それから2年で33kmまで延びました。

都心部の「連続した立体交差道路」…そうか、川だ!

 首都高速道路の初開通から、2022年12月20日で60年が経過しました。


首都高C1京橋付近。もともと川だった(画像:首都高速道路)。

 最初の開通区間は「京橋〜芝浦」の4.5km。現在のC1都心環状線の銀座周辺と1号羽田線の一部にあたります。この区間は1959(昭和34)年に建設が始まり、およそ3年で開通することとなります。

 都心部の街路機能を補完する「連続した立体交差道路」として計画されたという首都高を短期間で建設するにあたって着目されたのが、川です。この京橋〜芝浦間では、築地川・楓川を干拓して道路にしたのです。

 川底を道路にした痕跡は、現在までよく残っています。銀座のビル群を見上げる掘割の構造もさることながら、「橋脚注意」の看板ののち、道路のど真ん中に立つ橋脚を避けるように走路がやや膨らむのも、ここが川だったことを伝えています。

 この区間が、十数年後には大きく変わるかもしれません。

 現在進んでいるC1の日本橋区間(神田橋JCT〜江戸橋JCT)地下化に関連して八重洲線とC1を新たにつなぎ環状道路としての機能を代替する地下路線「新京橋連結路」の建設が予定されています。さらに、新京橋連結路に連続するC1の築地川区間も、老朽化した施設を一新させる大規模更新が計画されているのです。

 旧築地川区間では、擁壁を更新し、線形を改良するとともに、跨道橋を架け替えて車道内の橋脚を撤去する案が出ています。さらに、地元の中央区は掘割の首都高に“蓋”をかけ、上部を公園にする計画も打ち出しています。

 4.5kmから始まった首都高は、2年後の東京五輪直前には約33kmまで延び、58年後の現在は約330kmまで広がりました。うち、開通から40年以上が経過した路線は全体の4割に。首都圏の動脈機能を維持しながら、老朽化が進行する施設をどうしていくかが大きな課題となっています。