日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2022年2月の特集は「ミッキー吉野70歳」。2月2日に、ゴダイゴをはじめ、ザ・ゴールデン・カップス、ソロ活動、作曲家・ミッキー吉野としての代表曲を様々なアーティストがカバー、フィーチャリングしたアルバム『Keep On Kickin It』が発売された。パート1とパート2はアルバムのプロデューサーである亀田誠治を迎え、ミッキー吉野の音楽家としての偉大さを探る。

田家秀樹:こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。今流れているのは「The birth of the odyssey ~ Monkey Magic feat. JUJU 」。言わずと知れたゴダイゴの1978年の大ヒットです。アルバム『西遊記』の1曲目でありました。2月2日に発売になったアルバム『Keep On Kickin It』からお聴きいただいています。今週の前テーマはこの曲です。

今月2022年2月の特集は「ミッキー吉野70歳」。4歳でピアノを始めて、14歳でプロデビュー、天才キーボディストとして16歳のときにザ・ゴールデン・カップスに参加、19歳でボストンのバークレー音楽大学入学。24歳でタケカワユキヒデさんを誘って結成したのがゴダイゴ。お茶の間だけでなく、アジアで最初に成功したロックバンドになりました。ミッキーさんの70歳の誕生日は12月13日。12月22日に記念アルバム『Keep On Kickin It』が配信され、2月2日にCDとして発売になりました。ゴダイゴはもちろん、ザ・ゴールデン・カップスやソロ活動、作曲家としての代表曲を様々なアーティストがカバー、音楽家としての全体像にフォーカスしたアニバーサリーアルバムです。今月は4週間かけてこのアルバムをご紹介していこうという1ヶ月。前半2週のゲストはアルバムのプロデューサー・亀田誠治さんに、後半2週はミッキー吉野さんご本人をお迎えして全曲をご紹介しようという1ヶ月であります。こんばんは。

亀田誠治:こんばんは。よろしくおねがいします!

田家:まずはプロデュースを依頼されたときのことをお聞かせいただけますか?

亀田: 2020年夏の話です。着信があってディスプレイにミッキー吉野って書いてある。「え!?」と思って、「何が起こっているんだろう、ミッキーさんから電話? 嘘でしょ!? 偽ミッキー吉野じゃないの!?」ってぐらいびっくりして。電話に出たら、「ミッキーです。僕は2021年、70歳の古希を迎えるんだけどコロナ禍の閉塞感を打ち破って、自分の音楽史のキャリアの集大成になるようなアルバムを作りたい。自分一人だけだとどうしても偏ってしまうので、誰かアドバイスをしてくれる人がいてくれるといいなと思う」って控えめにお話をされて、「亀ちゃんだったら若いアーティストのことも知っているし、僕ら世代のことも知っているし、いいアドバイスをしてくれるんじゃないかと」って(笑)。「ミッキーさん、それ僕と一緒にアルバム作ろうってことですよね?」と言うと、「うーん、なんかアドバイスをもらえればね」っておっしゃっていて(笑)。

田家:シャイな方だから(笑)。

亀田:「ミッキーさん、もう任せてください。なんでもやります! 僕と一緒にミッキーさんの70歳、古希を祝う最高のニューアルバムを作りましょう。すべて録り下ろしで、僕と一緒にやっていきませんか?」というお話をしました。松本隆さんのアルバムも去年作りましたけど、今、僕は亀田誠治という音楽家であり、音楽プロデューサーであり、バンドマンでもある立場 で、もし音楽の神様・ミューズがいるとしたら、50代半ばの僕に「あなたは今バトンを渡す役目なんですよ」と言われている気がしたんです。なにしろ僕はゴダイゴの音楽が大好きだった。中学生のときに一世を風靡していて、それまでは全米トップ40とか、もしくはそこから派生したマニアックな洋楽というか、音楽の深みを追求する生意気な音楽少年だったんですけど(笑)。その生意気な音楽少年にゴダイゴは一気にお茶の間から直撃してきて、「かっこいい! 何このバンド! ドラムとベース外国人!? 歌詞に英語も入ってる?」と。とにかく僕の中学校時代のプラウド、日本の誇りだったわけです。約40年の月日を経て、リーダーであったミッキー吉野さんご本人に誘っていただいた。ビジョンとか考える前にまず、「イエス」と言おうという気持ちになりました。

