〈現場写真アリ・長野のクマ襲撃〉体中に噛み傷や引っかき傷が…20年間飼育したクマに75歳男性が襲われ死亡。それでも遺族は「クマに恨みはない」と涙した理由

「ペッペに恨みはないです。本当に可愛がっていましたから」

長野県松本市五常の無職、丸山明さん(75)が11月28日午前9時20分ごろ、自宅敷地内で飼っていたツキノワグマに襲われた。気づいた家族が110番通報、檻の中で倒れていた血まみれの丸山さんは病院に搬送されたが、死亡した。あちこちに咬み傷や引っ掻き傷があった。地元猟友会員が檻の前にいたクマを射殺した。

ペッペが飼育された檻

丸山さんが「ペッペ」と名付けて可愛がり、県の許可を取って飼育していたこのクマは、推定年齢20歳ほどのオスで、体長約1メートル。丸山さんを襲った後も逃げ出さず、檻の周辺に散らばっていたエサをあさって食べていたという。冒頭の遺族の言葉のように、丸山さんとペッペは長年、家族も同然だった。

現場はJ R松本駅から車で1時間ほどの、数キロ続く狭い山道を登り切ったところに佇む古い一軒家で、周囲に住宅はほとんどない。

丸山さんは妻と二人暮らしで、娘は結婚して松本市内に住んでおり、孫もいたという。事件発生翌日の朝に現場を訪れると、丸山さんの親族が重機を使って穴を掘っていた。聞けば、ペッペを埋葬するためだという。

埋葬されるペッペ

「昨日は娘の旦那がばあさん(丸山さんの妻)を病院に受診させるために、来てくれてたんです。来たときは異変はなく、さあ行こうと車を出そうとしたらペッペが檻の外で野菜クズや銀杏を食べていて、兄貴が檻の中で倒れていたそうです」(丸山さんの弟)

よほど腹を空かせていたのか、エサ用にバケツに入れていた銀杏が周囲に散乱していたという。弟が続ける。

野菜クズやバケツの銀杏を食べていた

「兄貴は動物が大好きで、鹿だって兄貴が呼べば近くに寄ってくるほどだった。ペッペも子グマのころは猫みたいに小さくて、孫たちが相撲取って遊んだりしてたよ。

でもやっぱり野獣なんだよな。20年も一緒に暮らした兄貴がやられちゃうなんて。向こうがじゃれてるつもりでも力はすごいんだから。

ペッペに怒りはないよ。本人が好きで飼っていたんだし、よその人が怪我しなくてよかった。兄貴も身体悪くして弱っていて『もう長くないと思うから遺影も撮った』なんて言ってたからね。あの世でもペッペのこと悪く言ってないと思うよ」

「このままじゃ死んじゃう」と保護して…
娘はクマに何を思うのか?

近所の人によれば、丸山さんは地元で生まれ育って、ゴミ拾いや町内会のボランティア活動も積極的にこなしていた。

元は猟師だったが、根が優しく、動物を殺傷するのは性に合わないと銃を置いて、鉄工所や土木現場で働いて生計を立て、最近まで田畑でコメや野菜も作っていたという。ペッペとの交流も、地元では有名だった。

射殺され埋葬されるペッペ

「20年ぐらい前に、ここから10キロぐらい離れたさらに奥地の道路工事現場で、赤ちゃんグマを見つけたんだって。親とはぐれたのか迷ったのか、翌日も同じ場所にいて弱って動けなくなっていて『このままじゃ死んじゃう』って保護してきたんだよ」(近隣住民)

連れ帰った赤ちゃんグマはミルクを与えると「ペッペッ」と音を立てて美味しそうに飲んだことから、丸山さんは「ペッペ」と名付けた。鉄製の頑丈な檻も作って飼育し、ペッペは近所の人たちからも可愛がられた。

「近所の人だけじゃなくて、松本市内から車で来た親子連れに『クマ飼ってるお家はどこですか』ってよく尋ねられたから、アイドルみたいな存在だったんじゃないか。餌はリンゴや柿をあげていたと思う。でも丸山さんは一度、エサやりの時に指を噛まれたことがあって、それからは革手袋してエサやりするなど用心してたんだけどね。身体も丈夫な人だったけど、最近は肺を悪くして、吸入用の酸素を背負って歩いていたなあ。ペッペのことが大好きだったから、切ないね」(同前)

ペッペが飼育されていた檻

自身も親族や周囲に「来年は初盆になる」と死期の近いことを告げていたという丸山さん。残された遺族にとっても丸山さんとペッペは、わかちがたい「家族」だった。

丸山さんの娘は、いみじくもこう言った。

「ペッペのことを思って近所の人が今日、リンゴとお花をお供えしてお線香を上げてくれました。お父さんのことは悲しいけれど、ペッペに罪はありません」

近隣住民が供えたりんごと花

取材・撮影・文/集英社オンラインニュース班