ビッグマック指数が広く注目を集めているのは、単に為替レートの歪みを表しているからだけではない。その国の豊かさを示していると考えられるからだ(写真:Shiro/PIXTA)

ビッグマック指数は、為替レートの歪み、ないしはその国の豊かさを表す指標だ。しかし、最近での日本の指数の上昇は、物価上昇によるものであり、上記の原因によるのではない。昨今の経済現象を鮮やかに斬り、矛盾を指摘し、人々が信じて疑わない「通説」を粉砕する──。野口悠紀雄氏による連載第107回。

ドイツがGDPで日本を抜く

ドイツのGDPが日本を抜いた。韓国も、1人当たりGDPで日本に肉薄している。

こうなる大きな原因は為替レートが円安になっているからだ。最近の為替レートは、1ドル=150円を超える円安になった。2022年の春ごろからアメリカが急激な利上げを開始し、日本が金融緩和を続けたので、金利差が開き、このような状態になった。

円安は物価上昇の原因となり、生活を直撃している。為替レートは、いまの日本で最も重要な経済変数になった。

為替レートの状況を表わすのに、ビッグマック指数が用いられる。最近では、2023年8月3日に7月の指数が公表された。ビッグマック指数は、あるべき為替レートに比べて、現実の為替レートがどれだけ乖離しているかを示す。2023年のデータについて具体的に示すと、次のとおりだ。

まず、The Economist のThe Big Mac index( ビッグマック指数、2023年8月3日)によれば、2023年7月におけるビッグマックの価格は日本で450円であり、アメリカでは5.58ドルだ。これらを等しくするような為替レートを計算すると、1ドル=80.65円になる。ところが現実の為替レートは1ドル=142.08円なので、43.2%だけ過剰に円安になっていることになる。これが、日本のビッグマック指数だ。

ビッグマックは、世界のどこでもほぼ同じ品質のものだから、ドルに換算した場合に同じ価格になってしかるべきだと考えることができる。「そうならないのは、現実の為替レートがおかしいからだ」という考えに基づいている。

つまり、ビッグマック指数は、一物一価が成り立つような為替レート(1ドル=80.65円)が正しいものだと考え、そのレートに比べて、現実の為替レート(1ドル=142.08円)がどの程乖離しているかを示すものだ。

日本の指数は、54カ国中、下から数えて11番目という低さだ。

日本のビッグマック指数がこのように低くなるのには、さまざまな原因がある。例えば、金融政策の歪みだ。4割以上も歪んでいるのは驚くべきことだ。日本の金融政策がいかに歪んでいるかを示している。

ビッグマック指数は、豊かさを示しているか?

ビッグマック指数が広く注目を集めているのは、単に為替レートの歪みを表しているからだけではない。次項で述べるように、その国の豊かさを示していると考えられるからだ。

実際、ビッグマック指数のリストで上位にあるのは、スウェーデンやデンマークなど豊かな国であり、下位には開発途上国が多い。

だから、ビッグマック指数の順位が低いのは、日本が貧しいことを意味するものであり、望ましくないと考えられる。そして、時系列的にこの値が下がっているのは、日本の状況が悪化していることの結果だと解釈される。

実際のデータを見ると、日本のビッグマック指数は、2000年頃には世界的に見てかなり高いところにあった。それがいまでは、世界の最低グループに入っている。ビッグマック指数の低下は、日本が貧しくなり、日本の国際的な地位が低下していることを意味すると解釈される。この指数が日本で大きな注目を集めるのは、このためであろう。

一定の仮定の下では、ビッグマック指数は、その国の豊かさを示していると解釈することができる。その理由は次の通りだ。

実質賃金が一定なら、ビッグマック指数は豊かさを表す

いま、実質賃金は時間的に一定であると仮定しよう。つまり、賃金(あるいは1人当たり所得)と物価水準の比率は、時間的に変わらないものとしよう。

この場合には、日本とアメリカのビッグマック価格の比は、日本とアメリカの賃金の比を表していることになる。

先に示した2023年7月のデータにつき、具体的に示せば、つぎのとおりだ。日本のビッグマック価格450円を現実の為替レート1ドル=142.08円で換算すれば、3.17ドルになる。他方、アメリカのビッグマック価格は5.58ドルであり、日本の1.76倍だ。

だから、アメリカの賃金は日本の賃金の1.76倍だということになる。そのため、現実の為替レートでアメリカの商品を買おうとすると、日本人にはなかなか買えないということになるわけだ。

日本人とアメリカ人の賃金が等しくなるためには、為替レートが1ドル=80円にならなければならない。そして、仮に何らかの理由で日本の賃金が上がれば、日本のビッグマック指数は上昇する。

しかし、以上の解釈には注意が必要だ。ビッグマック指数が上がることは、必ずしも豊かになったことを意味しないのである。それは、上記の仮定、つまり「実質賃金が一定」という仮定が満たされないからだ。

実際、このことが、2023年の指数に顕著に現れている。

2023年7月のビッグマック指数マイナス43.2は、2022年7月のマイナス45.1より上昇した。しかし、これは日本がこの間に豊かになったことを意味するわけではない。

最近の指数上昇は物価上昇の結果

何がこの原因なのか?それは、物価が上昇したことだ。賃金は上昇しないが、物価が上昇し、その結果、実質賃金が下がったのである。だから、ビッグマック指数が改善しても、購買力は上昇していないことになる。

豊かになったかと言えば、豊かになったわけではない。実際、実質賃金は低下したから、日本人は貧しくなったのだ。ビッグマック指数は改善したものの、賃金の購買力は低下したということになる

ビッグマック指数は、物価だけを見て評価しているので、このようなことになる。本来は、物価ではなく賃金を用いて計算すべきだ。しかし、賃金について国際比較データを得るのは難しいので、その代理変数として、ビッグマックの価格を使っているのだ。

繰り返そう。ビッグマック指数が改善したのは、いいことか?

仮にそれが日本人の賃金がビッグマックの価格と同率で上昇したことによってもたらされたのであれば、望ましい。それは日本人が、外国のものをより多く買えるようになったことを意味するからだ。

しかし、実際には、日本人の実質賃金は下落している。だから、日本人の購買力は低下していることになる。


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(野口 悠紀雄 : 一橋大学名誉教授)