1997年12月10日、「ハーモニアス ビークル」をテーマに21世紀を先取りした革新的ハイブリッド乗用車として誕生した初代プリウス(写真:トヨタ自動車)

20〜30年以上経った今でも語り継がれるクルマが、続々と自動車メーカーから投入された1990年代。その頃の熱気をつくったクルマたちがそれぞれ生まれた歴史や今に何を残したかの意味を「東洋経済オンライン自動車最前線」の書き手たちが連ねていく。

トヨタが1997年12月に発売したハイブリッド車(HV)の「プリウス」は、世界に衝撃を与えたといっていい。

トヨタは、多くの人に、可もなく不可もなく、80点主義のクルマづくりをする自動車メーカーという印象を持たれがちだ。しかしプリウスは、そうしたトヨタが、世界初の価値を、多くの消費者が買える価格で市販することをやってのけたのだ。

気候変動対策に迫られた90年代の時代背景

地球温暖化という言葉は、1980年代から次第に話題にのぼるようになった。しかし、温室効果ガスによる気候変動を世界的な課題として対処しようとする機運は、1992年の国連総会で「国連気候変動枠組条約」が採択され、一躍人々に意識されるようになる。

それ以前、1990年にアメリカ・カリフォルニア州ではZEV(ゼロ・エミッション・ヴィークル)法が施行された。これは、今日では気候変動対策として認識されているが、本来は、カリフォルニア州の大気汚染を抑止する目的であった。1970年に、カリフォルニア州でマスキー法案が提出され、世界的にエンジン車の排出ガス規制が実施されるきっかけとなるが、それもカリフォルニア州の大気汚染を改善することを目的としていた。そのうえで、1990年のZEV法は、大気汚染を抑止しながら、排出ガスゼロによって気候変動にも効果をもたらす象徴的な規制となったのである。カリフォルニア州以外の州でも、次第に適用が広がることになる。

ZEV法をきっかけに、アメリカ国内のビッグ3(ゼネラルモーターズ/フォード/クライスラー)のみならず、日本のトヨタ、日産、ホンダ、そして欧州でもメルセデス・ベンツ、BMW、フォルクスワーゲン、ルノー、プジョーなどといったメーカーが、電気自動車(EV)開発に乗り出した。しかし、ノーベル賞を受賞した吉野彰が開発したリチウムイオンバッテリーが、ソニーで製品化されるまで、エンジン車の補器用電源として使われる鉛酸バッテリーしか蓄電の手段がなく、EVの市場導入は遅れることになった。

世界初の量産ハイブリッド車としてプリウスが登場


初代プリウスの機構を紹介した透視図(写真:トヨタ自動車)

そこに登場したのがプリウスである。トヨタのEV開発とは別に、21世紀にあるべきクルマの姿を模索する研究と開発から、ガソリンエンジン車の2倍の燃費を実現することを目的にHV開発がはじまり、それがプリウスとして1997年に市販されたのである。

EVの開発を通じて電気駆動系の取材をしてきた私は、プリウス発売前に「コロナプレミオ」の車体を使った試作車を試運転させてもらった。静岡県裾野市にある東富士のテストコースで運転したコロナプレミオのHVは、ボンネットフードを開けると、エンジンとモーターと制御系が効率よく収められ、これほど高度なシステムに仕上がっていたことに驚いた。


初代プリウスのサイドシルエット(写真:トヨタ自動車)

市販された初代プリウスは、5ナンバーの小型4ドアセダンで、やや背の高い独特な姿をしている。外観の好みはあったが、私はほかにない独特な存在感に好感を覚えた。運転席に座ると、センターメーターが採用されており、そこが、従来と違う未来を切り拓く新しい価値観のクルマという強い印象をもたらした。

発進すると、モーターとガソリンエンジンを併用した駆動で独特な加速を味わわせた。動力性能は、小型4ドアセダンとして十分に思った。高速走行では、やや加速に物足りなさを訴える意見もあったが、日本の道路環境で使うぶんには不足なく、むしろ環境の時代を迎えるにあたって、エネルギーを最適に使う運転の仕方や、移動速度への価値観を改めて考えさせる動機づけがあると思った。


