JALで運用されていた旅客機のなかには、同社での役割を終えたのち、異例の“第2の人生”を送る機体もあります。どのような機体があり、その後の後半生はどのようなものなのでしょうか。

727はワークスペースに、ジャンボは「火消しヒーロー」に

 旅客機は航空会社に真新しい状態で納入されたのち、ほとんど休みなく飛び続けます。そうしてある程度年数が経つと、中古機として別の会社に売られていく機体も。その後の後半生は、ほかの航空会社で旅客機として飛び続けるもの、貨物機に改造されるものなどさまざまです。そしてそのなかには、ユニークな後半生を送る機体もあります。今回はJAL(日本航空)で使われた機体で、そんな一風変わった“第2の人生”となった機体を紹介します。


JALのダグラスDC-10(画像:JAL)。

 元JAL機には、ユニークな後半生を送る機体がいくつか存在します。

 たとえば、1975年まで使われていたボーイング727のJA8325は、いくつかの航空会社を渡り歩き、プライベートジェットに。その後、英国で胴体のみの状態で、会議室やワークスペースなどのため利用されようとしています。また、JA8086と登録された「ジャンボジェット」ボーイング747-400は、N744STとして米国で世界最大の空中消火機としても活躍しました(現在は通常の貨物機として運用中)。

 ほかに有名どころでは、米航空宇宙局(NASA)で、かつてスペースシャトルを運んでいたボーイング747があります。2機あったこれら747のうち、1機はJALで「JA8117」として使われていた機体。スペースシャトルの引退とともに、N911NAとなったこの機体も翼を休め、カリフォルニア州のジョー・デイビス・ヘリテイジ・エアパークで展示されて余生を送っています。

 そのようななかで一風変わった転身を遂げた一例が、元JALの3発ジェット旅客機「マクダネル・ダグラスDC-10」のある一機。こちらは先述の例に比べ、ミリタリー色の強い第2の人生を送っています。

異例の転身を遂げた元JALのDC-10、機内はどんなもの?

 1979年から2005年までJALで使われたDC-10「JA8538」は、JALでの役割を終えたのち、民間機ながら、翼端に給油ポッドを付けて空中給油機KDC-10に生まれ変わりました。米空軍ではDC-10ベースの空中給油機は「KC-10」と名付けられますが、KDC-10とされたのは、もともと旅客機だったものを改造したことに由来するためでしょう。

「JA8538」は米国籍となり、新たにN974VVの機体番号を付与されました。飛ばしているのは1999年に最初の民間空中給油機を開発した、オメガ航空(Omega Aerial Refueling Services)です。2001年から米海軍を顧客にして空中給油を行うほか、英国空軍や豪州空軍にも支援業務を行っているということです。


オメガ航空のDC-10-40(相良静造撮影)。

 筆者はとある中東の空港でKDC-10と空中給油機となった後の元JA8538に出会い、その機内に入る機会がありました。

 機内のギャレー(機内の簡易キッチン)はJALのロゴが残り、間仕切りに付けられた到着地の日時表示盤は日本語入り。搭載されたライフジャケットも「救命胴衣」と日本語でした。

 旅客機当時の客席も残っていましたが、背もたれは汚れが目立っていました。空中給油機に改造する手間と経費を節約したうえ、座席をすべて除くことによる重量配分の変化を避けようとしたのかもしれません。

 さまざまな国から空中給油を請け負うオメガ航空のことですし、もしかするとこの機も米国や英国、豪州以外でも契約を結んだ軍の支援業務に就いていた可能性もあります。そんな目で見ると、翼端の給油ポッドには旅客機にない物々しさを感じました。

 米国には、軍を退役した戦闘機を使い仮想敵機を飛ばす民間のアグレッサー会社がありますが、大型旅客機を使った空中給油機の運航会社もあるのには、航空のすそ野の広さを感じました。同時に思わぬところで、かつて日本を飛んでいた機体にお目にかかり、懐かしさを感じたのを覚えています。