「芸人」と「放送作家」 同志にも、憎き敵にもなりえる歪な関係性 - 放送作家の徹夜は2日まで

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※この記事は2020年08月13日にBLOGOSで公開されたものです

芸人と放送作家は協力し合い、タッグを組んで活動する「同志」という印象を持たれている方は多いのではないでしょうか。最近では芸人のYouTubeチャンネルの企画を放送作家が考え、撮影・編集するという新たなビジネスモデルも誕生しています。そんな芸人と放送作家。実は、ちょっとしたボタンの掛け違いで同志にも、敵にもなりえる、不思議な関係でもあります。そんな芸人と放送作家のリアルな関係性について綴ります。


放送作家の武村圭佑です。今日は近しい関係と思われがちな芸人と放送作家の歪な距離感について綴ります。放送作家が芸人にネタを提供し、芸人は放送作家にネタの相談をする、といった協力関係をイメージされている方が多いと思いますが、実はそんな簡単なものではないのです。

放送作家が芸人にネタを書き始めたのはなんと大正時代から

まずは芸人と放送作家の関係が生まれた歴史からお伝えします。放送作家が芸人のネタを書く、という文化は、なんと大正時代から存在したと言われています。漫才を芸人に提供する職業・漫才作家が普及したのは昭和期。

漫才作家の秋田實さんが、横山エンタツ・花菱アチャコさんらにネタを提供するなど、そうした動きは徐々に広まっていきました。

放送作家は芸人と一緒に売れることに憧れる

では最近のお笑い界での関係性はどうでしょうか。漫才を提供する「漫才作家」という職業が失われつつある反面、放送作家がコントなど、色々なネタを芸人と一緒に作るのはごく一般的です。とはいえ、芸人全員が放送作家にネタの提供を依頼しているかというとそんなことはありません。

むしろ今の若手芸人は自分で考えたネタをやりたいと考えている人が多い印象です。これは松本人志さんが舞台における漫才やテレビ番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』におけるコントなど、面白い発想をネタにするという活動に惹かれて芸人になった人が多いからでしょう。

一方で放送作家は芸人と一緒に仕事をやりたい、と考える人が多数います。ダウンタウンにおける高須光聖さん、バナナマンにおけるオークラさんら、芸人と一緒に仕事を得ていくという放送作家像に憧れを持つ人も多く、特に大阪ではその価値観が根強いです。

私が大阪で放送作家を始めた頃、「芸人と一緒に成功したい」という強い憧れから、無償でお笑いライブのお手伝いをして、ライブが終わったあと面白いと思った芸人の出待ちをし、自分で作ったネタを持っていく。そしてこのネタを舞台で演じてほしい、と頼み込むという活動をしていました。

今、こうやって文字にすると少し狂気じみている気もしますが、当時は何としてでも芸人と関係を作らないといけないと考えていたのです。

前述の通り、若手芸人は自分たちが考えた自分たちが面白いと思っているネタで勝負したい、売れたい、と考えているため、大体断られます。ネタをやってもらうためには、面白いと思ってもらわないといけない…。そのように考え、何本もネタを作りました。

当時大阪で活動していた私を含む、同期の放送作家たちでネタを作る会を開き、出来上がった自信のあるネタを意中の芸人のもとに持っていく。

何度もネタを持っていって熱量が認められて、その芸人にネタをやってもらったこともありましたし、その熱意が高じて現在もタッグを組んで、10年以上同じ芸人とずっと一緒にネタを作っている放送作家もいます。

他にも「一緒にネタを作りませんか?」と芸人に声をかけて、コンビ芸人のネタ合わせに参加させてもらうなんてこともありました。これは自分の作ったネタを行ってもらうのに比べて、ハードルは下がります。

ただ、本来コンビ2人でやるネタ合わせに必要な存在にならなければ、次のネタ合わせには呼ばれません。ネタ合わせで面白い案を出したり、面白い設定を持ってきたり、面白いボケを考えたりと何かしらの芸人へプラス要素を与えつづける必要があります。

私も一度だけネタ合わせに呼ばれたものの、そのあとは音沙汰がないという芸人が数組いました。

芸人が求める“放送作家像”も芸人それぞれ

芸人と一緒にネタを作る放送作家は多数いますが、どのような作家が求められるかは本当に“芸人それぞれ”です。

私の経験上、ネタ合わせに呼ばれた場合、芸人はネタの設定やアイデアはあるけど、どんな展開にすれば面白くなるか、どんなキャラクターでこのコントをやれば面白くなるか、という面白さを増幅させるためのアイデアを求められることが多くあります。