田家:今週と来週、ミッキー吉野愛が溢れた番組になると思うのですが、2021年6月にKADOKAWAから45周年公式本『45 Godiego 1976-2021』が出て、その中に亀田さんとミッキーさんとタケカワさんの座談会が載っておりました。亀田さんがお書きになっていたコラムで、「もしゴダイゴをプロデュースしたら、その中にこれでウケようとか、儲けようとか、邪悪な心が入ってはあかんのです」ってお書きになっていましたよね。

亀田:音楽の宝石・ミッキー吉野博物館を未来永劫届けていくために自分は何ができるか、たくさんの人にミッキー吉野という唯一無二で稀代の音楽家による音楽があるということを伝えたいというピュアな気持ちから始まったプロジェクトですね。

田家:亀田さんが中学2年生のときに始めて買ったグレコのベース。教則カセットの先生がスティーブ・フォックスだったという話がありましたが、どんなアルバムに仕上がったか今週と来週で1曲ずつお話を伺っていこうと思います。今日の1曲目「The birth of the odyssey ~ Monkey Magic feat. JUJU」です。

田家:選曲と人選の面ですが、アルバムをこの曲で始めようというのは早めに決めていたんですか?

亀田:この曲で始めようというのは初期の段階で僕の中では決まっていました。なぜかと言うと、「The birth of the odyssey」と「Monkey Magic」を一般の方々は切り離して考えている。当時『西遊記』のドラマで使われていたのが”アチャー”のイントロだったからなんですけど、ミッキー吉野さん的には「これは組曲だ」と熱く僕に語ってくれたんです。とは言え、「Monkey Magic」の得ている市民権というか、キャッチーなパブリックイメージがあるので「The birth of the odyssey」もかっこいいんですけれど、ちゃんと聴いてもらうためにはどうしたらいいんだろうと考えたときに、アルバムの1曲目に持ってきて、セットで聴ける環境設定をすることを考えました。

田家:で、JUJUさんに歌ってもらうと。

亀田: 2019年の日比谷音楽祭に実はゴダイゴという形でミッキー吉野さんとタケカワユキヒデさん2人に登場していただいて演奏してもらったんですけど、その中のナンバーに「Monkey Magic」が入っていて。そのときに僕のアイディアでJUJUさんとコラボレーションをしてもらったんです。僕自身は今までJUJUさんとは何曲も作ってきていましたけれども。

田家:曲もお書きになっているわけですもんね。

亀田:JUJUさんがとても楽しそうに「Monkey Magic」を歌っていたんです。これを再現したいなと。とにかくこのアルバムで1番大事にしたかったのはfeat.ボーカリストやfeat.アーティストが豪華というだけではなく、feat.されたアーティストがミッキー吉野さんの音楽、ゴダイゴやザ・ゴールデン・カップスの音楽であったり、みんながオリジネーターミッキーさんのことをリスペクトしている、そこへの愛があるのを大前提にするということです。それだけがミッキーさんと僕との間で交わした約束で。そのときに「Monkey Magic」をステージ上で楽しんではしゃいでいたJUJUさんの姿を走馬灯のように思い出してフィーチャリング・ボーカリストとして参加してもらいたいと思いました。アルバムの初期の段階でレコーディングをしたんですけど、レコーディングメンバーも日比谷音楽祭で一緒に演奏したメンバーたちにフォーカスを当てて。

田家:本当に気心の知れた人たちで、佐橋佳幸さん、河村”カースケ”智康さん、斎藤有太さん、皆川真人さん、山本拓夫さん、西村浩二さん、村田陽一さん、そこにミッキーさんも加わって、亀田さんも演奏していますね。

