてください。この数年、晴れがましい折々にお立ち寄りいただきましたのに、こんなふうに悲しいお言づけを届けていただくのは、返す返すもこの寿命の長さがつらく思われます。亡き娘には、生まれた時から望みをかけておりました。娘の父親であった大納言も、息を引き取る直前まで『この子を入内(じゅだい)させるという私たちの願いを、どうかかなえておくれ。父親の私が亡くなっても、弱々しく志を捨てるのではないぞ』とくり返し言いさとしていました。しっかりした後ろ盾となってくださる方もいないままに、宮仕えなどしないほうがいいと心配してはいましたが、亡夫の遺言に背いてはならないという一心で、あの子を宮仕えに出させていただきました。それが思いもよらず深い愛情を掛けていただきまして、それだけでも身に余ることですので、ほかの方々から人並みにも扱ってもらえない恥も忍んでは宮仕えを続けていたようです。それでもその方々からの妬みを一身に受けて、心を苦しめることもだんだん増えて参りましたところに、ついにはあんな有様でこの世からいなくなってしまいました。ですから畏れ多いはずの帝のお心も、かえって恨めしく思えてしまうのです。これも、子を失ったどうしようもない親心の闇でございます」

と、その後はもう言葉もなく母君はむせび泣く。

「帝も同じことをお考えで……。『自分の心ながら、周囲が驚くほど深く愛してしまったのは、思えば、長く続くはずのない仲だったということなのだね。今となってはなんとせつない縁だろう。少しでも人の心を傷つけまいとしてきたのに、この人をこんなに愛してしまったがために、受けずともいい人の恨みをたくさん受けることになってしまった。そのあげく、こうしてひとり遺されて、気持ちの整理もつかず、ますますみっともない愚か者になりはてた。こんな私たちは、いったいどんな前世の宿縁だったのかが知りたい』と、幾度もおっしゃっては、涙に暮れていらっしゃいます」と命婦は語り、話は尽きることがない。泣く泣く、「夜も更けました。今夜のうちに戻って、ご返事申し上げなければなりませんので」と急いで帰ろうとする。

長い夜も足りないほど

月は沈みかけて、空は一面さえざえと澄み切っている。風は涼しく、草むらから立ち上る虫の音が、涙を誘うかのように響く。命婦はなかなか立ち去りがたく、車に乗りこめないでいる。


鈴虫の声の限りを尽くしても長き夜あかずふる涙かな
(鈴虫のように声の限りに泣き尽くしても、長い夜も足りないほど、泣いても泣いても涙がこぼれます)

命婦は車に乗りこむこともできない。

「いとどしく虫の音(ね)しげき浅茅生(あさぢふ)に露おき添ふる雲の上人(うへびと)
(虫がしきりに鳴き、私も悲しみに泣く、この草深いわび住まいに、なおもまた、あらたな涙を添えてくださる雲の上のお人よ)

あなたさまのせいだと申し上げてしまいそうです」

と、母君は取り次ぎの女房に伝える。

風情(ふぜい)ある贈り物をしなければならないような場合でもないので、ただ形見として、こんなこともあろうかと残しておいた娘の装束一式と、髪上(くしあ)げの道具のようなものを添えて命婦に託す。

年若い女房たちは、もちろん未(いま)だ悲しみに沈んでいたが、これまでのはなやかな宮中の暮らしに慣れてしまっていて、この里の住まいがどうしてもさみしく感じられて仕方がない。また、帝の様子も心配で、命婦の言葉通り、早く若宮を宮中にお連れすべきだと勧めている。けれども、母君は、娘に先立たれた逆縁の、不吉な自分が付き添って参内するのも世間体が悪いだろうし、かといって、若宮と離れて暮らすのも気掛かりだし……と、はっきりと心を決められないままでいる。

次の話を読む:成長した若宮、うつくしいが故に漂う「不気味さ」


*小見出しなどはWeb掲載のために加えたものです

(角田 光代 : 小説家)