水面発着できる零戦!?「二式水上戦闘機」が初飛行-1941.12.8 太平洋戦争開戦の日
81年前の1941年12月8日、太平洋戦争の開戦日に、旧日本海軍の戦闘機「二式水上戦闘機」が初飛行を迎えました。
零戦を改造して海上発着を可能に
零戦を改造して生まれた二式水上戦闘機。
太平洋戦争が開戦した1941(昭和16)年12月8日。旧日本海軍の戦闘機「二式水上戦闘機」が初飛行を迎えました。
戦闘機の黎明期は、まだ離発着ができる飛行場が十分に整備されておらず、任意の水面を離発着可能な「水上機」(飛行艇含む)が多く用いられました。主翼に「フロート(浮きいかだ)」が付いているなどして、飛行機を浮かせることができたのです。
飛行場が整備されるにしたがい、水上機の存在価値は低いものになります。なにより、飛行機の性能向上に伴い、フロートが飛行時に空気抵抗として邪魔な存在になったからです。
ところが、太平洋戦争を想定するにあたり、南洋の島々を攻略していくことを考えると、旧日本海軍は各地に飛行場をいちいち建設するよりも、水上機で海上へ降り立つほうが効率良いのではという判断を下します。こうして水上戦闘機を開発することにしたのですが、新設計の水上戦闘機は量産に至るまでに時間がかかることから、中継ぎ的な存在として既存機を改造した水上戦闘機も造ることにします。
そこで、ベースとなる戦闘機として白羽の矢が立ったのが「零戦(ゼロ戦とも)」こと零式艦上戦闘機でした。ただ、同機を生み出した三菱重工は新型の陸上戦闘機「雷電」の開発で忙しかったため、代わりに中島飛行機(現・SUBARU)が開発を担当します。こちらはベース機がすでにあったため1年足らずで開発は完了しました。
ただ、量産するにあたり、海水への耐性を補強し、フロート装着による重量増や、抵抗の増大によって起きた機動性の低下をカバーするために、垂直尾翼にある方向舵(ラダー)の面積を拡大するなど、機体各部にさまざまな改良も加えられています。
二式水上戦闘機は1942(昭和17)年7月に旧日本海軍に制式採用されると、翌1943(昭和18)年9月までの1年あまりの間に327機が生産されました。当初は戦闘機としての役割が期待されたものの、前線では対偵察機や洋上哨戒など、さまざまな役割で用いられています。ただ絶対数が少なかったため、戦後に残った機体はほぼ皆無で、現役時の写真も本家の零戦と比べて非常に希少となっています。