“100年前のEV”結構すごかった! エジソンが開発 ガソリン車よりいい線いってた?
1847年2月11日に生まれたトーマス・エジソンは発明王とも称されますが、実はごく初期の自動車産業において、自身が発明した電池を使って、電気自動車(EV)の大衆普及を考えた人でもありました。
流石のエジソンでも当時EV車の普及されることは難しかった。
1847年2月11日に生まれたトーマス・エジソンはゼネラル・エレクトリック(GE)の創設者であり、発明王とも称されますが、実は、ごく初期の自動車産業において、電気自動車(EV)の大衆普及を考えた人物でもあります。
電気自動車とエジソン(画像:アメリカ歴史博物館)。
1900年代初頭、自動車の動力としては蒸気機関、内燃機関、電気の3種類が混在していました。そのなかでも電気が今後の自動車の動力として適しているとエジソンは見ていました。実は、蒸気機関は高圧蒸気を発生させるまで時間がかかり、当時の内燃機関の車両も、始動時にクランクを回す必要があったので、一番始動が楽だったのが電気自動車でした。しかも、静かで排気ガスもなかったことから、女性人気が高かったそうです。
そこでエジソンは、1901年に商品化した、通称「エジソン電池」と呼ばれる、ニッケル鉄系のアルカリ蓄電地を、自動車のエネルギーとして提供します。
この電池は、鉛蓄電池よりも、軽く取り扱いが容易で、高いエネルギーを有していました同電池を使用した車両は、1回の充電で137km走ることができたと当時のエジソンは語っています。1910年9月には、同電池を用いた車両でプロモーション活動を行い、ワシントン山の登坂を含むニューヨーク・ニューハンプシャー間の約1600kmを、充電を繰り返し走破します。
しかし、エジソンの蓄電池を搭載した車両は、ニューヨークのタクシーに使われるなどに留まりました。既に、量産大衆車の元祖ともいえる「フォード・モデルT」が発売されており、段々と、ガソリンを燃料とした内燃機関の車両が普及しだしていました。しかし、フォード・モーターの創設者である、ヘンリー・フォードもこの時期はEV車普及の可能性を捨ててはいませんでした。
ヘンリー・フォードは元々エジソンの会社で技術者をしており、フォードが考えるガソリン自動車の構造案を最初に褒めたのもエジソンでした。ヘンリー・フォードが退社した後も親しい関係は続いており、1914年ごろまではふたりは協力関係にあり、大衆向けの低コストEVの開発プランを温めていたことが当時の報道で明らかになっています。
電気自動車の大衆化に関して、ヘンリー・フォードはなにより長距離を走れる軽量のバッテリーが必要だと話していました。当時の電気自動車は、モデルTの4倍以上の値段で、電気代も当時安価で手に入るようになりだしたガソリンに比べ割高感があったようです。そのため、長距離を走れる優れたバッテリーを開発することが絶対条件でしたが、結局開発は上手くいかず、計画は中止となりました。
それから約100年、EV化の流れのなか、エジソンやヘンリー・フォードが夢想していた軽量で大容量のバッテリーの開発競争も起こるなど、EVの市場が再び脚光を浴びています。