田家:アルバムの2曲目「君は薔薇より美しい feat. EXILE SHOKICHI」。オリジナルは1979年布施明さん。

亀田:この曲は、国民的ヒット曲なのにミッキー吉野さんが作曲していることを知っている人があまりにも少ないんじゃないかと思ったんです。

田家:たしかに。

亀田:バトンを渡す役目の僕としてはぜひともここをクリアにしたいと思って、ミッキーさんに「君は薔薇より美しい」をぜひ入れましょうと言いました。ボーカリストを誰にお願いしようかというときに、ミッキーさんとLDHのHIROさんが実は同じ地元出身で横浜仲間で仲良しでいらっしゃったんです。

田家:中学も同じなんですよね。

亀田:そう! HIROさんはミッキーさんのことを先輩としてすごくリスペクトしていらっしゃって。この曲の話をしたときにHIROさんが「SHOKICHIが合うんじゃないかな」って仰ったんです。HIROさんのプロデューサー的な勘だと思うんですけど、ジャンルを飛び越えてSHOKICHIさんに「君は薔薇より美しい」を歌ってもらうと、とても素敵なんじゃないかと思って。レコーディング期間はコロナ禍のど真ん中でしたね。

田家:スタジオに誰も入れないような期間ですね。

亀田:スタジオに行けなくて、リモートのデータ交換で録音していたときなんですけど、まずSHOKICHIさんとオンラインで打ち合わせをさせていただいて。はじめは僕と2人でミーティングをしたんです。その中で「君は薔薇より美しい」を歌ってもらいたいとお話をしたら、SHOKICHIさんが一言ポロッと「なんかこの曲、カリブの青い空が見えるんですよね」って直感的におっしゃって、僕はそのときにMVの絵とかも浮かんできちゃいました。

田家:「できた!」っていう感じですね(笑)。

亀田:オリジナルはビッグバンドテイスト、ビッグジャズテイストなところがあるんですけど、そこを一旦取っ払って、ミッキーさんに「アレンジは僕にやらせてください」とお話しました。所謂ちょっとカリブというか、ラテンを意識したアレンジになっていった感じですね。

田家:それはSHOKICHIさんの一言からそうなったところがあるんですね。

亀田:ポロッと言った一言ですね。この番組は、アーティストの方もいっぱい聴いていると思うんですけど、ポロッと言った方がいいですね(笑)。本当に叶ったりするので。

田家:打ち合わせにはHIROさんも参加されたんですか?

亀田:リモートでしたけど、HIROさんも参加してくださって。ミッキーさんに対してのリスペクトが溢れてました。

田家:公式ブックでミッキーさんとHIROさんの対談があって、その中でHIROさんは「ガンダーラ」、「Monkey Magic」、「銀河鉄道999」のレコードは買いましたってお話をされてましたけれども。いきなりイントロなしで始まっちゃうのは亀田さんのアイデアでしょ?

亀田:僕の提案ですね。「君は薔薇より美しい」が持っていた70年代のテイスト。僕のアレンジは打ち込みを使ったダンサブルな感じになっていますけど、僕の中で基本的にラジオヒット楽曲にしたくて。であるならば、歌始まりにしたいなと思って、イントロよりも前にサビを持ってきました。こういうこともミッキー吉野さんのアルバムだからこそできることで、話しながら「こういう構成にしていいですか?」と訊いて、音楽的に良ければミッキーさんは僕に預けてくれるんです。なので、アレンジ的にもプロダクション的にもベストスコアを出せているんじゃないのかなと思いますね。

田家:そういうときにミッキーさんは「この曲のときはこうだった」とか「ここが分かってもらえなかったんだよ」みたいな話はされたんですか?

