10月15日に行なわれた、2024年パリ五輪マラソン代表選考会のマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)。雨の降る悪天候のなか、見ている人たちを最も興奮させたのは、これがフルマラソン130レース目となった36歳のベテラン・川内優輝(あいおいニッセイ同和損保)の走りだった。


最後まで粘りのある川内優輝らしい走りで4位になった(右)

 スタートから先頭に出ると、15kmまでは2時間6分台を狙えるペースで突っ走った。その後、ペースは落ちたものの、後続集団が牽制をするように遅いペースで走っていたことで、25kmあたりでは川内との差がさらに開いていた。

 川内は飛び出していった走りをこう振り返る。

「雨が降る条件になったので、会う人みんなに『最初から行くの?』と言われたし、自分も集団の見えない位置にいて『アレッ、川内は走っていたのかな?』というのは、つまらないと思っていたので。やっぱり見せ場というか、自分の得意な走りをしたいなと思っていました。沿道も本当に応援が多かったけど、他の選手の横断幕を持っていた人たちからも『川内頑張れ』というふうに応援されたので、その意味ではライバル選手の応援団も味方に引き入れて頑張れたのかなと思います」

 中間点の通過は1時間03分33秒で「独走でもほぼサブテン(2時間10分以内で走ること)ができるペースで行っていたから、今日は本当に乗っていたと思います」という走りだった。

 30kmからペースを上げてきた6人に35km過ぎで追いつかれたが、そこから大きく落ちることなく、最終的には3位の大迫傑(Nike)に7秒差の2時間09分18秒で4位と最後まで粘りの走りを見せた。

「追いつかれた時は『ついに来たか』という感じだったし、一気にいかれると思っていたけど、僕を見た瞬間に牽制レースに入ったので『やった、これなら体力を回復させられる』と思いました。僕を確実に仕留めるなら、あそこは勇気を持ってそのまま行ったほうがいいなと思ったけど、それをしなかったので集団の半数には勝って4番になれたのだと思います」

 そのような展開になった理由を川内はこう分析している。

「他の選手は多分、怖かったのだと思います。ペースメーカーがいない選手権レースで、雨も降っていて風もある。周りの選手が勇気を持てないところで勇気を持っていくというのが、やっぱり選手権レースだと思う。その意味では過去129回のマラソンが有利に働いたのかなと思っています」

 他の選手たちが前に出る勇気を持てなかった理由を考えると、「前半から飛ばした選手は、落ちてくるだろう」という思惑があったと同時に、「どう対処すればいいのかわからない」という迷いもあったと予想できる。

 最近の国内のエリートレースのほぼすべてで、ペースメーカーを設定していて30km付近まで引っ張ってくれるため、選手たちの意識は「30kmまでは力を使わずにラクに行き、それ以降の勝負に備える」となっている。そのレース展開に慣れてしまったことで、今回の川内の飛び出しにどう対応していいのかわからない選手が多かったようだ。

 今回も川内が14分台で走っていた10kmまでは、集団を引っ張る選手も数人いて5kmを15分01秒で走っていた。だが、その選手がペースを迷い始めると集団も15分10秒台後半、20秒台後半と、どんどんペースが落ちていって差が開いた。

 そんな固定観念のようなものを崩されて対応できなかったレースといえば、10月5日に中国の杭州で行なわれた、アジア大会の男子マラソンもそうだった。日本代表として、ともにMGC出場権を獲得していた定方俊樹(三菱重工)と池田燿平(Kao)が出場した。

 持ちタイムは池田が2時間06分53秒で、定方が2時間07分05秒と、出場選手のなかでは、シュミ・デチャサ(バーレーン)に次ぐ2番手と3番手だった。だが、2時間7分台後半の持ちタイムを持つホ・ジエとヤン・シャオフィ(ともに中国)、2時間11分台のハン・イルヨン(北朝鮮)に力負けし、12大会ぶりに日本勢はメダルを逃した。

 ペースのアップダウンが激しいレースで暑さもあるなか、最初の5kmを15分57秒で入り、10kmからシュミが15分06秒にスピードを上げて揺さぶりをかけた。その後は15分50秒台に落とし、25kmからの5kmはさらに16分33秒まで落とした。

 35kmからはホとハンがいきなり5kmを14分58秒まで上げるスパートをかけ、2時間13分02秒でホが優勝した。ホの走りに関して言えば、最後の2.195kmも6分30秒でカバーする、力技といえるレースだった。

 最初の仕掛けで、少し遅れた池田は「あそこであんなに(ペースが)上がるとは思っていなかったです。そのままついていってもいいと思ったけど、気持ちがちょっと引いてしまって結果的に自分が追う形になり、そこで少し力を使ってしまいました。冷静に行こうと思っていたのですが、序盤でペースを変動する選手がいたことで、知らず知らずのうちに力を使っていた部分もありました」と振り返る。

 結局、「落ちついてラスト勝負に備えたい」と考えていた35km過ぎの仕掛けにも対応できず、ラスト3kmは足が止まって6位という結果になった。

 32km過ぎでトップ集団からおくれながらも、終盤に再び前に出て4位になった定方も、「思った以上に(ペースが)ゆっくり行ったり急に上がったりと、初めての経験でした。今まではタイムを狙うマラソンばかりで、こういう勝負だけを狙うマラソンを初めて経験して、本番(五輪や世界選手権などの勝負を争うレース)はこういうことになるんだろうなというのをすごく感じました」と話していた。

 このレース展開を見てから今回のMGCを振り返ると、見どころの多い展開になったとはいえ、先行する川内を後続が追いかけ出したのは29km過ぎと、ペースメーカーがいるレースとそれほど変わらない。

 かつてのマラソン選手たちは、"勝つための戦略"をみんなが考え抜いていた。「瀬古利彦の強烈なラストスパートに勝つためにはどうすればいいか」というのを、宗茂猛兄弟や中山竹通は考えて自分のスタイルを追求していた。

 今、ペースメーカーを設定するレースがほとんどなのは、選手たちが記録を求め、主催者側も記録が出ることで大会を盛り上げたいという思いがあるからだろう。また、国内レースでも海外の招待選手が強力で、勝つというより日本人1位を求める傾向が強いことも日本人選手が勝つことを目指さなくなった理由としてある。アジア大会を走った中国の選手など、五輪や世界選手権出場の経験のある選手もいるが、それ以外は中国開催のエリートレース出場だけで、当然ペースメーカー不在だと考えられる。そんな環境で勝負感を養っていたのだろう。

 世界記録が2時間0分35秒にまで伸びている今、海外勢と日本勢の力の差が大きいのは現実だ。

 その差が小さくなる夏場のマラソンで日本勢が勝負するためには、それぞれの日本人選手がタイムよりも「自分が勝つため」の戦略を追い求めていく必要があるだろう。30km以降をいかに粘るかだけではなく、自分が勝つための戦略を自由に発想できるようにしなくていけない。

 そういった考え方を再び選手たちに芽生えさせるためには、国内でもペースメーカーのいない、スタートからゴールまですべてが真剣勝負のレースを作ることも必要だろう。

「ペースメーカーが30kmまで引っ張ってくれるのがマラソン」という選手たちの考え方を覆さない限り、「4年に一度の真剣勝負」と銘打ってMGCを開催することも、絵に描いた餅になりかねない。