2018年6月23日、タイのサッカーチームに所属する12人の少年とコーチの計13人が、タイ北部チェンライ県のタムルアン洞窟に入ったところ、大雨によって洞窟内の通路が浸水して閉じ込められてしまいました。この13人は遭難から9日後に生存が確認され、各国から集まったダイバーや軍隊によって少年らは全員無事に救出されました。救助作業中に死者が出るほどの過酷な現場で何があったのか、実際に救助に携わったフィンランド人のダイバーであるミッコ・パーシ氏が、海外メディアのZEIT ONLINEに語っています。

Thai Cave Rescue : "One Day Longer and Those 13 Boys Would Be Dead" | ZEIT ONLINE

https://www.zeit.de/wissen/2021-07/thai-cave-rescue-thailand-tham-luang-2018-diver-mikko-paasi

少年らの遭難が起きた当時、タイでダイビングスクールを経営するパーシ氏は、妻と共に地中海のマルタにいました。遭難が発生してから数日後、現地にはパーシ氏の友人であるイギリス人のジョン・ボランサン氏やリチャード・スタントン氏などの経験豊富なダイバーや、タイ・アメリカ・オーストラリアの軍人らが集まっていたため、一連の捜索・救助任務はそれらの専門家が行うだろうと考えていたそうです。

ところがある日、現地の救助チームを含めたダイビングコミュニティから、コンピューター制御されたサイドマウントリブリーザー(循環式呼吸装置)が不足しているという話が出ました。通常のダイビング用呼吸装置は、背負った圧縮空気のタンクから息を吸い、吐く息はそのまま水に放出します。一方、リブリーザーは吐いた息を捨てずにガス成分を再調整して呼吸用ガスとして再利用するため、より長時間のダイビングが可能です。また、サイドマウント型のリブリーザーは圧縮空気のタンクが背中ではなく体の左右側にあり、ダイビング中にタンクを切り替えることができることから、さらに長時間のダイビングが行えるというものでした。

妻と共に結婚記念日を祝おうと思っていたパーシ氏でしたが、自分が所有しているリブリーザーを現地に届けるため、急いでタイへと向かうことにしました。マルタを離れた時点では少年らの居場所や安否はわかっておらず、多くの人が少年らの生存は厳しいだろうと考えていました。ところが、パーシ氏が現場に到着する少し前に少年らが「チェンバー9」と呼ばれる洞窟内で発見され、全員が生存していることが判明。洞窟内で生き延びていた少年らを捉えた映像は、世界中を駆けめぐりました。

タイの洞窟で行方不明の少年ら13人発見時の映像がFacebookで公開中、1000万回以上も再生される - GIGAZINE



パーシ氏によると、捜索作業中も雨が続いたことで現場の安全確保が困難だったことから、タイの当局はあと1日で捜索を縮小させる予定だったとのこと。事実、少年らが発見された後の7月6日には、元海軍特殊部隊のダイバーだったサマン・グナン氏が物資を運ぶ作業中に死亡したほか、救助作業中に感染症を患った別のタイ海軍所属ダイバーも遭難事故から1年以上後に死亡するなど、現場は非常に危険な状況でした。そのため、少年らが発見されるのがあと1日遅ければ、その後の救助作業もなかったかもしれないと指摘しています。

少年らが発見された後、人々は「少年らがどこにいるのか?」ではなく「どうやって少年らを救出するのか?」を考え始めましたが、これがまた難問でした。まず、少年らがいた「チェンバー9」は救助チームの前線基地から2.5kmも奥にある空間であり、道中は1.5kmにわたり水没しているという状況。また、洞窟内にたまった水は山から流れ込んだ泥水であり視界はほぼゼロに近く、ダイバーは自分の周囲の地形も正確に把握できない状態でのダイビングを余儀なくされたとのこと。

アメリカ軍は浸水した洞窟内でのダイビング経験がない自分たちよりも、パーシ氏らのような熟練したダイバーが作業に適していると考え、洞窟内に敷設されたケーブルの整理や物資の供給を依頼しました。パーシ氏らも視界ゼロの洞窟内におけるダイビングの訓練は受けていませんでしたが、結局はこの作業を受けることに決め、仲間と共に洞窟へのダイビングを行ったと述べています。

しかし、熟練したダイバーでも洞窟でのダイビングは難しいものであり、仲間の1人はスタート地点から30mほどの場所でリブリーザーを壊してしまったほか、仲間同士のコミュニケーションも取れない状況でのダイビングは過酷なものでした。そのため、当初は子どもたちを救う作戦の中でも「子どもがダイバーと共に水の中を進む」という選択肢は、現実的ではないとみられていたそうです。