亀田:なかったですね。ミッキー吉野さん自身がアレンジもプレイもプロデュースも全部できる方なので、自分でやれる範囲を見通せちゃっているんです。なので、これは僕に委ねた方がいいという場合は完全に委ねてくれる。あと、SHOKICHIさんが打ち込みなのにグルーヴがすごいと言ってくださって。僕がベースを弾いて、ギターは石成(正人)さんが弾いて、あとはミッキーさんがキーボードを弾いているんですけど、「これどうなっているんですか?」って。自分がプログラミングをしていてもこうならないと言うので、1トラック1トラックをSHOKICHIさんに聴いてもらったんです。そしたら、「えー! ピアノ1本なのにドラムが入っているようなグルーヴがある。え、ベースこんなに歌っているんですか!」って、SHOKICHIさんともこういう音楽の作り方を分かち合えたのは今回の財産、いい経験になりました。

田家:それはいい話ですね。次はアルバムの3曲目です。「DEAD END ~ LOVE FLOWERS PROPHECY feat. STUTS & Campanella」。1977年の2枚目のアルバム『DEAD END』のタイトル曲でありました。これもかっこよかったですね。

亀田:最初に僕がミッキーさんからオファーをいただいたとき、デモですぐに送って下さった曲です。「DEAD END」つまり、袋小路を突き破ってくパワーのある音楽を若い人たちと一緒に作りたいという意味が込められていました。

田家:そういうふうにミッキーさんがおっしゃっていたんですか?

亀田:はい!なので、亀田誠治プロデュースという衣はまとっていますが、基本的にはミッキー吉野さんの熱い想い、それに僕が突き動かされているんです。

田家:ミッキーさんの想いを形にしたアルバムでもあると。人選は亀田さんが?

亀田:はい、そうです。STUTSくんと一緒になる現場がありまして、アーティスト個人として、プロデューサーとして、トラックメイカーとしての力もすごい。星野源さんのライブで観たのかな、生MPC打ちが素晴らしくて、これはおもしろい世代の人が出てきたと思ったんです。ビートの跳ねる感じをエレクトロを使いながら出せるのはSTUTSくんだと思って。ラッパーのcampanellaさんは、STUTSくんが紹介してくれました。楽曲のメッセージをしっかり届けられて、ミッキーさんの音楽に対して愛のある人に参加してほしいというお話をしたら、名古屋在住のcampanellaというラッパーがいるから、彼だったらきっと素敵なリリックを書いてくれて、独特のグルーヴでこの曲をさらにもうワンステップ上に持っていってくれるんじゃないかって。STUTSくんもプロデューサーらしい感覚で臨んでくれました。

田家:STUTSさんはゴダイゴ、ミッキー吉野という名前は知っていたんですか?

亀田:リアルタイムではないんですけど、大好きだとおっしゃっていましたね。僕が感じたように日本の音楽の中にグルーヴを持ち込んだ人。それまではどこか歌謡曲寄り、演歌寄り、もしくはジャズ寄りみたいなイメージで。あとはロックと言うと、やたら英語でまくしたてるようなイメージがあって。松本隆さんのトリビュートのときにお話したような記憶があるんですけど、日本の音楽界になかったエッセンスを取り入れた存在だということをSTUTSくんのDJ的感覚の中からキャッチしていたみたいです。

田家:STUTSさんのことをいろいろ探していて、You Tubeにあった映像がニューヨークのハーレム125丁目でMPC1000を使ったストリートパフォーマンスがあって、あれはよかったですねー。

亀田:かっこいいんですよ。自分のことをビートメイカーって言っていて、MPCプレイヤーっていう言い方がいいって言っていました。それぐらい自分の手でマシンからビートを鳴らすことにこだわりを持っている。

田家:はー! トラックメイカーではなくて、ビートメイカー。すごいですねというこんな感想しか言えない自分が情けないんですが(笑)。

亀田:1977年に「DEAD END」が出てきたときと、それに勝る力をはめたいなと思ったんです。それにはSTUTSくんは最適な人選だと思いました。この曲もスーパーコロナ禍のレコーディングなのでデータ交換だけで作り上げているんです。我々は一度もスタジオに集まっていない。リモートのミーティングで意見交換して、それぞれが想いのたけを込めて、ミッキーさんがまずキーボードデータをSTUTSくんに送って、STUTSくんがそれにビートをつけていって、つけたビートに対してミッキーさんがまた触発されて、違うフレーズを入れる。オケがだんだん完成に近づいてきたら、campanellaくんが名古屋の自分のスタジオでラップを入れてくれて、何回かやり取りをしたり、僕も自分のスタジオでベースを弾いて作っていきました。

