作家・作詞家として活躍する高橋久美子さんによる暮らしのエッセー。 今回は、私たちの暮らしを支えてくれるお店についてつづってくれました。

第61回「帰るの、帰らんの?」

●シトラスリボンの存在に考えさせられたこと

あっという間にジングルベルが通り過ぎて、今年最後の原稿ですよ。はやい!!

このお正月こそは実家に帰ろうかな、でもオミクロンさんの動向が若干危なそう…と迷っている方も多いのではないだろうか。私はというと、年末年始をずらして帰ろうかなとまだ思案中。とはいえ飛行機のチケットはそろそろ押さえないといけないし、でも本当に帰って大丈夫かなあというのも正直ある。徐々に感染者が増えつつある今、私が東京から帰ることで実家に迷惑がかからないだろうかという不安がつきまとっているからだ。

ミカンの収穫の手伝いで11月に帰省したとき、甥っ子たちが緑色のリボン型ブローチを地域の集会で作ってきていた。「これはなに?」と聞くと、「シトラスリボンだよ」と言う。乳がん検診の啓蒙運動を意味するピンクリボンや、北朝鮮による拉致被害者の帰還を願うブルーリボン運動は知っていたが、シトラスリボンは初めて聞いた。
 

「新型コロナウイルスに感染した人を応援したり、病院の先生や看護師さんに感謝を伝えたり、それから都心から帰省する人に快く“おかえり”って言えるようにしようという運動なんだよ」と教えてくれた。すごい、ありがとうございます。
しかも、このシトラスリボン運動は、私の地元愛媛県から始まり、今は全国にその輪が広がっているのだとか。なるほど、だから愛媛の特産品である柑橘のシトラスなのだね。シトラス色のリボンをつけていることが、“ありがとう”や“おかえり”の目印になるのか。嬉しいし、帰ってもいいんだなと思わせてくれる。

よく見ると「『ただいま』『おかえり』と言いあえるまちに。」と書かれたステッカーが玄関に貼ってあった。わ、なんかすごいな。ステッカーには、ご当地キャラクターが描かれてポップなんだけれど、私は少し複雑な気持ちにもなった。こういった活動をしなければ、一番当たり前だったことが、当たり前ではなくなっているということ。過剰な反応をされたり、心無い言葉を投げられたり、つらい思いをした人がいるということなのだ。

●会いたい人には会っておこう

11月、感染者0が続いていたのでそろそろ施設にいる祖母に会えるだろうと施設に連絡してみたが、県外はおろか市外に住む家族も会うことができないという。

もしも…のときのリスクを考えた施設側の気持ちもよく分かる。でも、もうじき94歳になる祖母の砂時計を思うと、このまま私は会えないのではないかともどかしい気持ちになる。自由とか、人が社会の中で生きるとは何かを考えた二年だった。

旅行中「どちらから来られたんですか?」と言われて「東京です」と言うのをためらったこともあった。困惑されることがあったからだ。その人に持病があったり、高齢の家族がいたのかもしれないと考えると、仕方のない反応だなとも思う。

いろいろ想像しながら、お互いを気遣いながら暮らしていこうという、そのためのシトラスリボンなのだな。だから、帰ってもいいはず。いいはずなんだよね。でも、やっぱり、帰るとしても家族以外には報告せず、こそこそしてしまうのはどこかで面倒くささを想像してしまうからだ。そうすると今年も正月は帰れない方向になっていくわけで。

でもね、今は今しかないので、すきを見て会いたい人には会って、見たい映画やライブは見ておこう。時に、どうにもならんこともあるからこそ、どうにかできることは叶えておこう。できる範囲で後悔のない人生を歩こう。周りの人を大切にしながら、来年も全力で生きよう。書きながら、そんなことを思いましたよ。みなさん、今年も読んでくれてありがとう。来年もどうぞよろしくね。よいお年をー!