絶望のプロ人生「どうやってクビになるか考えていた」 3年で戦力外…元右腕の再起
日章学園からヤクルト6巡目の片山文男氏、故障もあって3年間で1軍登板ゼロ
「頭が真っ白になりました。あの経験は2度としたくない」。15年以上たっても、この時期になるとニュースを見ては自身の経験を思い出す。高卒3年目オフの2005年に戦力外通告を受けたのが、元ヤクルトの片山文男氏だ。
ブラジル出身で日章学園(宮崎)では同期の瀬間仲ノルベルトとともに活躍。2002年にはエースとして夏の甲子園初出場に導き、大会最速となる146キロをマークした。その年のドラフト会議では6巡目でヤクルトに指名されて入団。最速150キロの触れ込みで期待されたが、故障もあって3年間で1軍登板ゼロに終わっていた。
人生をやり直せるなら「プロにはならない」と言い切るほど過酷な3年間だった。常に考えていたのは「どうやってクビになるか」。言葉の壁もあって投手コーチとうまくいかず、1年目に投球フォームを崩すと、その後は故障を繰り返した。そして3年目のオフ、いつものように寮にいると「本社に来てください」と着信。戦力外とは言われなかったが「その瞬間にクビだな、と」確信したという。
それから15年、現在は東京・東福生駅前にブラジル料理店を経営するなど活躍している。当時は恨みしかなかったが、経営者になってから「あの3年間があったから今の自分がある」と感謝の気持ちが湧いてくるようになった。
ブラジル料理店を開店すると同期の雄平から贈り物「どうやって知ったのか」
社会人になって感じたのは「あの世界にいればいるほど勘違いする」ということ。プロ野球選手という立場に甘えて、努力が足りなかったことに気づいた。当時はコーチにも歯向かったが「良くしたいから伝えてくれたのかな。18歳の頃にはわからなかった」と振り返る。「だから同じミスをしないように」と苦い経験を糧に第2の人生を突き進んできた。
なかでも特に感謝を伝えたいのが同期入団でドラフト1位の雄平氏だ。寮の部屋が隣だったことで親しくなると、毎日寝る前に語り合う仲に。「2軍の選手は早く寝るのに、23時くらいにとんとんとノックしてくるんです。お互いに気を遣って野球の話はしなかったかな」。辛い日々の中で唯一、心を許せる存在だった。
そんな雄平氏とも引退後は長らく疎遠になっていたが、野手に転向して活躍したときは「本当に嬉しかった」と、ずっと気にかけてきた。そして、ブラジル料理店を開店した際には、サイン入りのユニホームが送られてきたという。
「どうやって知ったんですかね。当時の選手とは壁を作っているんですよね、雲の上の存在なので。変に連絡を取らないほうがいいかなって……。どこかタイミングを見てちゃんと連絡したいと思います」
雄平氏も今季限りで現役を引退して、楽天の2軍打撃コーチとしてセカンドキャリアを歩み始めた。高卒3年で戦力外、野手転向でプロ19年とまったく違う道を進んできた2人の今後に注目したい。(工藤慶大 / Keita Kudo)