初代プリウスのエネルギーモニター画面(写真:トヨタ自動車)

減速し、停止するまでの間は、モーターを発電機に替えて回生により減速度をもたらし、かつ車載のニッケル水素バッテリーに充電する。通常の摩擦ブレーキを使って停止するまでの回生との調和に、やや段付きのある不自然さはあったが、あえてそれが不都合だと批判するほどではないというのが私の考えであり、この先改善を期待した。

そうした走行性能だけでなく、初代プリウスは座席のつくりにも手を入れ、やや硬めでしっかりとした座り心地で、体に沿った形状は、長時間の移動も疲れにくくさせる効果があった。

誰でも乗れる大衆車を目指したプリウス


初代プリウスのインテリア。今では当たり前だが、当時としてはセンターメーターも先進的だ(写真:トヨタ自動車)

単に世界初のHVという挑戦に酔いしれるのではなく、誰もが乗れる小型4ドアセダンとしての質や価値にもこだわったところが、初代プリウスの偉大なところである。

EV開発が一時停滞したように、新しいバッテリーの登場は、HVでも望まれる重大要件であった。トヨタは、パナソニックと共同開発によって、クルマ用のニッケル水素バッテリーを生み出したのである。合弁会社を作り、専用の工場を建設した。

ニッケル水素バッテリーとは、それまでにも家庭電化製品などで使われてきたニッケル・カドミウム(通称ニッカド)バッテリーと同じ系列で、同様の特性を持つ。有害物質であるカドミウムに替えて、水素吸蔵合金を電極に使うことにより、安全な高性能バッテリーとした。


初代プリウスに搭載された高出力Ni-MH(ニッケル水素)バッテリー(写真:トヨタ自動車)

ただし、ニッカドと同じ特性のため、放電し切ってから充電しないと容量を使い切れないメモリー効果があるため、厳密な充放電管理を行う制御をトヨタは組み立てた。電池容量の2〜8割の間で安定的に電力を利用できる仕組みを作り上げたのである。

プリウスが目指したのは「人々のためにクルマ」


初代プリウスのハイブリッド用パワーユニット(写真:トヨタ自動車)

初代プリウスの主査を務めたのは、のちに副社長から会長へ上り詰める内山田竹志である。当時、内山田は私のインタビューに答え、「スポーツカーを作りたくて自動車メーカーに就職したのではなく、ドイツのフォルクスワーゲン(VW)のように、人々のためのクルマを作りたかった。次世代の小型車であるプリウス開発に携わることができて幸せだ」と、語っている。


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当時、欧州ではHVへの批判的な見解が多くを占めた。欧州メーカー各社はディーゼルターボエンジンでの燃費改善を推し進めた。ところが、2015年に米国市場でVWによるディーゼル排ガス偽装が発覚する。しかも、現在の欧州のCO2排出規制は、ディーゼルエンジンでは解決しきれない。

結果、欧州自動車メーカーはEV開発に躍起となったが、内山田やVWが目指してきた庶民のためのEVの適正な価格での販売がなかなか進んでいない。HVを活かしたプラグインハイブリッド車(PHEV)など、初代プリウス以降、日本が築いてきた戦略を用いざるを得なくなった。


今年デビューした5代目プリウス。初代モデル(1997-1998 日本カー・オブ・ザ・イヤー)、3代目モデル(2009-2010 日本カー・オブ・ザ・イヤー)に続き、先日発表された2023-2024 日本カー・オブ・ザ・イヤーで14年ぶり3回目の受賞を果たしている(写真:トヨタ自動車)

誰も未来を予言することはできない。しかし、トヨタが20世紀の末にEV開発が一時的な停滞をするなか、HVという新たな価値を創造したことにより、今日の時代を迎えている。

トヨタには、単に80点で可もなく不可もなくといったクルマづくりだけでなく、時代を切り拓く挑戦に満ちた取り組みをする姿もあるのである。

(御堀 直嗣 : モータージャーナリスト)