ゴミスで7人目!Jリーグにいた「フランス国籍選手」6名。全員覚えてる?
8日に川崎フロンターレが獲得したのが元フランス代表FWバフェティンビ・ゴミス。サンテティエンヌやリヨンでプレーした経験を持つストライカーで、豊かな身体能力や推進力を備えている選手だ。
Jリーグに加入したフランス国籍の選手としてはゴミスで7人目(ちなみに「フランス国籍を持っている選手」としては12人目である)。
これまでJリーグでプレーしたフランスを第一国籍とする選手たち6名を振り返ってみよう。
バジール・ボリ
日本でプレーしたクラブ:浦和レッズ
日本でプレーしたシーズン:1996〜1997
オセールとマルセイユで長く活躍を見せ、フランス代表でも45試合に出場した名センターバック。1992-93シーズンにはストイコヴィッチらとともにUEFAチャンピオンズリーグの優勝に貢献(後に八百長問題で王者としての資格を取り下げられているが)し、EURO1992でもメンバーに入っている。
日本にやってきたのは1996年。浦和レッズに加入して活躍を見せるも、2年目には膝の怪我に苦しめられたことによってプレーが難しくなり、そのまま現役引退を余儀なくされている。
フランク・デュリックス
日本でプレーしたクラブ:名古屋グランパスエイト
日本でプレーしたシーズン:1995〜1996
アーセン・ヴェンゲル監督が率いた名古屋グランパスに加入したフランス人MF。リヨンとカンヌでプレーした経験を持っていた選手で、フランス代表には招集のみだったがリーグ屈指の存在として知られていた。加入からまもなく日本にもフィット。チームの中心的なボランチとして浅野哲也とともに活躍している。
日本を離れてからはスイスのセルヴェッテへ移籍し、それからソショーを経て古巣カンヌに復帰。2002年に現役を引退し、その後はレストラン経営やサッカーアカデミーのディレクターなどを務めているという。
ジェラール・パシ
日本でプレーしたクラブ:名古屋グランパスエイト
日本でプレーしたシーズン:1995
モナコに所属していたころに師弟関係だったアーセン・ヴェンゲル監督に誘われて名古屋グランパスエイトに加入した選手の一人。1995シーズンには25試合に出場して3ゴールを決めたMFだ。
フランス代表としては1987年から88年に11試合でプレーし2ゴールを奪っている。ちなみに兄はリヨンの現アシスタントコーチであるフランク・パシで、モンペリエやニオールでプレーしたブライアン・パシは彼の甥っ子にあたる。
ベルナール・アルー
日本でプレーしたクラブ:名古屋グランパスエイト
日本でプレーしたシーズン:1998
コートジボワールで生まれたフランス人選手のベルナール・アルー。パリ・サンジェルマンの下部組織で育ったアタッカーで、フランスのU-20〜21代表でもプレーする有望な存在だった。
1998年に23歳で名古屋グランパスエイトに加入し10試合に出場して4ゴールを決めたものの、半年間所属した後にノッティンガム・フォレストへと移籍していった。
クロード・ダンブリー
日本でプレーしたクラブ:ガンバ大阪
日本でプレーしたシーズン:1998〜2001
ガンバ大阪に所属した唯一の「フランスが第1国籍の選手」である。フレデリック・アントネッティ監督が出身地であるフランスから獲得した選手で、1998年から3シーズンに渡ってレギュラーとして活躍した。
国籍はフランスであるが元々フランス領ギアナの出身であり、2試合のみであるがそちらの代表でもプレーしたことがある。
アンドレア・ブレデ
日本でプレーしたクラブ:ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブス、カマタマーレ讃岐
日本でプレーしたシーズン:2011〜2015
Jリーグを経験した選手の中では最も日本で長く過ごした選手であるアンドレア。2011年夏にジェフユナイテッド市原・千葉リザーブスに加入し、JFLでプレー。それからカマタマーレ讃岐に移籍し、JFLからJ2への昇格を経験した。
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その後は現役を引退したと伝えられているが、2018年ごろからフランスのアマチュアチームであるル・メー・シュル・セーヌというクラブでプレーしている記録がある。