日本の経済政策は末期的な状況に陥っている。その代表例が、2024年度予算の焦点の1つである少子化対策予算だ(写真:タカス/PIXTA)

子育て支援金は、実質的には医療費の自己負担の増加によって賄われることになる。これでも「国民負担の増加なし」と言い切れるか? 昨今の経済現象を鮮やかに斬り、矛盾を指摘し、人々が信じて疑わない「通説」を粉砕する──。野口悠紀雄氏による連載第111回。

子育て支援金の何が問題か?

政府施策の負担に対する原則が混乱してきた。そして、ごまかしの議論が横行し始めている。複雑なごまかしなので、どこかおかしいと思いながら、それがなぜおかしいのかがよくわからない。そのために、おかしな説明に基づくおかしな政策が、堂々とまかり通っている。日本の経済政策は末期的な状況に陥っている。

その代表例が、2024年度予算の焦点の1つである少子化対策予算だ。

これに対する基本的な方針は、2023年12月22日のこども未来戦略会議 で示された。すなわち、児童手当の延長や所得制限撤廃、大学無償化などで、3.6兆円の施策を行う。このための財源は、歳出改革で1.1兆円、支援金で1兆円、既定予算の活用で1.5兆円とされた。

問題は支援金だ。医療保険の給付に充てられることを目的として徴収された保険料を、少子化対策という別の用途に流用してしまうのは、まったく正当化できない。

この問題で本来議論されるべきは、まず、今回の少子化対策によって本当に出生率が上がるのかどうかだ。さらにいえば、いまの時点で出生率を上げることが、高齢化対策として適切なのか否かだ。仮にこれらの論点がクリアされるとしても、そのための財源は増税であるべきだ。

ところが、実際には、施策の効果に関する検討は素通りして、支援策が決まった。そして、増税が最初から否定され、負担増をいかに見えにくくするか(ありていに言えば、「ごまかすか」)が考えられている。本末転倒もはなはだしい。

負担ゼロは「見せかけ」か?

政府は当初、医療費を削減する予定だった。予算折衝の過程で、財務省は、診療報酬本体(医師や看護師の人件費)のマイナス改定が適当との財政制度等審議会の答申に基づき、診療報酬の本体を1.1%削減する案を提案した。そうすれば、医療保険全体としての支出を増やすことなく、支援金を作り出すことができると考えたのだろう。

ところが、実際には、医師会の強い反対にあって、診療報酬の本体は、0.88%増になってしまった。薬価を引き下げたが、診療報酬全体では0.12%減にしかならなかった(注1)。これに加えて支援金を増設すれば、医療費全体は増えてしまうだろう。

ところが、岸田首相は、国民負担の増加なしに少子化対策を実現すると強調してきた。上記のようなことになれば、この説明と矛盾するのではないか?

矛盾するという報道もある。それによれば、保険料の引き上げは不可避だが、それにもかかわらず、12月20日の大臣折衝で、賃上げ措置による社会保険の負担は負担増と見なさないと合意した。これは「見せかけ」の負担ゼロだという議論だ(注2)。

ただし、私がチェックしたかぎり、昨年12月20日の大臣折衝に関する厚労省の発表には、そのような「合意」は記されていなかった。

(注1)武見大臣会見概要(財務大臣折衝後)、厚生労働省、令和5年12月20日。
(注2)「微減の裏でやっぱり膨張」、朝日新聞、12月23日。「見せかけ」の負担ゼロ、朝日新聞、12月25日。

医療保険の保険料については、現時点では何も提起されていないし、議論にもなっていない。したがって、大臣折衝でその扱いについて議論がなされたとは思えない。

ただし、医療費全体が増えれば、保険料を引き上げなくとも、患者の自己負担は増える。これを「負担」と見なすかどうかは、重要な問題だ。

「国民負担率」という概念があるが、これは、税および社会保険料の国民所得に対する比率として定義されている。自己負担はここには含まれないので、それがいくら増えても、国民負担率は変わらない。だから、保険料率を引き上げない限りは、岸田首相がいうとおり、国民負担の増加なしに少子化対策を実現できることになる。

この説明は、形式的に言えば間違いではない。ただし、これが普通の人の感覚に合わないことも間違いない。

自己負担は国民負担でないのか?

自己「負担」の増加が国民「負担」の増加でないというのは、語義矛盾のような気がするし、何よりも、国民の一般的な感覚には合わないだろう。病院の窓口で支払う金額が増えるのに、「これは負担増ではありません」と言われて、納得する人はいないだろう。

しかし、これは難しい問題を含んでいる。例えば、公的年金の給付を削減したとしよう。そうなれば年金生活者の生活は苦しくなるから、負担は増加したといってもよいだろう。しかし、年金の給付額がいくら減ったところで、国民負担には影響がない。形式的に言えば、医療費自己負担の増加は、これと同じ問題だ。

つまり問題は、「国民負担」の定義が妥当かどうかということなのだ。現在の定義であれば、医療費自己負担がいくら増えても、国民負担が増えないと政府が言うのは当然だ。しかし、その定義が妥当なものかどうかが問われているのである。

この問題は、今後重要性を増す。実際、さまざまな施策の財源として医療保険や介護保険の自己負担率の引き上げが、すでに提起されている。

医療保険については、2割負担の拡大がすでに行われている(年収が200万円以上の後期高齢者の自己負担率は1割であったが、2022年10月から2割に引き上げられた)。さらに介護保険の自己負担を増加させることが提起された。これは実現しなかったのだが、実現すれば、上で述べた医療保険の場合と同じように、普通に考える意味での国民の負担は増加することになる。

自己負担はあまり目につかないので、今後もさらに行われる可能性がある。しかし、増やされる人の側から言えば、かなり大きな負担増になってしまう。

したがって、「定義によって自己負担は国民負担に含まれません」と言って終わりにするわけにはいかない。この問題については、さらに突っ込んだ検討が必要だ。

とくに、医療保険や介護保険における自己負担のあり方について、今後議論する必要がある。現在は所得によって差が付けられているが、所得の定義をどうするか、金融資産からの所得を入れなくていいのか、また所得だけでなく資産額も基準に加えるべきではないか、等の問題がある。

そして自己負担率の適正な水準がいかなる水準なのかについての議論が必要だ。それは、税や社会保険料の適正な負担率がどのようなものなのかという問題と同じように、重要な問題になってくる。

適切な自己負担が必要

なお、自己負担の増加は必ずしも悪いことではない。日本の老人医療は、当初、全額自己負担なしで発足した(ただし、一部の高所得者を除く)。このために、必要がなくても病院に行く人が増えるというおかしな事態が発生した。同じことが、介護保険についても言えるだろう。もし自己負担がなければ、必要性が疑わしい場合にもサービスが使われるということになりかねない。

こうした事態が増えれば、社会保険としての機能を果たせないことになってしまう。これを防ぐためにも、一定の自己負担を求めるのは、必要なことだ。


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(野口 悠紀雄 : 一橋大学名誉教授)