田家:ゴダイゴの中にはプログレっぽい、フュージョンっぽい要素があったりしましたけど、そういう要素は排除していますもんね。

亀田:これはミッキーさんがはじめに一言、メッセージをちゃんと伝えるために、この曲にはぜひともラップを入れたいとおっしゃってくださって。

田家:コーラスはやめたんですね。

亀田:原曲の象徴的なコーラスは入っていなくて、「DEAD END」、袋小路を突き破っていくようなメッセージがほしいということでした。僕からSTUTSくんになるべく誤差のないように翻訳して、ミッキーさんはこういう気持ちなんだけれど、それを表現してくれるラッパーいないかなって伝えたら、campanellaさんを推薦してくれました。

田家:ミッキーさんの演奏を聴いているだけで、ラップに触発されているなというのは感じますもんね。

亀田:ラップを聴いて、また演奏を変えているんです。なのでリモートレコーディングと言うと、一方通行のような感覚があるかもしれないんですけど、ちゃんと双方向になっている。何回か往復書簡されて完成に近づける作り方をやってきました。ちなみにこの「DEAD END」はトラックダウン、ミックスもSTUTSくんが手がけているんです。自分のビートやcampanellaのラップを僕は知り尽くしているから、音楽を作る上で、思い描いているサウンドの誤差が生まれないように、って。これもとてもクリエイティブで、ある意味親子ぐらい離れている世代のSTUTSくんが僕らに、そして孫くらい離れているミッキーさんに対しても自由な音楽の意見を言い合える関係がこのレコーディングの中には終始ありました。

田家:ゴダイゴがストリートミュージックとして蘇生した感じがありました。

田家:アルバムの4曲目「Take a train ride ~ from Swing girls 」。2004年の映画『スウィング・ガールズ』のサウンドトラック。これは思いがけなかったですね。

亀田:ミッキー吉野さんはものすごい数の映画サウンドトラックとか、ドラマの劇伴サウンドトラックを作っているんですよね。

田家:『スウィング・ガールズ』は、東北の田舎の女子高生がビッグバンドを組んで、ジャズを演奏する青春映画で「A列車で行こう」とか「ムーンライト・セレナーデ」とか「Sing,Sing,Sing」とか、スウィング・ジャズのスタンダードも演奏されていました。その間にミッキーさんのオリジナルが流されていて、アカデミー最優秀音楽賞をとっているんでしょ?

亀田:日本のアカデミーをとってますね。だって音楽が素晴らしい。しかもこれ、「Take a train ride」でしょ? 「A列車で行こう」は”Take the ”A” Train”。これは「a train」なんですよ。「ちゃんと結びついていて粋だなー! なんて素敵なんだろう!」と思いました。

田家:原曲はアコースティックギターですもんね。

亀田:今回、ミッキーさんの作曲家としての側面とピアニストとしての側面をフィーチャーしたくて、ミッキーさんに何曲かピアノの小品をピアノピースとして入れるといいんじゃないかと提案したんです。思いつきで言っているわけではなくて、コロナ禍のはじめの頃にミッキーさんのYou Tubeチャンネルで、ご自身の楽曲を弾いた動画を上げられていた。「君は薔薇より美しい」もあって、それを僕は観ていてミッキー吉野さんのファンキーだったり、ジャジーだったり、クラシックにも根付いていたり、ロックだったりする幅広いピアノプレイをもっとたくさんの人に聴いてもらいたいなと思って、提案したんです。

田家:なんで映画のときはピアノじゃなかったんだろうと思いましたけどね。

亀田:それぐらいピアノアレンジがフィットしてるでしょ?

