くふうカンパニー代表の穐田誉輝さんは、食べログを作り、クックパッドを育てた名物経営者だ。そんな彼を実業家の堀江貴文さんは「他の経営者とは違う」と尊敬の念を隠さない。穐田誉輝とは何者なのか。2人を取材したノンフィクション作家の野地秩嘉さんが書く――。

※本稿は、野地秩嘉『ユーザーファースト 穐田誉輝とくふうカンパニー 食べログ、クックパッドを育てた男』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

撮影=西田香織
くふうカンパニー代表の穐田誉輝さん - 撮影=西田香織

■大半の企業にネットの知識がなかった1990年代

中古車買い取り業のジャックでインターネットでの仕入れや広告を担っていた穐田は、中古車の買い取り、販売をやりながら、仕事の一環としてインターネット関連のベンチャー企業を発掘していた。

「穐田君はインターネットに詳しいから、投資候補先のベンチャー企業に一緒に行ってくれない?」

そう言ってきたのはジャックが取引していた携帯電話の販売会社、光通信の村上輝夫だった。

当時、村上は光通信のベンチャーキャピタル部門のトップだった。彼はインターネット関連企業を見つけては投資していて、その時の水先案内を務めたのが「インターネットビジネスの目利き」と評価されていた穐田だったのである。

穐田は新規事業の拡大を考えていた。村上への好意だけでベンチャー企業の経営者に会っていたのではなく、自社の業務の一環だった。ふたりは会社の規模などを気にせず、片っ端から経営者を訪ね歩いた。

実際に面会してみると、大半の経営者はインターネットの知識があるわけでもなく、「儲かりそうだから」、ネット企業と名乗っているだけだった。つまり、箸にも棒にもかからないところがほとんどだったから、投資に値する会社はほんの少数にすぎなかった。

数多くの会社を訪ねたなかで、「ここはいい」と思ったのがオン・ザ・エッヂと創業経営者だった。

■「最高だな、この男は」

オン・ザ・エッヂは六本木三丁目の古いビルのなかにあった。創業経営者はサイズの合わない短めのTシャツを着た髪の毛の長い男で、名前は堀江貴文

1999年、同社は創業4年目で業界最先端のエンジニア、デザイナーを擁するクリエイター集団として一部で知られていた。創業経営者の堀江もまだ「ホリエモン」ではない。

初対面で堀江がくれた名刺には「Living on the Edge」とあった。「ギリギリのところを歩いている」という意味だろう。

堀江は穐田と村上にオン・ザ・エッヂについて説明をした。

「うちの仕事はウェブシステムの開発です。ANAのホームページといったコンテンツ制作をやりましたし、小室哲哉さんのイベントのネット中継もやってます」

ただ、続いて堀江が話し始めたのは「村上さん、ダメですよ。あんな会社に投資しても無駄。だって、経営者、ヤバいですよ」といった痛烈な言葉だった。

「だいたい、この業界のやつら、どうしようもないんですよ。納期を守ろうとも思ってないし。ダメ。だらしないやつが集まってる」

穐田は「最高だな、この男は」と感じた。

堀江貴文の中に見出した“共通点”

一緒にいた村上の胸中を推し量ることはできなかったが、「バカだバカだ」と連呼する堀江に強烈な爽快感を感じたのである。何といっても堀江が言っていたことは、実は穐田自身が感じていたことそのままだった。

堀江は自分自身の成功よりも、世の中を変えることだけを考えていた。そして、日本社会の硬直化した現状を憎んでいた。世の中のシステムを革新することだけを穐田に話した。

だからといって、彼は瞳のなかに星が瞬くような青年ではなかった。「夢に向かって驀進(ばくしん)している」とか「毎日、日記をつけて目標を管理している」といったような、わざとらしいことは言わない。不愛想に「世の中のシステムを変えないとみんな幸せにならない」と健全な意見を述べた。ただし、健全な意見をひとつ言うと、その後に、10倍の罵倒が控えていたけれど……。

堀江は「自分がしている仕事は幸福の追求だ。世の中のためになることが幸福だ」と最初から力説していた。

穐田は堀江貴文に初めて会った時から親近感を感じた。

■そのころから説明がわかりやすかった

そして堀江が話す技術の話はわかりやすかった。東大の文学部にいた堀江は文学的な知性を持っている。難しい表現でなく、誰にでもわかる表現でネットとその技術について説明をした。その時、穐田は村上に「投資先としてオン・ザ・エッヂは面白いと思います」とはっきり言った。