ただこれも一例でしかありません。ネタ作りに自信のあるコンビは面白いアイデアや発想を放送作家に求めていないこともあります。

コントや漫才の設定から、ボケ、ツッコみのフレーズ、間まで細かくアドバイスや意見を求める芸人もいますが、とにかく話を聞いてほしい芸人、ただただ雑談をしながら作りたいという芸人、ネタの説明をしたときに、放送作家がどのタイミングで笑うか、もしくは笑わないかを確認する芸人、女性目線の意見が聞きたいからという理由で絶対に女性の放送作家にネタを相談する芸人。本当に“芸人それぞれ”なのです。

芸人と放送作家が対立するきっかけになる「審査」

芸人と放送作家がお互いにアイデアを出し合い、チームで作りあげることが主だった芸人と放送作家の繋がりですが、タイトルにも書いた「憎き敵にもなりえる」というのはいったいどういう状況から生まれるのでしょうか。

例えば『M-1グランプリ』や『キングオブコント』に代表されるお笑い賞レースの予選。審査員はその賞レースの決勝が行われるテレビ局の局員に加え、必ず放送作家が一人います。

他には吉本興業の劇場などで行われる芸人同士がネタを競い合うバトル形式のライブでも、審査員は吉本興業の社員と放送作家が担当。ライブの順位はお客さんの投票と放送作家の審査が加味され決定するのですが、この審査が対立のきっかけになります。

審査をする上でネタの良し悪しの評価には、審査員の好みが大きく反映されるため、必ず“審査感”に差が出ます。時事ネタを盛り込んだボケは好まない人、固有名詞を多く使ったネタは好まない人、コンビ仲の良さを前面に押し出したネタは好まない人とさまざま。

放送作家はネタにおける美学を求める傾向があるのですが、それに対し、芸人は笑いを取ることを重要視しており、そこに差が生まれるのです。

一番お客さんの笑いを取ったのに、作家の評価は悪いなんてことはザラです。逆に笑いが少なくても、審査した放送作家が評価して、“スベった”のに一番受けた芸人よりも順位が高いということも起こります。

ライブ後、芸人と放送作家が意見を交換し、放送作家がネタのアドバイスを行う時間があるのですが、そこで芸人が審査をした放送作家に評価が低かった理由を聞きに行くと、見当違いのアドバイスをされる。

すると芸人は「あの放送作家はわかってないな」「センスがないな」という評価をするのです。放送作家は芸人のネタを審査しているようで、芸人に審査されているともいえるでしょう。

私も放送作家になって3年目を迎えた頃、小さいライブではありますが、芸人のネタを見て点数を付けるという仕事をしていました。そのとき、色々な芸人から、点数が低い理由について聞かれて上手く答えられなかった苦い経験があります。

点数を低く付けたコンビが売れ、全国ネットのテレビで大活躍! なんてこともありました。自らの見る目のなさと力のなさを痛感するとともに、もう審査の仕事はしないと強く誓ったのです。

芸人から放送作家に転身する人の優位性と劣位性

このように放送作家は芸人の考えを理解することがとにかく大事ですが、ネタに関する価値観がどれだけ近くても、芸人と放送作家とで相容れない部分が舞台経験の有無です。放送作家が芸人にネタの意見を伝えたときに「舞台に立ったことないのに偉そうな事言うな」と思うのだとか。

舞台に立って、お客さんの前で笑いが起きたときの安心感、起きないときの辛さなど、芸人は肌感覚でわかりますが、放送作家はその経験がないためどうしてもネタの理想を好き勝手に言いがちなのだそうです。

逆にその好き勝手感を一切出さないのが、芸人を経て放送作家に転身した人。舞台に立ったときの辛さやしんどさもわかった上で芸人にアドバイスを送るため、良き理解者になりやすいのです。

一方で、「売れないから芸人辞めて放送作家になったのに偉そうに言いやがって」と考える芸人もおり、正解は一つではないのが難しいところです。

裏方である放送作家が芸人と一緒に仕事をする上でのやりがい

放送作家は芸人の良き理解者になることはもちろんですが、一方でライバルであるともいえます。私も芸人と一緒にネタ作りを行いますが、打ち合わせでは芸人のボケに負けない面白い発言をしなくてはと試行錯誤。良いアイデアが出なかったときは凹みます。

逆に、面白いアイデアが出たときや、一緒に打ち合わせをした芸人から「面白いですね」と言われたとき、私はこの仕事のやりがいを感じます。芸人の良き理解者であり、パフォーマーとしての芸人への尊敬もありながら、発想に関しては誰よりも面白く柔軟でありたい、と思っているのです。

武村圭佑
1986年生まれ 奈良県出身。
『ダウンタウンのごっつええ感じ』など数多くの番組を手掛けた放送作家が講師を務める『かわら長介放送作家魁塾』を卒業し、放送作家の道へ。大阪吉本のイベント構成を経て2014年拠点を東京に移す。現在はテレビ、ラジオの構成や芸人とのネタ作成を中心に活動中。