田家:はい。これはミッキーさんにお聞きしてみようと思いますが、ミッキーさんはバークレーに行かれているわけで、その経験は今のキャリアの中で他の人とは違う何かになっているんでしょうか?

亀田:なっているんだと思います。一緒に作品を1年半かけて作ったやり取りの中で、やっぱり音楽をグローバルな視点から見ているなと感じました。ミッキーさんにとって音楽はジャンルではないんですよ。デューク・エリントンが言っていた、いい音楽と、そうでない音楽しかないという世界基準のような音楽観がある。向こうのミュージシャンと一緒にセッションをして感じ取ったことが、すごく根っこが太い音楽家を作り上げているのではないかと思います。

田家:小品だから凝縮されているものが伝わってくる、そんな曲ですよね。

亀田:そうですね。「連弾っていうイメージにしちゃいましょう」って僕が提案したら、ミッキーさんは誠実だから「これ以上音を出すのは僕の手がもう1本ないと足りないよ」というふうにおっしゃって気にされていたんです。でも、「例えば、曲を作ったときのミッキーさんと、そして今古希を迎えたときのミッキーさんが一緒に連弾しているみたいな感じはどうですか」って提案して。

田家:すごいなあ。

亀田:ミッキー吉野さんも、「じゃあやってみる」とおっしゃってくれて。映画のサウンドトラックで聴いているときとはまた違う楽曲の魅力をミッキーさんのピアノが引き出してくれている気がするんですよね。

田家:それがさっきの「DEAD END ~ LOVE FLOWERS PROPHECY」の後に入ってる選曲の妙でしょうね。

亀田:これはいい流れだと、我ながら思いますね。

田家:アルバムの5曲目です。「銀河鉄道999 feat. MIYAVI」。「Take a train ride」があって、その次に「銀河鉄道999」が来ている、これは楽しい洒落な感じがあります(笑)。

亀田:これは我ながらやったと思いましたね。自然に気持ちのいい曲順を考えていったらこうなったんですけど、そこにもミラクルが起きました。曲順を作っているところにもミューズ、音楽の神様に応援されている感じはずっとありました。

田家:「銀河鉄道999」に関して亀田さんはKADOKAWAから出た45周年公式ブックの中で、「僕が死ぬときにかけてほしい曲です」と話をされていました。

亀田:大好きで、恥ずかしい話なんですけど、僕のお粗末な歌で、「さあ行くんだ〜その顔をあげて〜♪」って歌うと、涙が出るんですよ(笑)。僕の体とこの曲はどういう仕組みになっているんだろう?と思うんですけど、とにかく好きで好きで仕方がない。何十年もかけて様々な場面でオリジナルが使われているんです。

田家:あーたしかに!

亀田:「銀河鉄道999」が持っている楽曲としての生い立ち、星の下に生まれた人々に、多幸感を与えるために生まれてきた楽曲なんじゃないかなと思います。

田家:あれほどキャッチーなオルガンソロは聴いたことがないとお話をされていました。

亀田:今回はそこを1番重要視しまして、MIYAVIくんともリモートで作っているんですけども、1番はじめに送ったのはオルガンソロの8小節のパート。「MIYAVI流に好きにしていいから、オルガンソロだけは活かしてほしい」とお願いをしました。MIYAVIくんから返ってきたデモを聴いたら、こんなに素晴らしいカバーは聴いたことがないと思って、僕の中でも一発OKでしたね。ミッキーさんがデモを聴いたら居ても立っても居られなくなっちゃって、いろいろなパートがあるんだけど、「オルガンソロまで我慢するから、その後もオルガンを弾かせてほしい」って今度はミッキーさんが嘆願してこの曲が完成していったんです。オリジナルから省いてはダメな部分と絶妙なバランスが必要だなと。この曲は僕も思い入れが強くて、信頼できるアーティスト、そのアーティストの感性も信頼できる人とやりたいなと思ったときに、MIYAVIくんの顔が思い浮かんだんですよ。ちなみにアレンジもMIYAVIくんなんです。

