日本人選手で初めてピアスを開けた高橋智さん 現在も現役当時の面影が【写真:本人提供】

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ピアスが「ヘルメットに当たるのが気になりました…」

 ピアスをした日本のプロ野球選手といえば、多くの野球ファンが西武や巨人などで活躍した清原和博氏を思い浮かべるだろう。だが、清原氏が話題になる10年以上前にピアスをつけてプレーしたのが元オリックスの高橋智さんだ。「日本人選手初のピアス」とも言われたが、実は「計算ミス」で試合中につけるのをやめたという。現役を引退して約20年。現在はピアスの穴を5つに増やして、休日のみオシャレを楽しんでいる。

 身長194センチ、体重100キロ。「デカ」と呼ばれた高橋さんは日本人離れした体格とライナー性の打球をスタンドに叩き込む打撃で異彩を放っていたが、ピアスをつけたことでも話題となった。水島新司さんの野球漫画「ドカベン」には、日本人で初めてピアスをつけた選手として登場している。

「今も変わっていないかもしれませんが、プロ野球選手はピアスをしないのが当たり前という雰囲気がありました。日本の文化は好きですが、ピアスを1つつけたくらいで騒ぐなよという感じでしたね。結果が出なければ何か言われるのは分かっていたので、自分の好きなスタイルでやって結果を出そうと思っていました」

 高橋さんはオリックスでプレーしていた1990年頃、チームメートのブーマーや近鉄のブライアントと仲が良かったという。「家に遊びに来たり、バーに行ったりしていました。言葉は通じなくても感覚が合ったんだと思います」。米国のヒップホップが好きだったことや、ブライアントがピアスをしていたことから、高橋さんも左耳に1つピアスの穴を開けた。高価なものではなく、1つ1000円程度のピアスだった。

 日本人初のピアスだったため、マスコミに大きく取り上げられた。ところが、高橋さんは試合中にピアスをつけるのを、すぐにやめたという。「右打者なのでヘルメットをかぶると左耳が隠れてしまうんです。ピアスが見えなくなりますし、ピアスがヘルメットに当たるのが気になりました。右耳に穴を開けるべきでした。計算ミスでしたね」。ピアスをつけるのは、移動中やオフの時だけになった。

 ユニホームを脱いでから約20年が経過した。現在は名古屋市内でエレベーターの整備工として働く。引退後はピアスをしていなかったが、妻の影響もあって、おととし左右の耳に2つずつ穴を開けた。プロ野球選手時代のものと含めて計5つの穴が開いている。ただ、ピアスをつけるのは休みの日だけだ。「仕事中は邪魔になる時がありますし、取引先の中にはピアスに抵抗がある方がいるかもしれないですから」。プロ野球選手の時も、現役を引退してからも、仕事の結果を優先する姿勢は同じだった。

〇高橋智(たかはし・さとし) 1967(昭和42)年1月26日、横浜市生まれ。54歳。向上高から1984年ドラフト4位で阪急に投手として入団。野手に専念した1987年に1軍デビューし、91年に23本塁打。92年には自己最多の29本塁打を放ってベストナインを受賞した。99年にヤクルトへ移籍、同年に16本塁打を記録した。2001年オフに戦力外通告を受け、翌02年に台湾プロ野球に挑戦し、シーズン途中で退団、現役引退した。NPB通算945試合出場、打率.265、737安打、124本塁打、408打点。(間淳 / Jun Aida)