穐田はその後も堀江と連絡を取り、上場(2000年)した後のライブドアに投資案件を持っていったこともあった。

ただ、堀江貴文がホリエモンという名前で有名人になり、テレビに出たり、選挙に出たり、事件で捕まったりもしたので、結局、一緒に仕事をしたことはない。それでも、穐田にとっては友だちだ。堀江もまた穐田に対する態度は他の経営者とは違う。兄事するという表現があるけれど、そんな様子だ。

堀江貴文が見る「穐田誉輝」という男

堀江は穐田について、どう思っているのか。わたしは直接、彼から聞くことにした。

堀江、穐田と一緒にゴルフをして、フェアウェイやラフや林の中を歩きながら、なんでもかんでも話してもらった。

ゴルフの最中、堀江は礼儀正しかった。穐田に対しては敬意を払い、終始、敬語を忘れなかった。堀江はホールからホールへ移動する際も、スマホを操作して「案件」に没頭していたが、穐田が話しかけた時だけは手を止めて、目を見ながら正対し、「はい、そうです」と答えていた。世間の印象とはまったく違うさわやかな人物なのである。

堀江は今も実業界にいる。何人もの経営者のことをよくわかっている。仕事の力量だけでなく、人となりや考え方までわかっている。その堀江が穐田を褒める。

「穐田さんのことはクックパッドでその後、経営した人と比べてみればいい。もし仮に穐田さんがあのままクックパッドの経営をしていたら、もっと会社を成長させていたでしょう。

食べログも穐田さんですね。穐田さんがゼロからつくったサービスだけれど、あのジャンルは当時から成長する分野だと思っていました。僕自身、ライブドアグルメを始めて、かなり順調だった。ただ、僕がいなくなっちゃって、それで食べログにマーケットのすべてを持っていかれた」

撮影=西田香織

■物事の本質がわかっていない経営者が多いが…

「あの時期、つまり、穐田さんがカカクコムをやっていた頃、僕は自分でも結構、無双していたと思う。ライブドアグルメだけでなく、ブログだって顧客を集めていたのはライブドアブログだった。グルメ、ブログ、その他の投資案件でも、僕が一時期いなくなったことで、残って仕事を続けたネット企業の経営者たちはある意味で得をした。

あの頃のネット企業の経営者は物事の本質がわかっていない人が多かった。なぜ、これをやるか、これはなぜ客に必要とされるのか、必要とされた後、どうやって売り上げを伸ばしていけばいいのか。

後先を考えずに、とにかくサービスをリリースしたらたまたま当たったみたいな人も少なからずいたわけです。ただ、穐田さんはそうじゃない。お客さんを見てサービスを考えて、売り上げの伸ばし方もわかっていた。元々、穐田さんはITの人ではなく、サービスの人だから。お客さんのことを見ているからやるべきことをわかっていた」

■会社経営は「現状の否定」から始まる

堀江はライブドア事件で有罪とされ、刑務所に入った。だが、世間は彼のことを極悪人とは少しも思っていない。冤罪(えんざい)ではないかと感じている人間も少なくない。そして、刑務所から帰ってきた後も、彼の発信力は増している。刑務所へ行ったことは幸運に恵まれなかったことのように思える。

しかし、戻ってきてからは、入る前よりもさらに活躍している。初めて会った時から穐田と堀江が親しくなったのは、ふたりとも世の中の現状をよしとしなかったからだ。世の中と現状を変えて理想を実現するためにもがいた結果が起業だった。

日本には起業人材、経営人材が少ないと言われる。そのための教育機関やシステムがないとも言われる。しかし、起業、経営は教師から教わったり、教科書から学んだりすることではない。現状のシステムに乗っかることでもない。逆に、現状とそのシステムを否定することから始まる。頭がよくて学歴もあって、世の中のシステムに安住していたら、会社を興(おこ)そうなんて考えない。

■経営者・穐田誉輝はこうして生まれた

野地秩嘉『ユーザーファースト 穐田誉輝とくふうカンパニー 食べログ、クックパッドを育てた男』(プレジデント社)

穐田と堀江は現状もシステムもそのままではいけないから変えようと思った。そして今も変化を続けなければならないと決めている。

ただ、これはよほど生命力にあふれている人間にしかできない。さて、光通信の村上に頼まれてネット企業の目利きをやったこと、堀江と会ったことは彼の人生においては踏み段を一段上がったことになる。

ジャックでは中古車販売でインターネットの使い方を学んだ。そして、ネット企業の経営者と会うことで投資先を見つける基礎的な力を付けた。

このふたつは彼が代表となって設立する投資会社アイシーピーの業績を支える大きな武器になったのである。

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「ゴッホを巡る旅」を連載中。
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)