田家:原曲よりちょっと長くて、リスペクトパートのようなものが最後にありますね。

亀田:MIYAVIくんが2個目かのデモで「エンディングはこういうのどうですか」っていうのをつけてくれて、みんなでハンドクラップをしているような景色が浮かびました。こんなにピースフルな曲はないから、MIYAVIくんもこの曲に対してピースフルとか多幸感みたいなものを感じてくれているんだなと思って、そういうパートも追加したんです。

田家:ここまで5曲目ということで、アナログ盤で言うとA面が終わる感じですね。来週またお聞きするんですけど、ここまでお話をされて前半こんな感じだったんですよというのがもしありましたら。

亀田:今回田家さんと一緒にお話をさせていただいていて、この楽曲たちをアナログ盤のようにA面、B面と分けてイメージしたことが実はなかったんです。なので、こうやってA面、B面みたいな形で区切ってもいい曲ばかりだなあ。

田家:上手く区切れているなと思って聴いていました。

亀田:あとはやっぱりミッキー吉野さんへの愛が溢れている、ゴダイゴへの愛が溢れている。フィーチャリングアーティストが本気で取り組んでくれているのが伝わってくる。その場だけ、ちょっと歌いに来てよとかそういったこともなく、しかもコロナ禍という難しい状況の中、ほとんどがデータ交換などリモートで進めていくことがかえって深みを作っていったと思うんですよね。パッとスタジオでその日だけで終わるのではなくて、何日も往復書簡しなければならないので。そういった意味で「The Long And Winding Road」のまだ半分? って思うと、ここから先どこまでいくんだみたいな、そんな気がします。

田家:これだけ有名な曲を、原曲を損ねずにフィーチャリングしたアーティストも自分の色を出しながら、新たな魅力を加えていくお手本のような曲になっているのではないかと思いました。来週もよろしくお願いします。後半楽しみにしています。ありがとうございました!

亀田:ありがとうございました!


アルバム『Keep On Kickin It』ジャケット写真

田家:「J-POP LEGEND FORUM ミッキー吉野70歳」。2月2日に発売になったアルバム『Keep On Kickin It』のご紹介。今週と来週のゲストはプロデューサーの亀田誠治さん。今週はアルバム前半のご紹介でした。アルバムのA面。流れているのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」です。

ミッキー吉野さんのことはザ・ゴールデン・カップスで名前を知りました。ザ・ゴールデン・カップスはグループサウンズの中では妙な言い方をすると、僕らが好きになれるバンドという感じがあった。多少なりとも洋楽が好きで、世の中のこともある程度分かってきた男の子にとってもミーハー的な感じがあまりしなかったんです。ただ、こういう仕事をするようになったとき、もうバンドは既に解散していた。デイヴ平尾さんと一緒に番組を作っていたこともありましたし、柳ジョージさんとは取材も何度も会ってたんです。でも、ミュージシャンというのはこういう放送とか、雑誌の取材のときにあまり対象にならないことが多かった。当時のメディアがそうだったということなんですけど、やっぱり歌っている人のところにスポットが当たってしまうんです。でも、あらためて今回のこのアルバム『Keep On Kickin It』を聴いて、亀田さんのお話を今日も伺って、1番音楽的でスケール感があったのはミッキー吉野さんなんだなというのを再認識させられました。

このアルバムは僕だけではなくて、今世の中にたくさんいらっしゃる音楽ファン。GSが好きとか、60年代、70年代の音楽が好きだと言っている人たちにとっては目からウロコのアルバムなんじゃないかなと思います。それを亀田さんが気づかせてくれた。この曲はこういう曲だったんだとか、ミッキー吉野さんはこういうミュージシャンだったんだとか、もっと大きく言ってしまうと、こういう人間性の持ち主だったんだというところまで1枚のアルバムで表現している。そして、音楽は世代を超えて継承されていくことを証明しているアルバムなので、この番組がそこに少しでもお手伝いができればと思いながら来週もお届けしようと思います。来週はアルバムの後半、B面です。

<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp

「J-POP LEGEND FORUM」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
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