その後、「洞窟への別の入口を探す」「岩盤を掘り進めて洞窟に穴を開ける」「イーロン・マスク氏が率いる宇宙開発企業・SpaceXが開発した潜水艦を使う」といった方法が提案されましたが、いずれも実現は難しいと判断されました。「雨期が終わるまで少年らに食料と酸素を届ける」という案もありましたが、最終的にイギリスのダイビングチームが提唱した、「少年らの意識を麻酔で失わせた上で水中を運ぶ」という選択肢が有力となりました。



by Heiko S

ダイビング経験のない少年らを救出するに当たって大きな障害となったのが、「水中でパニックを起こすのではないか」という懸念でした。実は、捜索チームのダイバーらは少年たちを発見する前の段階で、「チェンバー3」と呼ばれる空間に取り残されていた地元の電話会社の職員ら計4人を発見していました。この4人も捜索チームの関係者であり、洞窟内のチェンバー同士をケーブルでつなぐ作業を行っていたところ、増水した水によってチェンバー3に取り残されてしまったそうです。捜索が始まったばかりの混乱の中では、誰が洞窟に入って誰が出てきたのかを数えている人はおらず、4人は24時間も忘れられていたとのこと。

この職員たちをチェンバー2に戻すためには、水没した通路を15mほど移動する必要がありました。そこでダイバーは職員に圧縮空気入りのレギュレーターとマスクを装着させ、浸水した通路を泳いでもらうことにしました。ところが、4人中3人は視界のない水の中でパニックになってしまい、ダイビング開始から数秒後にマスクとレギュレーターを外してしまったそうです。

この一件から、少年たちが1.5kmもの水没した通路をパニックにならずに泳ぎ切る可能性は低いと救助チームは判断しました。救助対象者にパニックになってしまうと、本人だけでなく救助作業にあたるダイバーにも危険が及ぶため、「どうやって少年らのパニックを抑えるか?」という点が課題でした。そこで、現場にいたオーストラリアの麻酔医であり、熟練したダイバーでもあるリチャード・ハリス氏が、抗不安薬のXanax(アルプラゾラム)や麻酔薬のケタミンを使い、少年らを鎮静させるという手法が採用されました。



ハリス氏らの説明を受けた少年らは鎮静に同意し、意識を失った状態で洞窟内を運ばれることになりました。運ばれる少年らはウェットスーツ、呼吸調節器、マスクを装着し、さらに途中で目を覚ました場合に備えて両手を後ろ手に縛られていたとのこと。

救助は計3日に分けて行われ、実際に少年を運ぶダイバーに加えて複数のダイバーが洞窟内にあるチェンバーで待機し、ダイビングの際の補助をしたり、必要に応じて鎮静剤を追加したりといったサポート行いました。パーシ氏も最初はアシスタントダイバーとして参加していましたが、グナン氏が亡くなったチェンバー4からチェンバー3への難所を通る際、ここを通った経験が豊富だとして少年の輸送が託されたそうです。

突如として少年の命を預かることになったパーシ氏は、「それは私にとって本当に危険な瞬間でした。突然、誰かの人生に責任を負ったのです」と当時のことを回想しています。最初のダイビングでは、チェンバー3へ到達する50m手前で子どもを通過させることができず、パーシ氏は恐怖を覚えたとのこと。しかし、トレーニングのおかげで立ち止まり、ゆっくり呼吸をして落ち着いた結果、「チェンバー3まで50mではあるが、チェンバー4まで引き返す」という選択を取ることができたと述べています。結局、パーシ氏はチェンバー4まで戻り、別のダイバーに協力してもらい、少年をチェンバー3まで送り届けることができました。

パーシ氏は、ZEIT ONLINEの「洞窟で起こった出来事から世界が学べることはありますか?」という質問に対し、「絶望的に見えても、まだ挑戦してみるべきということです。後から考えてみれば、多くの人々は(救出作業が)全て順調に進んだと考えていますが、多くのことがうまくいきませんでした。私も間違いを犯しました」と述べ、誰もが手探りの中でベストを尽くしたことで、少年たちが救出できたと答えてています。

なお、この遭難事故では少年らを引率していたコーチの男性に非難が及ぶこともありましたが、パーシ氏はコーチの男性が遭難時も冷静であったおかげで、全員が無事であったと考えています。「6月の時点で、洞窟に入ることは禁止されていませんでした。西欧諸国の子どもたちは、社交のためにショッピングモールにたむろしていますが、タイにはそのような場所はありません。森と自然が彼らの遊び場です。若者は世界を探検し、経験を積むことができる必要があります」と述べ、子どもたちが自然や洞窟を探検することが禁止されてほしくないと主張しました。